間違いだらけだったクルマ選び~徳大寺先生すみません~
詩川貴彦
第1話 昭和50年式 セリカLB1600ST(笑)
昭和50年式
「セリカLB1600ST(笑)」~無知の恥~
「無知の恥」とは、18歳の若造だったワシが、物事をまったく知らなくて、失敗や恥ずかしい思いをいっぱいしたことである。しかし、知らなかった故に毎日が本当に楽しかったなあと思う。
プロローグ
セリカが欲しくて死にそうでした。
高校の大事な時期に、勉強もしないで、セリカのことばかり考えて、ぼけーっと過ごしておりました。
高一の夏休みのことでした。友達と泳ぎに行っていて、たまたま広島ナンバーのかっこいい白い車に出会ったのが運のつきでした。
広島弁のお兄ちゃんに恐る恐る話しかけると、運転席に座らせてくれたり、エンジンかけて音を聞かせてくれたり、挙げ句の果てには私たち貧乏田舎高校生3人組に冷たいコーラまでおごってくれました。
16歳ですもの。たぶん人生で最も外界からの刺激に影響されやすい年頃ですよね。一緒にいた親友のAは、次の日から広島弁になりました。勉強嫌いだったBは、何を血迷ったか無謀にも広島大学を受験して広島に住むと言い始めましました。そしてワシは・・・。
ぺったんこでコークボトルラインでテールがピッと上がっていて、それがブロロロローと走り去っていく姿に感動し、それから白いセリカLBのことばかり考えて生きるようになりました。正式名は「セリカリフトバック」だそうです。。そうしてその日から、ない知恵を一生懸命絞って、「セリカ買い買い計画」を考え始めたのです。
まず進路を決めました。セリカを買うために、学費の安い近くの国立大学に滑り込む。学部にはこだわらない。当時、国立大学の学費は、私立に比べてとても安かったのです。大学に行ってセリカを買って青春を謳歌するためには、これ以外の選択肢はありませんでした。
そのためにも勉強をコツコツがんばり始めました。真面目に授業を聞いて、予習復習宿題をやって、髪も切って無駄な夜更かしもやめて、とにかく3年後に白いセリカLBに乗っている自分の姿だけ糧に、勉強嫌いのワシは努力をしました。それから無駄遣い一切やめてをコツコツと貯金を始めました。金額は微々たるものでしたが、セリカの頭金くらい貯めようとがんばりました。
そうやって毎日必死になって、セリカを買うためだけの高校生活を送っていた私に、衝撃的な事件が起こります。SA20セリカへのフルモデルチェンジです。
確か高3の秋だったと思いますので1977年ですね。セリカを想い、必死で勉強したおかげで、なぜか偏差値がちょっと上がって国立大学への進学も、頭金のことも、ちょっと目処が立って、あと半年という頃ですね。うまいこといったら、来年の今頃は、白のLBに乗って、大学生活を楽しんでいる超プラスイメージの未来ですね。どんな嫌なことでも余裕で立ち向かえる私でした。。ホントに車って、人格さえも変えてしまう力を持っているのかも知れない、そんなことを考えていつもの本屋で車雑誌立ち読みをしていたときに見つけてしまったのです。「セリカフルモデルチェンジ」という記事を。(写真入り)
人間、知らなくていいことを知ってしまうと、あれこれと悩みや煩悩や絶望が生まれてくるものです。
第一印象ですか?そりゃあ絶望的でした。確か黒のLBでしたが、「ゴキブリ」にそっくりだと思いました。車のデザインについては、メーカーさんの思いや市場やその他諸々の要因があって、田舎の高校生ごときが口を挟む問題ではないのですが、はっきり言って「嫌い」でしたし「不細工」だと思いましたし、何より「こんなセリカは欲しくない」と思いました。
しばらくたって近くのトヨタカローラに実車が入ったので、さっそく自転車で見に行きました。けど・・。はっきり言いましょうか?写真よりももっと不細工でした。内装もダメ。もはや私の欲しいセリカの姿は微塵もありませんでした。本当に、冗談抜きで夢打ち砕かれてワシは貧血で倒れそうになりました。
それでもあきらめてはいけません。
「そうじゃ。中古車を探して買ったらええんじゃ。」
昭和53年の4月。それでもめげずに近隣の国立大学に滑り込みました。夏休みはバイトをしながら免許も取りました。でも家にも車がなかったのでずっとずっとペーパードライバーで、それでも密かにあこがれのセリカLB(旧型)を探して、バイト帰りにチャリで、中古車屋さん巡りなどをしておりました。しかしないんですよねえ。セリカLBって。
