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秋はやっぱりピアノという楽器にやさしい季節なのだろうなと思うと同時に、その先の冬を意識するようになった気がしている。冬――この日本の、雪もそうそう積もらないような冬ではなくて、きっともっと
でもそんな景色を閉ざし、異空間にしてしまえるのが試験会場だ。高校三年の夏に特待生演奏を見たここは、やっぱりいつものように時間も空間もべつの場所だった。きっと――わからないけど――もしかしたらパリのオペラ座もこのような感じなのではないかと思うことがある。みそらに感化されすぎているのかもしれないけれど。
学生の出入りは自由だ。受験する生徒も、自分の順番にさえきちんと舞台に立つならば客席でほかの生徒の演奏を聞くことは、当然ながらできる。それはほかの生徒という「ライバル」でもある生徒がやってきた曲の分析の、さらに分析にもつながる。
みそらの予選は昨日で、おそらく大丈夫だ、と言えそうな手応えがあった。絶対とは言えないのが試験やオーディションのつねではあるものの、その後あった木村先生からの連絡でも、すくなくとも落選を匂わせるつながるようなことは言われているようすではなかった。
そのみそらもこの客席のどこかにいるはずだ。演奏順はすでにピアノ専攻四年に入っていて、同級生が何人も入れ替わり立ち替わり演奏していく。変わった、と思う演奏も多かった。それはたぶんお互いに思うことなのだろうけれど。
森田
演奏会ではないのでアナウンスされるのは受験番号のみ。でもそれだけで多くの聴衆が――ピアノ専攻四年生だけではなく、下級生も、ほかの専攻の生徒もが、意識を舞台に向けたのが肌でわかる。
色味はモノトーン、でもほとんど普段着のような格好で出てきた森田涼は爽やかに一礼すると、日常動作そのままにピアノ椅子に座った。そっけないピアノ椅子とは違ってベルベットの生地が肌をなでる客席の椅子に座って、
リスト作曲「超絶技巧練習曲」第十番、ヘ短調。名前に違わぬ圧倒的な技巧を、森田はまるで「猫ふんじゃった」を弾いているような雰囲気で弾く。「超絶技巧練習曲」というだけあって曲の難易度はいずれもマックスレベルだ。それを――平気な顔をして。
三谷は自分が理系寄りなのを自覚している。ルービックキューブもだいたいできるし、一方でみそらは数面そろえるので精一杯だと言っていた。弟の
そして涼は――と考える。かんたんにルービックキューブの全面を揃える。手元を見ずにとか、話したままとかでもできるし、それが異様に早い上に目をつぶってでもできる。つまり空間認識力が異常にいい。こういうピアニストはいるらしく、曲の難易度が上がっていくにつれて音が増え、それが常人だとだんだんと弾けなくなるのは、この空間認識力の違いなのではないかと三谷は思っている。
リストだとこの「超絶技巧練習曲」に限らずほかの曲でも大譜表――基本、右手で上の段を、左手で下の段を弾くというベーシックなピアノの楽譜の記載に加えて、さらにもう一段五線が追加されて和音の幅が広がるという曲もある。これはラフマニノにもあって、それこそ高三の夏に聞いた菊川先輩の『鐘』だと、大譜表が「二段」になる。これを見たみそらは「なんの設計図?」とかつぶやいて軽く引いていた。そこでみそらが言ったのがルービックキューブの話だった。
「これってもう、空間認識の問題になってる気がする。わたし――音符一個一個は読めるけど、全体になったときにどんな音を鳴らすのかが、脳内で鳴らない」
基本的に譜読みをしているとその音は脳内で再生できる。読んでいた漫画がアニメ化して、そのあとに漫画を読むと自然とアニメの声で再生される、というようなのにも似ているかも、というのは
「なんとなく森田くんがドイツの公爵さまっぽいの、わかった気がする。俯瞰で見れて、それが苦にならないからなんだね」
三谷も同感だった。そのひとつの例がこないだの室内楽に対する指摘であったとも思うし、森田涼の演奏スタイルにもつながっているのはよくよくわかっている。これが――森田涼に与えられたギフトのひとつ。
弾くために生まれてきた。
それはもう、入学してすぐにわかっていたことだった。
