第14話 難関! はじめての実習(病院編) その6


 午後イチはAさんのリハビリテーションが組まれており。看護師さんの検温の様子も見学させていただき、リハビリ室に同行して、少し見学させてもらった後、再びAさんの部屋の観察をさせていただいた。


 前日測定できなかったベッド周囲のサイズや照度・騒音などの数値をメモしていく。

 学校で習ったのとあまり数値は違わなかった、が。

 

「実際に見ると、やっぱり狭いね」


 数字だけなら、もう少し広いと思っていたんだけど。夢歌さん、率直な感想を口にする。


「でも、自由に動けない患者さんからしたら、みんな手元に置いておきたいのかな?」


 渡部さんもうなづいて、疑問というか、感想を口にする。

 午前中整理した時に、片づけた私物はみんなベッド上に戻していて。


『そこにないと不便なの』ってAさんが言うので、指示されるまま置いていったけど。


「なのに、マグカップは端っこに置くんだね」


 そう、午前中の出来事から夢歌さんは注意するようにしているけど、お茶の入ったマグカップを、Aさんはやっぱり、オーバーテーブルの上の、その端に置いていて。


「手前の端に置くなら、手が届きやすいからだって思うんだけどね」


 一応手は届くけれど、どちらかと言えば、遠くて。


 配茶の時に、スタッフさんはきちんとマグカップを奥側に置き直していたけど。午後に行ったら、また端に置いてあった。

 


「……訊いてみようか?」

「私が、訊く」


 今日は色々な質問を、すべて渡部さん任せにしてしまっている。自分でがんばらないと、と夢歌さんは自分で質問することを宣言する。


 リハビリテーションから戻ってきたAさんは、少し疲れた表情をしていたが「もうあと少しで終わりの時間でしょう? ギリギリまでお話しましょう」と、二人と会話をしてくれた。





 実習の最後にはカンファレンスが予定されており、カンファレンス後にもう一度あいさつに伺うことを約束して、二人は退室した。

 

 

「午前中、大変な失敗をしてしまいました。指導者さんは何も注意をされませんでしたが」


 順番に振り返りを発表していく中で、夢歌さんはずっと疑問に思っていたことを口にした。


「だって、九重さんは、何がいけないのか、分かっていたでしょう? 分からないのなら言わないといけないけど、分かっているのにくどくど言うよりは、患者さんのために一つでも多く援助してもらいたいなって」


「いえ、分かっていません」


「分かっていましたよ。そのあとの行動は、ちゃんと注意していたでしょう? 何かに気を取られて、よそ見しないで、集中して。まあ、叱ってもらいたいなら、別枠でお説教してもいいけど」


「……」


「それに、確かにインシデントではあるから、振り返りレポートにはきちんと書いてね。あと、どうせ起きてしまったのなら、みんなで振り返りしましょうか? 九重さんが失敗が、みんなの学びになるのなら、それは『成功のための失敗』になりますしね」


 丸光先生が指導者さんの言葉を引き継ぐ。


「『成功のための失敗』?」


「もちろん、患者さんに負担や迷惑をかけるようなことは起こさないのがベストよ。けれど、起きてしまったのなら、次に起こさないようにするにはどうしたらいいのか考えることが大切です。ついでに、この実習の目的の『環境』についても、考えられたらなおいいわね」

 

 そのあと、メンバーと患者さんの前での立ち居振る舞いや、援助での注意点を話し合い。

 

「私達、Aさんがどうしてマグカップをオーバーテーブルの端に置くのか、訊いてみたんです」


 夢歌さんは、Aさんから聞いたことを、みんなに伝えた。


 Aさんは、私物を手元に全ておいておくことで何とか自分で対応したい、と強く思っていた。

 人に迷惑をかけたくないという気持ちが高じて、介助の人の手間を少しでも減らしたいという気遣いからオーバーテーブルの端にカップを置く、という行動に出ていたらしい。

 配茶をしてくれるスタッフに手が届きやすいように、と気遣いしたつもりだった、と。

 

