第291話 ガバ勢とルドマン教会での選択
「帰ります……」
「仕方あるまい。拙僧は結構好きなのだが、向き不向きは誰にもあろう。気が向いたらまた来るといい」
そんなやりとりを経て店を出たルーキは、我が身の矮小さを噛みしめながら、一人、試走実験通りをとぼとぼと歩いていた。
「世界は広い……」
ため息と共に体中から滲み出た言葉はその一言だった。
これまで色々大変なRTAをしてきたという自負はあったものの、あの虚無走に見せられたものはそれとは別種の困難さに満ちていた。
そして、それを「割と好き」と言ってくる人種が存在すること……そして実際に走者がいること。しかも複数。自分がいかに小さな世界のRTAをしていたか、わからせられた気分だった。
いかに“悪路走り”といっても……あれは親父たちも容認できまい。悪路というか、路がない。何もない。虚無。つまり、これが、虚無走――。
「まあ、勉強にはなったよな……」
ちっぽけな自信の喪失と引き換えに手に入れた世界の縁の手触りに、そんな負け惜しみを投げつけつつ、ルーキは通りの入口へと引き返した。
居並ぶ店舗はわりとどこも盛況だ。普通の街の住人からすればテーマパークのようにも見えるのかもしれない。気軽にRTAが楽しめるというのは、レイ・システムがもたらした変革の一つでもある。こうした遊びの中から、ガチでやり始める次代の走者が出てくるのだろう。
きっと、虚無走に紹介されたものより、ずっと実のあるRTAを取り扱っている店もある。だが、今からそれらを探すには、心が疲れすぎていた。
大人しく家に帰って休むとしよう。そう思った矢先――。
「ん?」
ルーキはふと、よく知った二人が道の先から歩いてくるのを見た。
「委員長と、サクラ……?」
もはやRTAパーティの固定メンバーと言っても差し支えのないほど親しい人物ではあるが、二人だけの組み合わせというのはそれなりにレアだ。
歩きながら二人で一つのパンフレットをのぞきこんで、何やら熱心に話をしている。時折ニヤついたり頬を赤らめたりしているのは、一体何なのか。
ここでの試走で、何かいいチャートでも思いついたのか?
「おーい」
ルーキは手を振って二人に呼びかけてみた。
「えっ!? ルーキ君!?」
「ぬあ!? な、何でガバ兄さんがこんなとこにいるんすか!」
二人はぎょっとして立ち止まり、お互いが片側ずつ持っていたパンフレットを一瞬で引き裂いて、背後に隠した。
「何で、はこっちのセリフだって。二人もここに来てたのか」
ルーキが歩み寄ると、二人は顔を赤くしてじりじりと下がっていく。奇妙なムーブに眉をひそめた。
「? 何だ? ひょっとして邪魔しちゃ悪かったかな。秘密の特訓とか、そういうの?」
「い、いや、そういうわけでは……。ねえ、サクラさん?」
「そ、そうっすね。秘密でも何でも……いや、いいんちょさん、ここは逆に考えるのもアリかと……」
「なるほど……そういうのも……」
ごにょごにょと何か言い合っている。この二人、わりと我が強く、何かの議題でしょっちゅう空間に謎のスパークを発生させているが、実際のところ仲が悪いわけではなく、むしろ息はかなり合っている方だとルーキは思う。
しかし一体、今回のこの反応は何なのか。いいような悪いような、嬉し恥ずかしのような、両極端な様子。その理由を思案するルーキは次の瞬間、いきなり二人から両腕をガシィと掴まれる。
「ほ!? いつの間に!」
「いやぁルーキ君いいところに。実はこの先に、結構よさげな訓練所を見つけたんですよぉ」
「そうっすそうっす。それで今度兄さんをつれて来ようって話をしてたんですが、本人から来てくれるとはちょうどよかったっす」
「お、おう? そうだったのか。あの、でもさ、せっかくのところ悪いんだけど、さっきかなりキツい訓練所に入っちゃって、もう帰ろうかと……」
やんわりと断ろうとするも、腕を引っ張る力は少しも緩まず、
「あ、大丈夫っす。どうせ悪路以下の絶望的なクソコースの店に入って疲れてるんしょ? こっちはそんなことないんで」
「名作中の名作RTAですよ。走者も大勢います」
「そマ!? でも、それにしちゃ、さっき二人とも変な感じだったけど……」
「あーっとそんな気のせいはどうでもいいとして、兄さん、ニーナナはどうしたっすか? 軍医さんとこ行ってたんすよね?」
言葉を押しかぶせてきたサクラに、診療所でのことを伝える。すると彼女たちは顔を見合わせてニタリと暗黒微笑を浮かべ、
「素晴らしく好都合ですね」
「今しかないっす」
より強い力でルーキを引っ張りだした。
「い、いや自分で歩けるよ……」と言いつつも、解放されないままルーキが通りを進んでいくと、若い走者のパーティと何度かすれ違うことになった。
これといっておかしな点があるわけではないのだが、何かが引っかかる。男一名、女二名と組み合わせが妙に多い。しかもそのうち、男女一組がやけに親密というか――イチャイチャしている。
(何だ?)
