第一話 目覚めと始まり

 暖かい。いや、暑冷たい。ヒンヤリとした感触の何かが下半身を、ホカホカして気持ちいい何かが上半身を熱し、冷やしている。



 何だ?何か、いや誰かに身体を揺さぶられているのか?でもそれは下半身だけ。ユサユサと身体を揺さぶっている何かはヒンヤリとしているらしい。



 意識が朦朧として、頭が重い。



 だから、やめてくれ。わざわざ起こしに来てくれたのはありがたいけど、今は起きたくないんだ。



 なぜかって?こんなに気持ちが良く眠っているのに、どうして他人に叩き起こされなければいけないんだ。気持ちよく眠っている人を叩き起こす権利なんて世界のどこにもありはしないはず……だ。



 ………………ユサユサッ。



 ………………トントンッ。



 ………………パンパンッ。



 何だよ、やめてくれ。ヒンヤリした何かだけではなく、ホカホカした何かも快眠を邪魔していく方針らしい。さっきよりも、揺さぶる手の本数が増えた気もする。



 手?ヒンヤリした何かは下半身全体を包み込むように揺さぶっていた。手?一定の面積しかない手で下半身を包み込むことなんて出来るだろうか。否、不可能だ。なら、いったい何だというのだろうか。



「起きろ。こんな浜辺で日光浴なんていいこったねぇぞ?」



 そんな低い声に続いて、頬をペチペチと何かが叩いた。



「痛い」



 薄目を開くと、禿頭の巨漢がメレディスを覗き込むようにしゃがんでいた。



「おっ、起きたか。悪かったな、全然起きねぇもんだからよ」

「あ、そう、でしたか」



 ゆっくりと状態を起こしつつ、何となく周囲を見回して、男に向き直る。ヒンヤリと下半身を包み込んでいた正体は海の波だった。そりゃ冷たいはずだ。



「えっと、兄ちゃんの名前はーーメレディス。じゃあメレディスの兄ちゃんって呼ばせてもらうぜ」

「あ、ああ、ん?メレディス?それって誰のことです?」

「あ?兄ちゃんだよ、兄ちゃん。首にかかってる真鍮の名札にそう記されてるじゃねぇか。メレディス・オールドリッチ。それが兄ちゃんの名前つーわけだ」

「はぁ?」



 わけがわからず、呆けた顔で素っ頓狂な声で聞き返してしまった。けれど、確かに首には鎖の輪っかに吊るされた一枚の真鍮の板がかけられていた。



 そこにはーーメレディス・オールドリッチーーそう刻まれた文字が。



 文字とはいっても見たことのないはずの文字なのに、意味だけが脳内に語りかけてくるような不思議な言語だった。



 男は髪のない頭をカリカリと掻きながら続ける。



「ああ、そうだな。ここに来たばかりの人間が、そんな細かなこと知るわけねぇわな。すまん」

「よく解りませんが、とりあえず何か事情があることは解りました」

「んな大したことじゃねぇよ。それに詳しいことはここに住む誰も知らないんだ。謎だ。謎」

「はぁ」

「まあ、兄ちゃんを含めると今回の『島流し』には5人の兄ちゃん姉ちゃんが流れ着いたようだから、その辺の話はそいつらを含めて話そうか。二度手間は嫌だからな」

「はぁ」



 メレディスはため息を吐き続けるばかりだった。振り返ってみると、さっきまで脚を浸らせていた海と白い浜辺を挟んだそこには、石畳の通りと大小様々な石造りの建物が入り組んで建ち並んでいた。



 その建物の所々には緑の蔦が絡み合い、燦々と降り注がれる太陽光を跳ね返すような乳白色の壁色に色彩をもたらしていた。



 おかげで美術品のような雰囲気から野性味というか、人が生活している場所という風な景観で特別感は無くなってしまっているけれど、心が和む綺麗で落ち着く雰囲気に仕上がっていた。



「うん、悪くない」

「どうした?ここの景色が不満か?」

「いえ、そうではなく。むしろ、良い場所だなと」



 すると、自分の住む街が褒められたことが嬉しくなったのか、男は顔をクシャッと歪めて、



「そうだろ?」



 と言った。そのとき、手入れしているであろう白い歯が強い陽光にキラリと光った。いい笑顔だ。



 初対面のオヤジに何を言っているのかとも思ったが、おそらくこの男の人の良さが滲み出ているっていうことなのだろう。



 この人がどういった人なのか当然知らないし、信じすぎるのは良くないが、ここの話を聞いてみるくらいなら損ないだろう。ひとまず頼ってみることにしよう。



「はい」

「さ、兄ちゃんが最後だったからな。先に起きた奴らのストレスが溜まらないうちに彼らのところに行こうか。ちなみにむこうの木陰に集まっているのが、兄ちゃんのいわゆる同期ってやつだ」

「同期?同学年、みたいなアレですか?」

「ま、そんなところだな。ところで兄ちゃんは、ここに来る前のことを覚えてるか?」

「へ?」



 さらっ訊かれた質問に素直に妙な疑問を覚えた。そんなこと考えることですらないからだ。



 自分がどこの誰で、どうしてここにいて、どうやってここへ来たか。そんなことは当たり前のことでしかない。それは自分が行動しないとなされないことだからだ。



 だからさらっと訊かれた質問に、さらっと回答して世間話でも広げてやろう勢いで口を開いた。



 しかしーー



「あれ……俺ってどうしてここにいて、俺は誰で、俺の故郷ってどこだったっけ?」



 住んでいた場所だけでなく、親の名前も顔も、さらには自分の名前、好きだったこと、人すら綺麗さっぱり記憶に残っていないことに気がついた。



「……思い出せない、みたいです」

「そうか。ま、でも不安に思うこったぁねぇ。俺も兄ちゃんと一緒に流れ着いた奴らもこの島に住む他の奴らもここに来た経緯ってやつを思い出せてねぇんだからな」



 なんと。物凄い新事実が提示された。



 軽く言っているが、ここの街はパッと見ただけでも、決して小さい街ってことはない。むしろ、大きめの街なのではないだろうか。人口も街に比例してそれなりにはいるだろう。その全員が過去を知らないとすれば……。



「それって、かなりマズイ状況なのでは」

「ま、本来ならな。けど、もし神がいるならここの神様はその辺を考慮してくれた神様だったってことだろうな」



 その辺、と男が言った意味は大雑把に言って『衣』と『食』と『住』のことだろう。更地の土地へ、突然放り投げられれば、普通は何もできない。その問題を何とかできる方法がここにはあったってことだ。



「神は信じない方なんですが」

「他の記憶は忘れているのに、神みたいな概念や言葉は覚えているのにか?まあ、ここで生活していれば、自然と神を考えずにはいられなくなるさ」

「どうですかね……」



 それから少しの間、喋らず静かに歩き、離れていた木陰のもとへと辿り着く。そこにいたのは男女2人ずつのペアだった。



 彼らをそれぞれ確認して、男は手を叩き、



「それじゃ、兄ちゃん姉ちゃんたち。ひとまず場所を変える。余計なことには触れず触らず、問題を起こさないように付いて来てくれ」



 そう言って、少し真剣な顔をした男は歩き出した。

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