第11話

 「兄上、大好きであります!」

 「さすが兄上、兄上はこの国の未来になくてはならない存在でありますね!」

 「兄上、いくら父上の考えが気に入らないからと言って……」


 それはまるでエドガーの過去を凝縮する様な夢であった。

 まだ小さい子供だった頃のアレク、声変わりが始まる前ののアレク、国を離れる前のアレク……。

 それらが現れ、去りを繰り返す暗闇の中。


 「おぇぇぇぇぇ……。 の、飲み過ぎたかも……」

 「飲み過ぎですよ、ネルブさん……」


 だがそんな夢は、ネルブが吐いている様子が開いた窓から聞こえた事により、終焉を迎えるのであった。


 「エドガーお兄ちゃん、おはよう!」

 「……やぁ、おはようレイチェルちゃん……」


 そこには天井の代わりに、レイチェルの顔が視界を覆っていた。

 そして、挨拶し返したエドガーにレイチェルはベッドに座り、小さな右手をエドガーの額に乗せ、こう尋ねたのである。


 「んっ?」

 「お兄ちゃん、何の病気なの?」

 「いや、その……」


 そんな心配そうな純粋な瞳から発せられた言葉は、エドガーの良心に刺さってしまい、咄嗟に嘘が出なかった。

 ただ、そんな誤魔化し方は。


 「お兄ちゃん、もしかして死んじゃうの……?」


 そんなレイチェルの不安と泣き顔を呼び出す訳で……。


 (やはり心配をかけるのは悪いな、特に小さい子に対しては……)


 そんなレイチェルにそう思い、エドガーは心配かけまいと上半身を起こし、レイチェルの頭を撫でた。

 それはそれは、優しく素敵な笑顔を浮かべて……。


 「大丈夫だよ、お兄ちゃんは強いから簡単には……」

 「おぇぇぇぇ……」


 だが、そんなエドガーの言葉はネルブの嘔吐によってかき消された。

 更に。


 「ミーナ……。 アタシ、アンタのそう言う優しさ、とっても大好き、おぇぇぇぇ……」

 「ね、ネルブさん!? 嘔吐物が飛び散ってネルブさんの服にかかってますって!?」

 「なんだって、それはいけない!? ミーナ、風呂場を借しな! ついでに来ているアンタの服も一緒に洗ってしまおうかね……うっ!?」

 「いやネルブさん、一度吐きましょうって! あと、私の服は汚れてないので大丈夫ですからね!? あの、ネルブさん引っ張らないで! あーれー……」


 開いた窓から聞こえてきたそんな会話が、エドガーとレイチェルの雰囲気をぶち壊し、沈黙にした。


 「あ、エドガー兄ちゃん起きたの!?」


 エドガーが言葉に詰まり、レイチェルが母親の恥ずかしい姿に頬を染めた時、わんぱく笑顔のレッカーが駆け迫り、そして。


 「エドガー兄ちゃん大丈夫?」


 まるでレイチェルの行動を再現する様にベッドに座り、小さい手を額に当てたのである。


 (改めて双子と思わされてしまうな……)


 そんな姿に微笑んだエドガーは、二人の頭にポンと手を乗せこう告げた。


 「お兄ちゃんは大丈夫だよ、少し疲れているだけだから。 だから安心してね」


 それは自分を守るための行動が、結果的に幼い二人へ心配をかけた事への申し訳なさがそんな言葉を告げさせたのである。

 そして、そんなエドガーをみた二人は、顔を見合い、小さくうなづくと。


 「母ちゃん、よく言ってるよ。 疲れている時ほど食べた方が良いって!」

 「レイチェルも聞いたことあるもん! だから食べた方が良いよ、お兄ちゃん!」


 それぞれ手を引っ張り、『食事を取るべき』との思いをエドガーにぶつけ。


 「分かった、一緒に行こうか……」


 エドガーも二人に連れられ、一階へと向かっていった。


 …………。


 「やってしまいました……」


 その時、茶色の質素なドレスに着替え、調理場に再び立っていたミーナは困った表情をしていた。

 それは、視線の先にある鍋の中のお粥が、やや茶色っぽくなってしまっているからである。


 さて、そうなった原因は一つ、ネルブを介抱する事に意識し過ぎてしまい、魔石の火を消す事を忘れた為。

 だから鍋の中には、ドロドロした水分多量の米と軽く焦げた乳製品が合わさった物体が完成してしまっている訳で……。


 「お兄ちゃんこっちこっち!」

 「さぁ兄ちゃん、ご飯食べなきゃ!」

 「分かった分かった」


 そんな時、エドガーは二人に先導され、ゆったり降りてきた。


 「あ、エドガー君、大丈夫ですか?」

 「大丈夫だよ、それにこの子達に心配をかけたくないからね……」


 ミーナはエドガーの顔を見て。


 (うふふ、二人の前だと仮病は無力の様ですね……)