「そんな風に気を遣わなくていいんですよ」


 と夢歌さんが言うと、「心配なのよ」とつぶやいた。


 自分で整える、できていたことができなくなるかもしれないという不安。

 回復への不安や以前通りの生活ができなくなるかもという不安。

 コップに茶渋がついているのも知っていたが、自分で対応できないもどかしさ。


 そんな気持ちを、淡々と話してくれた。

 せめて自分でできることはしたい、せめて気遣いだけでも。


 それが、Aさんの本音だった。


「『環境を整える』って、ただきれいに整理整頓して、清潔にすればいい、って思っていました」


 でも、なぜ、患者さんが『そうしたいのか』、という理由を知らなければ、本当の意味で『患者さんの病床環境』を整えることにはならないんじゃないか、とそう、感じた。

 

「環境を整えることの意味、学校でも習いました。単に『整える』という物理的な援助だけではない、生活の一部への、看護だと」


 必死に、授業の内容を思い返す。


「環境に対して患者さんがどのように行動するのか。その理由から様々な思いを知ることができる、そう『環境を整える』ことは、すべての看護の基本だって」


「『看護は環境に始まり、環境に終わる』ですね」


 メンバーが、感じ入ったようにつぶやく。


「皆さんが授業で学んだ言葉を覚えていてくれて、担当の先生も喜ぶでしょうね。それを、知識から経験に変えて意味付けしていくのが、実習での学びですね」


「ええ。これだけでも、この2日間、病棟で実習した意味がありましたね。私達も嬉しいです」


 丸光先生と指導者さんが嬉しそうに微笑んだ。


「さらに付け加えるのなら、『行動には必ず理由がある』、ということです。その理由を探求し続ける、患者への関心をもち続ける。その有無で、私たちの行動は単なる『作業』なのか、『看護』となるものなのか、分かれます」


 丸光先生が締めくくり、カンファレンスは終わった。


『とりあえず、やっておけばいい、そう考えている限り、看護にはなりません』



 それは、ベッドメイキングの技術チェックの時に明和先生も言っていた言葉だ。


 そして、夢歌さんは、振り返る。Aさんのマグカップを洗っていた時。あれは看護じゃなかった。


 ただ、洗っていただけ。「汚れているからきれいにしたい」という思いすらなかった。


 でも、茶渋が気になっていたAさんに気持ちを知って、自分から行動できていれば。何より、その気持ちに気付くことができる、ということこそが、きっと看護につながるんだ。


「患者さんに関心を持ち続けて、これからも『看護』となるものを考えていきましょう」

 

 カンファレンスが終わり。


 Aさんはその間に夢歌さんと渡部さんにお手紙を用意していてくれた。 

 メモ用紙に短い言葉だったけれど。


『2日間、笑顔と元気をありがとう。素敵な看護師さんになってね』


 二人とも似たような言葉だったけれど。


 渡部さんには『しっかり者のいい看護師さんになれる」って書いてあった。


 一方の夢歌さんには。


『泣き虫さんもいいけど、あなたには笑顔が一番似合うと思いますよ』と書いてあった。

 

 ……見抜かれている。


 たった2日間で、2人の性格を見極めるAさんの慧眼に、患者さんも看護師や学生をよく見ているんだと感じた。


 これからの実習でいろんな患者さんに出会うと思うけれど。

 

 初めて受け持たせていただいたAさんのことを、夢歌さんは一生忘れないと思った。





 おまけ。


 昼食で『塩分6g制限』の食事を食べている患者さんを受け持ったメンバーに味の感想を教えてもらった。

 味が薄くて大変、と。でも、出汁や酸味や素材の味を工夫して、それなりにはおいしいメニューもあるんだって。

 ちょっと食べてみたいと思った夢歌さんだった。

(その後、食事の演習で、試食できた……これは食べる方も作る方も大変だと思った。1日塩分6gって、すごい面倒!)

 




 おまけその2。


 丸光先生に、『三重の関心』についても復習してね、と言われて。

 

 Threefold Interest (三重の関心)

「看護師は自分の仕事に三重の関心をもたなければならない。1つはその症例に対する理性的な関心。そして病人に対する(もっと強い)心のこもった関心。もう1つは病人の世話と治療についての技術的(実践的)な関心である」(ナイチンゲール『病人の看護と健康を守る看護』1893)

 

 すぐに思い出せなかった夢歌さんは、帰宅してから授業資料をひっくり返して、この引用を発見し。

『看護は環境に始まり環境に終わる』も、ナイチンゲールの言葉。

 

 200年前のひとだよ?! その言葉がいまだに看護の基本だなんて!



 ナイチンゲールってすごい!!

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