第10話 難関! はじめての実習(病院編) その2

 全体での説明が終わったら、今度はグループに分かれて霊安室や解剖室に案内された。


 どちらの部屋も病院の地下一階にあり(夢歌さん達が着替えたロッカー室を通りすぎて、さらに奥。通用口とは反対側にもうひとつある、ようは裏口の近く)の、人気のないひんやりした場所に隣り合っていた。


 今日はどちらも使用していないので、中まで入れたけれど、使っている場合は部屋の外から見るだけなんだって。


 何のために見学するのかな、と思ったけど。


「今後の実習で病理解剖が行われる際には、見学しますので、場所を覚えておいてくださいね」


 案内の看護師さんに言われて。


 解剖見学!?


 って、解剖って、解剖、だよね?


 カエル……じゃなくて、患者さん、だよね?


 人形、とかじゃないよね!?


 ……………………ホントに?!


 解剖生理の教科書はほとんどイラストなので平気だったんだけど、まだ授業が始まっていない病理や疾病論の教科書に、リアルな、というか、まんまカラーで人体の(内部の)写真が載っていて。


 これから勉強するんだから慣れないといけないとは思うんだけど、ちょっと気持ち悪いっていうか、怖いと感じてしまったのがホンネ。


 でも、そんなこと看護学生として口にしてはいけないとは思って、誰にも言えないでいる夢歌さん。


 血液はまだ何とか大丈夫だと思うんだけど。テレビで救急救命のドラマとか観るのは平気だし。

 ただ、スプラッタが出てくるホラーは苦手。


 もちろん、実際の解剖とホラーを一緒にしちゃいけないって分かってる。でも……。


 病理解剖って、亡くなった人を、解剖するんだよね?


 それに、霊安室。

 ここにも、来ることがあるってことだよね? それって、つまり、受け持ち患者さんが、亡くなっちゃう場面に立ち会うこともあるっていうこと、なんだよね?


 ………………それも、怖い。


 そんな場面で、自分がちゃんと看護なんて出来るんだろうか?


 まだ、父方も母方も、祖父母が健在な夢歌さん。

 法事はともかく、お葬式とかには出たことがない。

 なので、人が亡くなる、死んでしまう、って場面に出会ったことがない。


 今、改めて考えたら、とても怖くなってきてしまったのである。


「あら、あなた、顔色が悪いけど……震えているし」


 案内の看護師さんが、声をかけてくれた。

 想像だけで、夢歌さん、真っ青になってガタガタ震えてしまっていた。


「いえ……だいじょ……」


 とても本当のことは言えなくて、何とかごまかそうとした夢歌さん、だけど、大丈夫、と言いきる前に、ぽろり、と涙がこぼれ落ち。


 同じグループのメンバーも困ったように、でも声をかけられずにいて。


「どうしたかな? 慣れない場所に来て、緊張しちゃった?」


 優しく、そう問いかけてくる看護師さんの声に、ちょっとだけ安心した夢歌さん、涙を拭くことも出来ないまま、だけど、しっかり顔を上げ。


「すみません。ちょっと、色々想像して、……怖くなってしまって」


 正直に、自分の思いを話し出した。


「……こんな風に思うの、いけないって分かってるんですが」

「あら、どうして?」

「だって、看護師を目指すのに、解剖や患者さんの死ぬことが、怖いなんて」

「え? 私も怖いわよ?」


 看護師さん、夢歌さんを責めることも揶揄することもなく、当たり前のように答えた。


「だって、患者さんだもの。患者さんの大切なお体で、命だもの。消えてしまうのも、切り刻まれるのも、とっても怖いわ。だけどね、怖いからって目を背けていたら、患者さんに申し訳ないわ」

「患者、さん……」

「私だって、目の前に突然死体があったら、ビックリするし、気味が悪いって感じるかもしれない。でも、ここで最期を迎える方は、そのほとんどは私や、私の同僚が看護師として関わった患者さんなの。そう考えたら、少なくとも気味が悪いってことはなくなるわ」

「でも、知っている人なら、余計にツラいんじゃ」

「ツラいことは、ツラいわ。でも、解剖は色々理由はあるけど、亡くなった患者さんやご家族が、そのままでは分からなかった疾患や死因を明確にして、この後に同じような病で苦しむ人が少しでも早く対処出来るよう、医学の貢献のために、大切な体を見せてくださっているの。それを怖いからって目を反らしたら、その志からも目を背けることになってしまう」


 看護師さん、少し悲しそうに、目を伏せる。


「患者さんの死に立ち会うことだってそう。私がたまたまそこにいたんじゃなくて、私がいる時を選んで、最期に立ち会わせてもらえたんだって、最期のお別れが出来たんだって、そう思ってるの。本当、私もツラいし悲しい。でも、患者さんに関わってきた色々な出来事まで、みんなツラくて悲しい思い出になってしまったら、その方がもっと悲しい。亡くなるまで、懸命に生きてきた患者さんの姿を、全部悲しい思い出にしたくないの。あなたも、たくさんの患者さんに出会って、関わっていくうちには、きっと患者さんの死を怖いって思う以外の、色々な思いを感じるようになるでしょう。骨や臓器も、治療や医学に必要だとも思えるようになれば、大切な患者さんの一部だって、思考が切り替わってくるわ」

「いつか、私も……」

「だから、今は慌てなくて大丈夫。ツラい時は早めに周りを、頼ってね。ね、丸光先生も、学生の時、オペ室で倒れそうになってたものね」


 クスっと、いつの間にか夢歌さんの後ろに控えていた教員の丸光先生に向かって微笑む。


「もう! 砂山師長! バラさないで下さいよ! もう昔のことですよ」


 文句を言いながら、丸光先生が苦笑する。

 

 そっか、先生だって、最初は学生だったんだよね。


 ……っていうか、今、師長さん、って言った?!


 優しく微笑む看護師さんが、夢歌さんがこれから実習に行く4階西病棟、整形外科の砂山師長だと判明し。



 やらかしたー!!


 恥ずかしくてまともに師長さんの顔が見られない!!


「九重さん、話す時は顔を見てね」


 なのに、そのまま病棟に移動してからのオリエンテーションの最中も、のっけから名前もしっかり覚えられてしまった。


 でも。


 優しい笑顔の砂山師長さん。


 素敵だな。


 あんな風に、私も笑顔で患者さんを労れるようになりたいな。


 



 ……実は、この実習だけでなく、栗白山看護専門学校の臨地実習目標のひとつに「自分の目指す看護師像を見出だす」というものがあり。


 我知らず夢歌さん、憧れよりももう少し明確に、目指すべき看護師の姿を、砂山師長の中に見つけたのだった。

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