たまたまと言えばそうだろうし、ちんちんと言えば間違いなく違うだろうが、不可思議な引っかかりを覚えたまま、ルーキはついにとある建物の前までたどり着いた。
「これは……」
教会だ。“ルドマン教会”という看板が出ている。王都を中心に活動している聖堂教会のものとは違う。恐らくはどこかの開拓地を発祥とする辺境宗教。そのイミテーションだろう。
屋根の近くに取り付けられた教義のシンボルマークを見上げながら、委員長が言う。
「ルート4・54・08、通称〈蒼穹のブーケ〉。その一場面を体験できる訓練所です」
〈蒼穹のブーケ〉。聞き覚えはないが、言葉の響きはとても清々しい。
「〈蒼穹のブーケ〉はあの〈ロングダリーナ〉の同じ系列の開拓地っす。細かな仕様は違うっすけど、雰囲気とかはよく似てるんすよ」
「マジかよ!?〈ロングダリーナ〉と同じとなると、もしかしてすっげー難易度が高いんじゃ……。なるほどな。それを現地に行かずに練習できるってのは、相当便利だぜ……!」
ルーキは意を決して教会の中へと入った。
清涼感のある白い内装が三人を迎える。
床上を一直線に伸びる中央通路。その左右には長椅子の縦列がずらりと並び、最奥には外にも出ていた大きなシンボル、手前に演説や宣誓を行うための教壇が見えた。
どこか純朴で、それほど堅苦しくもない、可愛らしい教会。ルーキの第一印象はそれだった。
「で、ここは何をするところなんだ?」
もったいぶるような長い中央通路を進みながら、左右の仲間にたずねる。
「それなんですが……。まずルドマンというのは、この教会における神父を指す言葉です。〈蒼穹のブーケ〉を走る者は、ここの儀式である誓いを立てることで、神父からRTA続行の許可を得るわけですね」
「なるほど? で、その儀式とは」
『…………』
急に二人が黙ったので、ルーキは奇妙に思って左右の顔を覗き込んだ。
委員長もサクラも、どことなく顔を赤らめながらそっぽを向いている。
「何だ? 実際始まるまで秘密か?」
怪訝に思っていると、二人はほぼ同時にぼそっと言った。
『結婚式』
「ヘアッ!!??」
思わず足が止まる。しかし、少女たちは構わず腕を引いて進む。
「いやいやいや、結婚式って!? ホアアアアナンデ!?」
「本物じゃないっすよそういう風習っすよ風習。そういう“てい”で旅を続ける許可を得るってだけの話っす」
サクラが前を向いたまま言う。心なしか耳が赤く見えるが、気のせいかもしれない。
委員長も逆側から説明を加える。
「ここでは男性一、女性二で入り、男性が女性側から一人を選ぶことで儀式が完了します。開拓民の間でもこれが伝統の一つになっていて……もちろん、男性が選ぶお相手はあらかじめ決まっています。もう一人の女性役には、花嫁の友人なんかが立ち会うことが多いそうです」
「過去には新郎がその友人の方を選んで修羅場になったとかいう話もあるそうっすけど、あくまで逸話とか伝説の類っすね」
「それはわかったけど……でも……あの……! ちょっと待ってください! 考える時間を……なぜすごいパワーで引っ張るんです!?」
ルーキは伸びる猫みたいな態勢で中央通路を進んでいる。
「そりゃあ、こんなこと言うとルーキ君が石像みたいになって八年くらい動かなくなるからですよ。よくいるらしいんです、本走中にも固まる人が。だから訓練所をつくって練習しておく必要があったんですね」
「さすがに年単位のガバは容認できないっすからね。生まれたばかりだった勇者が天空の剣を振り回し始めるっすよ」
「いや、しかし……! 急にそんなこと言われても……」
きちんと答えられるはずがない。
委員長とサクラ。どっちを選ぶ? どうやって選ぶ? ここでの結婚は確かに単なる真似事でしかないかもしれない。それでも選ぶというのは……極めて困難だ!
