第8話 難関! はじめての実習(地域編)

 初めての実習は、「地域に暮らす人の生活を知る」という目的で、様々な場所に赴き、コミュニケーションを通して健康や生活に関するお話を聴かせていただく、というものだった。


 夢歌さんのグループが最初に訪れたのは、公民館の健康教室。午前中は市の保健センターで概要を教えてもらい。

 栗白山看護専門学校のある地域では、昔から健康増進活動が活発で、地区単位で定期的に健康教室が開催されたり、地区で数名ずつ選出された「保健指導員」が訪問して食生活や運動などの健康活動のアドバイスをするのだという。

 驚いたことに、この「保健指導員」は保健師や看護師などの資格は必要なくて、講習を受けてそれを伝達していく役割なのだという。

 家庭生活で誰でもできる健康活動を広めていく、という趣旨なのだという。

 だからと言って保健師や看護師、その他の医療職が関わらないわけではなく、夢歌さんが参加させていただいた健康教室では理学療法士さんと栄養士さんがオブザーバーとして参加して健康体操や減塩と野菜を食べようをテーマに簡単にできる献立づくりを教えてくれていた。


「まあ、看護学生なの?」

「えらいわねえ。大変なお仕事なのに。でも頑張ってね」

「市立病院にも実習に行くんでしょう? 私の母も学生さんがついてくれて、とってもありがたかったわ。あなた達も頑張ってね」


と、誉めてもらったり、励ましてもらったり、とっても楽しく過ごした。


 ちなみに栄養士さんにもらったレシピに自宅で簡単にできるカッテージチーズの作り方が載っていて、早速家でやってみようかな、と思った夢歌さん。

 牛乳とお酢だけでできるなんて超楽チン!

 手軽に乳製品をおかずに取り入れるためのアイデアで、サラダなどに活用して下さいね、って栄養士さんが言っていた。「手軽」って大事だよね。



 さて。

 次に訪れたのは、先週も親睦会で遊んだ市民公園。

 ここで何をするかと言うと。


「……あの! ちょっとお時間、よろしいですか?」

「あ、あの、私達、近くにある看護学校の学生で……」


 道行く人に、突撃インタビューするというもの。

 ちなみに質問内容は「あなたが健康のために大切にしていること」。

 

 道行く人に、だよ?!

 知らない人に、だよ?!

 突撃、だよー?!


 さすがに一人ではかわいそうと先生達も思ったのか、単に単独行動は困ると思ったのか知らないけれど、ペアを組んでインタビュー。

 夢歌さんは先週の親睦会と同じ渡部時子さんとペア。少し安心。

 地元出身の時子さんとなら道に迷う心配はない。

 とはいえ、いくら地元出身の時子さんでも、道行く人が全て知り合いなわけではない……というか、そうそう知り合いに会うわけでもない。


「……あの人、ほら、お年寄りのご夫婦、優しそうだよ?」

「行く? 行ってみる?」


 遠目に人柄を判断して、なるべく優しそうで話を聞いてくれそうな人(かつ団体だといっぺんに沢山のインタビューができる!)を狙って見るが。


 どのペアも同じことを考えているのか、インタビューしよう近付いてもタッチの差で違うペアがインタビューしたり。

 あと、「さっき、同じことを訊かれたよ」なんて、答える人もいて。「何度でもいいよ」と言ってくれる方もいれば、何度も声をかけられて辟易した表情の人もいて。


「声をかけやすそうな人は、きっともうインタビューされたんだろうな、って思うと声かけられないね」

「そうだね、あ、そうだ」

 時子さんの言葉に賛同し、ちょっと投げやりに夢歌さんはアイデアを出してみる。

「逆に、絶対声かけられてなさそうな人、狙ってみる?」

「いいよ。声かけられるなら」

「……やってみようかな」

「え? マジ?」


 夢歌さん、必死に目を凝らして、絶対インタビュー受けてなさそうな……声をかけにくそうな人を探してみる。


「……あの人は?」

「ああ、確かに」


 60歳くらいのおじさん。一人で文庫本片手にベンチに座っている。なんだか難しそうな顔で本を読んでいる。


「行ってみる?」

「行ってみよう」


 夢歌さんは決心を固めて、おじさんのいるベンチに近付く。


「……あ、あの」


 夢歌さんの声かけに、おじさんは不機嫌そうな声で、ゆっくり顔を上げる。

「……何か?」


「あ、あの、読書をされているところ、お邪魔してスミマセン! 私達、近くの看護学校の学生で!」

「きょ、今日は、この公園にいる方に、い、インタビューをして、……させていただきたいのですが!」

 夢歌さんの勢いに乗って、時子さんもつっかえつっかえしながら、意図を伝える。


「……何をお訊きになりたいのかな?」

「あ、あの、『あなたが健康のために大切にしていること』という内容で」

「……健康、ですか? 特に何も」

「はあ、そうですか……。お邪魔してスミマセンでした。ありがとうございました……」

「それで、いいのかな?」

 スゴスゴ立ち去ろうとした二人をおじさんは引き留めた。


「……?」

「看護学校の学生、なら興味本位で訊き回っているわけではないんだろう? 授業や学習の一貫、なのだと思うが」

「はい。地域に暮らす人の生活を知る、という目的の実習です」

「なるほど。大切なことだ。入院してくる患者さんが、誰しも同じような生活を送っているわけではない。それぞれ違った生活を送って来た人間が、皆同じように生活することを強いられるのは苦痛でしかない」