そうして数ヶ月が経って、早いもので、もう年の暮れ。年末に実家に帰っていたワシは、バイト帰りに近所の某三菱自動車販売店の前をチャリで通りがかりました。
あれだけ大学のあるちょっと都会の県庁所在地で、あれだけ探しても影も形も見つからなかったセリカLB。なしてか知りませんが、そこにポロっと置いてあったんですよ。夢にまで見た白のセリカLBが。カッコイイ、カッコイイ、欲しい、欲しい。
アホで無知で、世間知らずの若造だった私は、よく見もしないで、その50年式セリカLBを買うことにしたのでした。たしか70万円だったと記憶していますが、今思えば新車価格等を考えたら、とても高かったのですが、何も知らなかったワシはそんなこと考えもしませんでした。
グレードだとか、装備とか、本当に何も知らず舞い上がっていたワシは、貯金はたいて、足りない分は親に借金してセリカを買いました。その時に車庫証明が必要でとても手間がかかることや、任意保険がとても高額で貯金がけっこう消えてしまったことや、その他もろもろのことで、車を買うことがこんなに大変なことだと初めて知りました。年末年始をはさんだこともあって、1月の中旬にようやく納車となりました。ワシはわざわざ汽車の乗って実家に帰り車を取りにいきました。
でも初めての愛車です。念願の白いセリカLBです。家にもないクーラー付もついていました。寒い日だったのですが、何度も何度も触ったりエンジンかけたり頬ずりしたりして喜びを噛みしめたものでした。 それからの毎日が楽しかったこと。さっそく大学に乗っていって、友達に見せたりナンパに使ったりと、勉強そっちのけでLB三昧の毎日を送っていました。初めてカー用品店に行ったのもその頃でしたし、車関係の雑誌もちゃんと買って読むようになりました。
そうこうしているうちに、ワシのセリカLBがワシの知っているセリカLBと何か違うことに気がつきました。
雑誌に載っていたセリカのエンジンルームと、ワシのLBのエンジンルーム、なんかまったく違うような気がしてならない。セリカのエンジンってヘッドカバーが黒で二列にカムがシャフトの膨らみが並んでいて、「DOHC」と書いてあるはずなんですが・・・。
ボンネットをぱかっと開けると、水色の大きなカタツムリみたいな形ものがエンジンの上に乗っていて、なんか迫力がないというか、おじさんのカローラのエンジンルームにそっくりなんですよね。
なして(なぜ)?と思ってよくよく調べたりした結果、とてもショックなことが判明しました。
ワシのって、セリカLBなんですけど、2000GTどころか、1600GTでもなくて、1600STとかいう廉価版で、DOHCどころかOHVでシングルキャブレターの2Tというエンジンが載っていたのです。
セリカLBには何種類ものエンジンがあって、その中の普通のエンジンのを買ってしまったんだと気づいたわけです。ガーン。
ついでに、メーターもしっかり巻いてありました。買ったときは、3万8千㎞ぐらいだったんですが、ある日、エンジンルーム内に9万㎞オーバーのオイル交換のステッカーを発見してしまいました。ワシは頭が?になりながら、何かの間違いであることを祈りつつ、青筋を立てて週末に実家に帰り、この車を買った三菱に直行しまた。
そしたら担当さんが「展示してある時は9万オーバーだった。」とおっしゃる。で、「メーターが壊れていたので隣にあったマークⅡメーターとそっくり交換しておいた。」とおっしゃる。
「そりゃあすみません。あの時ずいぶん舞い上がっていて、メーターなんか確認しなかったんですよ。確認したのは納車の日だったですよ。」
確かにおっしゃるとおり私のミスです。私がすべて悪かった。参りましたと思っても、もう後の祭りでした。このセリカ、4年落ちで、地球二周以上も走っているけっこう過走行な車だったのでした。
そのへんの通販の商品と違って返すわけにもいきません。顔が引きつってるワシをみて、哀れと思ったののか、あるいは良心の呵責に耐えかねたのか、担当さんは1年間保証を延長してくれることになりました。損したのか得したの当時のワシにはよくわかりませんでしたが、「車は怖いのう。」と思いました。はっきりいって泣き寝入りだとおもいました。それからワシはこと車に関しては納得がいくまでよく確かめるようになりました。それならそれで仕方がないとワシはショックを隠してこのことは誰にも言わず、自分の胸に秘めたまま過ごすことに決めました。腐ってもセリカなんですから。