十番は四分ほどの短い曲だ。その中にあらゆる難しいテクニックをつめこみ、怒涛のように駆け抜ける。ショパンとはまた違った意味で「ピアノ・フォルテ」というメカニックのポテンシャルを最大限に引き出した曲だ。
ふつうならここで終わる。四分と短くても。でも森田涼はそうはしない。
ほんの数秒の静寂。咳払いひとつない静寂。そしてアルペジオの和音が鳴り響き、そしてユニゾンの音がせり上がり、降りて、そして――ピアノのあらゆる場所から音が鳴り響き続ける。ピアノでしかできない、圧倒的な音数の多さ。
超絶技巧練習曲、四番、ニ短調。通称を『マゼッパ』といい、音大生の卒業試験にも選ばれるような「総まとめ」かつ「勝負曲」として挙げられる曲を。
また、涼は、かんたんに弾く。
――と思って、いや、と否定する。かんたんに聞こえるだけだ。プロほどどんな曲でもあっけらかんと弾くのは、それほどに自分の中にその曲を落とし込めているから――分析し理解し、練習で自分の血肉にしているからだ。その血肉を鍵盤をつうじてピアノから放出するだけだ。シンプルなことだ。だから涼のピアノはどこまでもわがままで、高貴で、――そしてどこまでも優しかった。
森田涼の音楽のよさが技術――異常な空間認識力とそれに適応できる運動神経だけではないことは、入学してすぐの小野・羽田合同発表会ではっきりした。どれほど難曲と言われる曲でも、森田の演奏には曲に対する、俗に言う「リスペクト」があった。リスペクトなんて言葉、使われすぎていてあまり好みじゃない。けれどまさにそれだった。ただ曲のために自分の技量を尽くす。練習も思考も時間も。すべてを置き去りにしても。作者の意図を汲み、そして自分の中に落とし込み、それを圧倒的な解像度で再現する。
その解像度の高さに、一瞬、吐き気をもよおしたのをいまだに憶えている。どれほど曲が早かろうが、それを構成する音ひとつひとつに意味があり、ダイレクトに自分の奥にある「音楽を受け止める場所」――感受性だろうか――に散弾銃のように突き刺さる。なんてわがままで――なんて愛情に満ちた演奏をするんだと思った。それと同時に、そうしなければ生きていけないことを思うと、ほんのすこしだけ同情した。ほんのすこしだけ自分もそうだから。――そういう人種だと、認めながら諦めはじめていたころだったから。
だからもしかして、と思う。清川が言うように涼が自分になついてたんじゃなくて、自分が涼に興味をもったから、だから涼もそれに応じただけなんじゃないかと。ほんとうはいっしょにいたかったのは――こうやって客席から眺めていたいのは自分のほうなんじゃないかと。逆転なんかしなくて、ずっとそのままでいいと。
そういうことだよな、と、圧倒的な解像度で紡がれるニ短調の世界に身を投じながら、心の中でみそらに向かって言う。菊川先輩とおんなじで、涼だってまちがいなく死神なんだ。
曲のタイトルである『マゼッパ』は人名だ。ヴィクトル・ユーゴーの叙事詩『マゼッパ』に出てくるウクライナの英雄。コサックの棟梁となってウクライナのため、ロシアと戦った英雄。それをモチーフにしたのがこの曲だった。広い草原を騎馬をあやつり縦横無尽に駆け回る、その蹄の音、乗り手の荒い息、高まる鼓動、耳の横を轟音で、ときには速すぎて無音で走り抜ける風。そんな厳しい世界を駆け抜け、命を賭して戦った、その姿までが舞台上に見えてしまうほどの圧倒的な解像度で観客をぶん殴りに来る。森田のそういうところ――凡人にはない遠慮のなさにはもう慣れてきている。でもその痛みのようなものは、いつ聞いても鮮明だった。
世界のすべてが涼を中心に回っている。その中に否応なしに巻き込まれる。飲み込まれ、体が砕かれ、その残滓がそのまま音になるような。自分も曲の解像度の中の粒子のほんのひとつになるかのような。肉体をばらばらにして細胞のその先の分子にしてしまうくらいの圧倒的な音の筆致がつづく。幸せだろうと思う。ピアノもここまで音を引き出してもらえたら、楽器として報われるんじゃないだろうか。そして作曲家も。リスト――いまから二百年ほど前に活躍したピアノの魔術師。彼こそいまの「アイドル」のはしりであり、ショパンやシューマンといった同年代の同朋を見送り、そして晩年は自分たちが学ぶ音楽大学の素地を作った教育者でもあった。その彼でさえ褒めてくれるのではないかと思わせてくれる音の彩度――