「あの……」

「例えば、朝6時に起きる人間と朝8時に起きる人間に、全員朝の7時に起きるように言われても、困ると思わないか?」

「でも、それが決まりなら、仕方ないですよね?」

「決まりだから仕方ない? そう言われて、みんな納得すると思うかね?」

「……」

 反論してみて、逆に夢歌さんは言い負かされてしまう。

「でも、沢山の人が入院している場所で、みんなが好きにしていたら、迷惑になる人もいますよね? まだ寝ているのに、朝早くから賑やかにされたら、私は困ります」

 時子さんが落ち込んだ夢歌さんを見て、援護する。


「そうだね。そう言う意味では、病院というのは、もっと言えば相部屋は、ひとつの社会だ。同じ部屋のベッドに寝ていても、それぞれ違う生活をしている人間だ。だから、ルールを守って欲しい、と言われたら、『仕方ない』という気持ちになるかもしれないし、ならないかもしれない」


「ひとつの、社会?」

 何だか難しい話になってきたな、と思いながら、夢歌さんは繰り返す。


「そうだ。みんなが違うペースで好き勝手に生きていたら、社会は成り立たない。だから、ルールが必要になる。君達は、私に話しかける時、『読書中、スミマセン』と声をかけたね。私の時間を邪魔することが分かっていて、それでも声をかけたんだ」

「……スミマセン」

「いや、怒っているわけではない。むしろ、きちんと私の時間を邪魔することを詫びてから、希望を伝えてきたんだ。『インタビューしてもいいか?』と私の意向も確認してね。これが、社会生活には大切なんだよ。社会人になれば、どんなところにもルールがあるのは分かっているし、それに従う必要があることは理解している。だからと言って、闇雲に従えと言われても面白くない。ならば、なんと伝えたら良いと思うかね?」

「……いつもとは違う生活の方法になってしまうかもしれませんが、我慢して欲しい……とか?」

「我慢、していいのかな?」


 夢歌さんが考えた言葉に、時子さんが反論する。

「ルールは、確かに守らないといけないんだけど。でも、24時間、ずっと我慢してもらわないといけないなんて、入院生活、ツラいよね。何か、少しでも自由にならないのかな?」

「そうだよね。私も朝はともかく、夜はテレビとか観たいし。音とか光に気を付けて、観ちゃダメかな?」

「……君達は、今何年生?」

「1年生です。この春に入学したばかりで」

「そうか。では、これから病院にも行くんだね。うん。今のその、素直な気持ちを大切にして、患者さんに向き合うと良いよ。ルールは大切だ。ただし、患者さんにも患者さんの生活や歴史があることを忘れないで」


「はい」

「ありがとうございます」

 二人は素直にうなづいて。


「そうそう。健康のために大切にしていること、だね? そうだな。私は、なるべく自分と違う年代の人間と関わることにしている。特に君達のような若い世代と会話することで、自分もまた、新しいことを知って、色々考えることができる。沢山考えて、脳を活性化することが、健康につながると思っている。……こんなところでいいかな?」

「ありがとうございます!」

「私達も、ちゃんと考えて患者さんに向き合って行きます!」

「ああ、きっと君達は良い看護師になれる、そう信じているよ」


 最後に笑顔で、おじさんはうなづいてくれた。



 そのあと、二人は一生懸命、沢山の人に話しかけた。

 ブッキングしちゃった人には、「お優しそうなのでつい声をかけてしまいました」と謝ると、ちょっと嬉しそうにして、「そうかな? 同じことでいいの?」と、迷惑でない範囲でお話を聴かせていただき。


 色んな人が、色んな理由で、色んなことを考えて生活しているんだな、ということが分かり。


 夢歌さん自身、まるで度胸試しのようなこの実習の意味が、ほんの少し分かった気がする。



 かくして、初めて実習(地域編)は、無事に終了した。


(後日判明したこと。3か月後、1年後期になって始まった基礎科目の「社会学」、あのおじさんが担当の外部講師だと判明。他の大学で教授をしていた、現在も大学で非常勤講師をしている先生なのですって。しかも70歳! 若く見える! ビックリ!)




 


 


 

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