ワシは車をかったらどうしてもやってみたいことがありました。「チューンアップ」です。かといってお金がない学生ですから、エンジン下ろしたり開けたりなど本格的なことはできるはずがありません。それでも何とかお金をかけず、周りの友達の車より速くしたいという願望だけはありました。友達の持っていたセリカ1600GT(本物)を運転させてもらったり、競争したりして、ワシのSTとたいして変わらないことを知ってしまったこともありました。とにかく誰にも負けないように早くしたいと思っていました。といってもせいぜい信号待ちの加速競争ぐらいしかしません。そういう競争は腕を磨いた方が有効という発想はまったくなかったのがワシのアホなところだったと思います。
当時は非常にアバウトでしたので、車雑誌には、怪しい商品の広告だらけでした。というか、多少知恵がついた今なら、怪しいと思えるのですが、当時は、怪しいことさえわからない。信じて買って取り付けて、なんかパワーが出たような気になっていたのです。
その中でも一番すごかったのが「ボンファイヤー」です。憶えておられますか?どの雑誌にも必ず載っていた「ボンファイヤー」という点火系のコンデンサーのような商品を。加速、燃費、馬力、あらゆる性能が向上するノーベル賞並のすごい商品です。
よく行くカーショップに実物があったのでさっそく買ってきました。しかもなしてか知りませんが安かった。確か雑誌の通販では2980円だったはずですが1980円でした。それからボンネット開けて説明書見ながら、エッチラオッチラ取り付けました。そしたら速くなるどころか息つくようになって、調子が悪くなって、変だと思ってよくよく見たら「ボンファイヤー」ではなく「ボンファイター」でした。ガーン。ワシは偽物を買ってしまったのでした。ただでさえ怪しい賞品の、さらにバチ物があったというのがすごいと逆に感心してしまいました。(その後本物のボンファイヤーを買ってつけたけど、元に戻った程度で、そんなに速さには変わりなしでした。)
エアークリーナーを外して紅茶の金網をつけたら、吸入効率が上がってパワーが出ると聞いてさっそく試してみたら、エンジンがスカスカになってまったく力がなくなったこともありました。それから、商品名は忘れましたが、プラグ外してそこから直接注入する黒いモリブデン。電極が8個もある高いプラグ。その頭につける「ガンスパーク」という変な商品。ワシはバイトとカーショップの往復で時間とお金と労力をたっぷりセリカに注ぎました。けど自己満足の世界ばかりで、ほとんど変化なしというのが正直な感想でした。無知故の失敗ばかりでしたが、無知ゆえにとても楽しくて楽しくてわくわくする毎日でした。
エピローグ
雨の夜に狭い道で、対向車のライトがまぶしくて、路肩に寄りすぎて左半分が田んぼに落ちて動けなくなったこと。レッカーが翌日まで来てくれなくて、半日近くさらし者になっていたこと。ある山頂の公園で、帰ろうと思ったらバッテリーが上がって途方に暮れていたら、たまたまそこにいた見ず知らずの怖そうな兄ちゃんたちが押しがけしてくれたこと。初めて母親と妹以外の女性を助手席に乗せて、ドライブに行ったこと。その晩は嬉しくて寝付けなかったこと。
何度も通った板金屋さんで、エンブレムとドア下のストライプを取り寄せて「GT仕様」にしたけれど、ホイールが違っていてすぐにバレたこと。
どれもこれもが、セリカがなければ有り得なかった思い出です。
というわけで、私の初めての愛車セリカLB1600ST(笑)は、当時の自動車業関連業界の、二十歳そこそこの若造ではとても太刀打ちできない、怪しくてディープな世界や、自己責任の大切さというか、自分でしっかり見たり聞いたり調べたり確認したりすることの大切さや、女性の怖さ?や、そういうものを一切合切教えてくれた素晴らしい大先生でした。車を所有するって大人になることなんだなあと。本当に勉強になったと今でも思っています。ホント、大学行くよりよっぽど勉強になりましたもの。
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