Intermission 2
暗転したとわかると、詰めていた息がつい大きくもれた。
あの音圧から開放されたという安堵のようでもあったし、すれ違う人々の声に打ちのめされたからでもあったように思う。そしてそれは、おそらく自分だけではないようだった。
そこかしこで息をつき、固まっていた体を動かすかすかな衣ずれの音がする。人の声の圧力とでもいうのだろうか、観客はみな、音の厚みに――いまあるその残滓にさえ、圧倒されているようだった。
ミュージカルとオペラの大きくてわかりやすい違いひとつに、マイクの有無がある。
ミュージカルでは舞台上でキャストは小さな集音マイクを身につけるが、オペラではクラシック音楽の演奏がそうであるように、マイクは使わず、生の声のみで観客まで声を――音をとどける。
それでも、音が、負けない。
詳しい編成まではわからないけれど、けっして少なくはない人数のオーケストラに、声が音楽として負けない。これが、声楽専攻上位者の声なんだ。
身ひとつで。――私たちももちろん身ひとつではあるけれど、楽器という媒介がイコール自分自身であるのが声楽だ。
わかっていることが頭をよぎって、それでもその事実の重みに、さっきまでとは違う意味で心臓の鼓動が深くなる。
声楽の「ひとり」は、ピアノの「ひとり」とは、こんなにも違うのだ。
ピアノは基本的に、演奏をすべて自分ひとり、楽器一台で担う。一人でオーケストラのように和音を奏でることができるのはピアノの大きな強みであることは間違いない。ただそれゆえに、オーケストラの仲間になることは難しい。ソリストとして一対一でコンチェルトを奏でることはあっても。
それよりも――やはりこれが原始の、はじまりの音楽のひとつだからだろうか。
声は、声楽は、命の色がこんなにも強い。
そこに「物語」があるからよけいにそう感じるのかもしれないけれど、――音が、命に直結しているような気が、ほかの楽器よりも強い気がする。それはいま、目の前でいろんなキャラクターの人生が繰り広げられているから、よけいにそう感じるかもしれない。ほかの楽器だって、いのちの輝きにほかならないのは変わらない事実だ。
けれど。
――これが、生の、舞台。
こんなにも、ひと、ひとりが持つ声、それが何重にもなったような音はやはり、合唱やオペラでしか感じられないのではないだろうか。ついそんなことを思ってしまう。
となりの芝生は青く見える、というやつかもしれなくても、――いまは、その思いにいっそ深く沈み込んでいたいとさえ思う。
となりに座る
三谷も、森田も、松本も、
なにかを深く感じ、おのれの体と、いのちと、対峙しながら、対話しながら、ここにいるはずだ。
この舞台――いまは暗転し、暗く落ちている場所を見つめながら、だれもが自分のなかにある「音楽」を思う。
――ああ。
生きていてよかった。手術してよかった。良性でよかった。この学校にいれてよかった。みそらや
音楽をやっていて、ほんとうに、よかった。
あの、祈りのような合唱を聞いて、私の体の細胞が、またあらたに息づきはじめたようにさえ思う。
生きろと。生きてまだ見ろ、聴けと。
おまえが学んでいるものを、ほしいと思っているものを。遠くで起きているようでいまもまた近くで起きているようなことから目をそらすなと。
オペラは――物語は、畢竟音楽は、普遍性をともなって、何度も私たちに忠告し、背中を押してくる。
その痛みこそが、――生きる意味ではないかと。
ぎゅっと目を瞑る。そっと下腹を――手術のときに触られた場所にふれる。そうして閉じた世界でも、かすかな光を感じた。つられるように瞳を開く。
かすかに舞台が明るくなっている。
ああ、はじまる。三幕が。
終わりの、幕が、上がる――
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