十番と四番という組み合わせも相まって、世界は――宇宙は完全に森田のものだった。中間部の嘘のような静寂までもが、夜の帳のその色さえ見えるような、そんな音から――テーマの再現部に入り、そうして、これでもかと怒涛の和音が――立体の音がぶつかって体を抉る。なぜか自分もこぶしをにぎりながら音を聞く。曲が明るくなるのは最後のシーンに突入する合図だ。そうして――メロディと和声とアルペジオの融合、リズム、そして――ロマン派らしいメロディのうつくしさと、深い、晩年、出家をすることを予感させるような、瞑想のような時間。
そしてピアノが鳴り響く。世界の終わりにミカエルが鳴らすというファンファーレのように世界を揺らして、ニ短調からニ長調に転じ――それこそが祈りの形でもある――、草原の中央、はるかなる遠い空の下、
足がペダルから離れ空間から音の余韻すべてが消えても拍手は起きなかった。予選だからだ。でも――これがまちがいなく最高峰の音楽の入り口であることは、ここにいる人物なら誰しも理解している。それがわからない人間はそもそもここにはいない。
森田涼はまたいつものようにさっと立ち上がり、軽くお辞儀をして舞台袖に消えていった。袖の扉の動きまでつぶさに見て、三谷はやっと――やっと自分の呼吸をした。それまではすべて森田の呼吸に引っ張られていた――いや、合わせないと聞いていられない状態になっていた。すぐれた演奏者は聞き手の呼吸すら巻き込む。まわりからもいくつかほっとしたような息が聞こえた。
だから、三谷はすぐに席を立った。自分の出番はこのつぎのつぎの、さらにつぎ。ギリギリとも言えるこのタイミングを逃すわけにはいかなかった。あいだに二人いてよかったと思いながら後方ドアをゆっくりと閉めたときに、番号を呼ばれた生徒が舞台の中央でお辞儀をするのが見えた。
雑然としたようすのホワイエには行かず、そのまま横の舞台袖へつうじる廊下へと向かう。かすかに「やばい」というような声も聞こえる。森田のことだとわかる。たしかにランダムになっているとはいえあのあとに弾く生徒にとっては酷すぎると思ったし、――あいだに二人いる自分のことを幸運だとも思った。森田がどう考えてもピアノ専攻トップなのはいまの時点でも間違いない。それでも会場がクールダウンする時間は、多少はかせげるのではないかと思う。
日が陰り、だんだんと空気すら冷えてくるのがわかる舞台袖に向かっていると、あちらから見慣れた姿が近づいてくるのがわかった。相手もこっちをほぼ同時に認識する。けれど、それだけだった。とくに目を合わせず、他人のようにただ森田涼とすれ違う。話すとか、何かアクションを起こす余裕などなかった。それくらいにならないと――弾けない。
舞台袖は予想どおりに昏く、冷えていた。三谷の前に弾く女子生徒はカイロを手にしてストレッチをしながら体をほぐしている。緊張と相性が悪いのがこの舞台袖なんだよな、と思いながら、いちばんやってはいけないのは――と自分に向かって心の中で言う。
それは「誰かのために弾く」ことだと三谷夕季は思う。四年生という最後の演奏会だから担当講師のために、とか、ここまで学費を出してくれた親のためにとか、そういう雑念は、演奏の前には一切、不要だった。そういうことをうっかり考えて失敗した経験もあるし、それこそ森田を見ていればそれが余計なことだとわかる。
考えるのは、曲のこと、曲の背景のこと、そして作者の意図。それだけに思考を削ぎ落とさないといけない。舞台上が熱いことも、自分が四年生であることも、自分の前に誰がなにを弾いたことも、全部捨てて、ただ、曲に尽くす。
涼がいちばん教えてくれたのはこれだったなと思う。それがまさか伴奏と室内楽にまでつながるとは思わなかったけれど。
まわりの音は聞こえていなかった。名前を呼ばれたので順番が来たのはわかった。ドアが開かれる。舞台が白い。そこに歩いていく。頭をさげる。椅子の位置をあわせる。呼吸をする。譜面台の取り払われたピアノの、奥へつづく金色の弦と、それを写し込んでいる大きな翼の内側に自分がいる。それだけだった。
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