はじめましての距離

長月瓦礫

はじめましての距離


「事象の地平線を超えて飛び込む物質を再び外部へ逃がさずに、ブラックホールはすべてを呑み込む。これがブラックホール説と呼ばれるものだ。

それと同時に、一般相対性理論で議論されるもの、つまりはブラックホールの対になるものとしてホワイトホールというものが存在し、今日まで語られている。

それは、あらゆる物質を放出してしまうと言われている宇宙上の謎の存在だ」


魔界から持ってきたという小説を片手に、お師匠先生は話し始めた。

軽い自己紹介とガイダンスをさっさと終わらせ、本題に入った。

長いセリフのおかげで名前など吹き飛んでしまった。


異世界関係論は週一回、講義棟の隅の方で開かれた。

数名分しかない机とテーブルに私以外の学生はいなかった。

どうせ受講している人数も少ないだろうから真正面に座ろうと席を陣取ったら、この有様だった。お師匠先生と向かい合う。


現在、魔界を異世界と区別するか一つの国として認めるかで揉めているらしい。

異世界ではあるものの、境界線は存在する。

その最前線に立っているのがこの人だ。


魔界についての講義と聞いていたのに、ホワイトホールの解説が始まってしまった。

頭の中に浮かんでいるはてなマークそっちのけで、解説を続ける。


「さて、このホワイトホールは本当に存在するのだろうか? 

存在するとしたら、どんな物だと思う?」


一対一の講義は受けたことがない。

これから先、お師匠先生の疑問がすべて私に飛んでくるのか。

それだけで軽く心が折れそうになる。


「えーっと……掃除機の吸い込み口とごみをためて捨てる部分みたいなものってことですよね。それと似たようなものですかね、宇宙に漂っているものを吐き出す、みたいな」


宇宙に関しては曖昧な知識しか持っていない。

こんなふざけた質問から始まる講義は今まで受けたことがない。


「掃除機で言えば、その二つを結ぶパイプの役割をしているのがワームホールと呼ばれるもの。これを使えば、時空間の移動も可能になると言われている」


「タイムマシンが作れるわけですか」


「まあ、これらはあくまで数式による証明だからね。

本当に存在するかどうかは分からないんだけど」


タイムマシンは夢のまた夢だ。先生は続ける。


「実態が分からないという点では、魔界も同じと言える。

さて、ライラック・フローレンス。あの異世界を君はどう思っている?」


本題にたどり着くまで、どれくらい時間がかかっただろうか。

あまりにも遠すぎて、着地したことに気がつけなかった。


「何も分かりませんけど、存在する以上は知らなければならないと思ったからです。

最も、私自身はあの異世界と何の関係もありませんけどね」


そう、何も分からないのだ。

悪魔が統治しているだの難民たちを保護しているだのと、専門家を名乗る人たちの間でも情報が錯綜していて、何が何だかさっぱりだ。


純粋に知りたいと思ったから、講義を受けたに過ぎない。

このようだと、私以外はほとんど興味がないと見ていいらしい。


「なるほどね。本質を求めに来たわけか」


少しだけほおを緩めた。


「他だと、魔界にルーツを持つ奴とかが来たんだけれどね。

下級生だし融通を利かせてくれって、進路指導の先生から言われてしまったよ」


「ルーツってことは、魔界に住んでいた人がいるんですか?」


「詳しいことは話せないけれど、それなりの事情があるんだよ。

課外授業の一環として、交流するのもおもしろいかもしれないね。

それにしても、知識を求めてくるのは君が初めてなんだよな……」


師匠は初めて黙った。沈黙が下りる。


「少し深掘りしてもいいかな。存在する以上ということは、先ほどのホワイトホールのような存在だったら、興味も持たなかったってこと?」


数式でしか証明できないようなものだったら、知ろうともしなかったのか。

なかなか面倒くさい質問をしてくるな、この人。


「計算式だと自分の眼で確認のしようがないというか、自分で解けなかったらどうしようもないというか。だから、興味とかそれ以前の問題だと思います」


「なるほどね。知らなければならないと思った理由は?

少し嫌な言い方になってしまうけれど、あの世界と何も関係がないのに、そこまで必要に駆られる理由は何?」


今度はそこを突っ込んできたか。

必要に駆られたことはないが、使命感に似た何かを覚えるのは確かだ。


「興味がある……とは、ちょっと違うんですよね。強いて言えば、信じられないから、でしょうか。世界地図もできているのに、新しく異世界が誕生するなんて。

不思議でしょうがないというか」


大丈夫だろうか。私の返答を聞いて、眉にしわが寄っている。


「あの、何か変なこと言っちゃいましたかね」


質問に気がつくと、師匠は笑いながら首と両手を振る。

笑うこともあるんだ、この先生。


「いや、俺の方こそ変なことを聞いてしまった。

なんだか嬉しくってさ。将来有望な奴が来てくれたと思って。

差し支えなければ教えてほしいんだけど、希望している職種とかある?」


将来有望ですか。

そこまで言われるほど、私は出来のいい人間ではない。


「今のところは特に決めてないです。

まあ、事務職とかに就ければいいかなと」


何のスキルもない以上、高望みはできまい。

まして世界は大混乱の最中にある。

職業を選ぶこともできないかもしれない。


「知識を純粋に求めるその貪欲さがあれば、何にだってなれると思うけどね。

さて、本題に入るとするか」


本日の講義がようやく始まった。

はじめましての距離は測れそうになかった。


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はじめましての距離 長月瓦礫 @debrisbottle00

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