 っと心の中で笑みをこぼしながら、申し訳なさそうにこう告げた。


 「エドガー君、ちょっと料理を失敗しちゃいまして……。 今から作り直しますけど、大丈夫です?」


 それを聞いたエドガーは察した。


 (きっとミーナさん、ネルブさんを気にして……)


 だからレイチェルが「それはお母さんのせいで……」っと言いかけた時、レイチェルの口に人差し指を当て。


 「僕は構わないよ。 それどころか、料理してくれるミーナさんに感謝しないと……」


 そう微笑みながら返すのであった。

 そんな様子にミーナも察する。

 エドガーが全てを察した上でそう返していると……。


 「エドガー君、そう言ってもらえると助かりますよ。 さて、エドガー君、レッカー君、レイチェルちゃん、完成まで少し待っていて下さいね!」


 三人に笑みを送り、改めて調理を始めたのであった。


 …………


 「エドガー兄ちゃん、あのさ……」

 「エドガーお兄ちゃん、あのね……」

 「はいはい、二人とも落ち着いて落ち着いて……」


 三人が仲睦まじい会話を繰り広げる中、ミーナは調理を再開した。

 ただ一度目とは違い、料理を早く完成させる為に、いくつかの手順を省いている。

 だから今、料理の完成に近づいてきたのだが。


 「あーサッパリした! おっ、美味そうな匂いがするじゃないか!?」

 「大丈夫ですか、ネルブさん?」

 「大丈夫、シャワー浴びたしシャワーの水飲んだしね! アルコールはだいたい抜けたさ!」

 「それなら良かったですよ……」


 ネルブがシャワーを浴び終えて上がってきた事により、エドガーは赤面し、顔を背けてしまう。


 と言うのも、ネルブの服は汚れてしまっている為、現在黒の下着姿であり、そしてそれはエドガーの若い身体には刺激的過ぎた。

 だからエドガーは。


 (ま、まずい……。 身体の一部が反応してしまって……。 落ち着け、落ち着くんだ……)


 冷静になろうと今、必死だった。


 エドガーはミーナと違い、は持っていた。

 だが、あと一歩の所でシャイなエドガーは女性の下着姿や混浴等、女性の身体の大部分が露わになった姿を見つめる事は出来ない程、女性に対する免疫が低い。


 さて、エドガーのそんな事を知ってか知らずか。


 「何だいエドガー、アタシの綺麗な身体が見れないってのかい? ほらっほらっ?」


 ネルブはニヤニヤしながら、テーブル向こうのエドガーに仁王立ちして自分の下着姿を見せつけるが。


 「い、いやその……。 じょ、女性が下着姿を異性に見せつけるのはどうかと……。 み、ミーナさんからも何か言ってください!」


 エドガーは目を逸らしつつ、角々しさ感じる声でそう言い返しながら、ミーナにも一言言って貰おうとする。

 しかし。


 「へっ? 別に家の中を下着姿で歩くのは平民なら普通ではありませんか?」


 この街に住み出して、ネルブの影響を受け始めていたミーナにその想いは届かなかった。


 「第一、嫌いな男ならこんな格好はしないさ! 好感があるから見せつけても平気なんだよ! ……何なら、見るかい?」

 「ちょっと外を走ってきます!」


 そんなネルブの冗談に耐えきれなかったエドガーは、恥ずかしさのあまり、家を飛び出し闇夜の街へと走っていった。

 そして、そんなエドガーを見たネルブは、フラつかず走る姿からエドガーが仮病であると認識し、ミーナにため息混じりにこう言うのであったのである。


 「はぁ……。 仮病とはねぇ、妻に心配かけるなんて、案外あの男は出来てないんじゃないかい?」

 「ふふっ、甘いですねネルブさん! あれはきっと、私との夫婦の時間を過ごす為に仮病になっていたのです!」

 「……アタシ、アンタも心配に思えてきたよ……」


 だが、その言葉を聞いたミーナの反応があまりにおめでたかった為、結果ミーナの心配をしてしまうネルブであった。


 …………。


 「はぁ……はぁ……はぁ……」


 その頃、恥ずかしさから逃げ出したエドガーは、暗闇の狭い裏路地を走り抜けていたが。


 「「痛っ!?」」


 路地から飛び出してきた人影にぶつかってしまい、尻餅をついてしまった。

 だが、その相手と言うのは。


 「だ、大丈夫です……か……?」

 「あ、兄上……?」


 自分の最も出会いたくなかった弟のアレクであった。

 だから今、エドガーは『マズイ……』と言わんばかりの表情を浮かべている。

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