ルーキは何とか言葉で抵抗を示そうとするも、二人の力は緩まなかった。奥の教壇がラストダンジョンの入り口のように近づいてきている。
そこで委員長が告げた。
「まあそう言うと思って、今回、ルーキ君は特に何も考える必要はありません。段取りはもうこっちで決めてあります」
「へ?」
「はいこれ台本。兄さんはこの通りに台詞を言うだけでいいっす。あ、ちなみに、サクラといいんちょさんのパターンを別々にやるんで、選ぶ必要すらないっす。先にサクラっす。さっきジャンケンで決めたんで」
「え、ええと……その……」
ルーキがなおも困惑していると、委員長が不意に足を止めた。
「それとも…………フリでも、いやですか? わたしかサクラさんかのどちらかと一緒になるというのは……」
ひどく不安そうに、上目遣いに問いかけてくる。
サクラからもにらむような――そして同時にひどく悲しげな視線が向けられていた。
「そ、そんなわけないだろ!」
ルーキは思わず叫び返す。力が入りすぎた声は、教会の天井まで跳ね上がって散った。
「……!」
「……!!」
両腕を掴む二人の手から、ビクンという生々しい反応が伝わってくる。ルーキは我に返り、慌ててトーンダウンして冷静に言った。
「あ、あの……と、とにかく……そこに不服は……ないです……」
「そう……ですか……」
「そら……よかったっす……」
気づけば、三人とも完全に足が止まっていた。
周囲の空気ごとミシリと固まり、小さな動作一つ起こすことさえままならない。
指先一つ。筋肉の動き一つでも、何か重大な秘密が外に漏洩してしまいそうで。
ルーキの心臓はヤバいくらい高鳴っていた。
意外な、そして場違いな声が放り込まれたのは、その時だった。
「ごちゃごちゃうるせえな……すみませーん、まーだ時間かかりそうですかねー」
ひどく無遠慮で荒っぽい一言。ぎょっとして視線を前に向ければ、教壇の奥にいる人物がいらいらと足踏みしている。その人物とは――。
『なっ……!?』
ルーキだけではない。全員が唖然とする。
『レイ親父(さん)!!??』
だった。しかも……シスター服バージョンの。
「な、何やってんすか親父!? まずいですよ!!」
「っせーな。わけがあんだよ、これには」
苦々しい顔になりながら、教壇に頬杖をつく。ちんまりと両手で。キュートに。
ルーキは息を呑む。
シスター姿のレイ親父は、普段の和装とはかけ離れた装いながら、意外にもかなり似合っていた。白い髪と白い肌が暗色のシスター服と対比になり、ある種の神秘性をもたらしている。また、飾り気のないモノトーンの色彩は、清貧の一つを全身で体現しているようでもある。
そんな可憐な容貌から、彼の悪態はまろび出てくる。
「ルドマン役の店員が、馬鳥レースで大損こいてヤケ酒煽った挙句、二日酔いで寝込んじまったんだと。さらに仕事用の神父服全部にゲロを垂れやがったとかで、こんな服しか残ってねえって有様よ」
「それがなぁんでこうなるっすかねえ……?」
サクラが恨みがましく言うと、レイ親父は、飾りのついたスカートの裾をつまみ上げてちっと舌打ちし、
「仕方ねえだろ、いつもの洗濯屋と一緒に酒場まで来て泣きつかれちゃよぉ。それに、気分的になんか実入りのあることしたかったんだよ!」
自身も欝々とした声でそう言い放つ。
「どういうことですか?」と小声で聞いてくる委員長に、ルーキは一門の最新情報を伝えた。
「実は、ギガントバスターRTAに出る前にサルベージしに行った商船、ダメだったらしいんだ」
時は、ルーキたちがアジール島を訪れる前に遡る。
そもそもの推薦枠だったレイ親父が不在だったのはなぜか。
レイ一門が戯れに出資していた開拓地の貿易船が沈没し、このままでは大損だというので一門総出で引き揚げに向かっていたからだ。
だが、ルーキがRTAで好成績を収めてウッキウキのまま〈アリスが作ったブラウニー亭〉に帰ると、そこは葬儀場と化していた。積み荷の回収は失敗したのだ。会社は倒産。もらえそうだった配当金はゼロになり、“そんなに期待してたわけじゃないけどいざ手に入らないとわかるとすっげーほしくなる現象”によって、一門のテンションは海底の深さまで落ち込んだ。
これが、ルーキがいつものたまり場に近寄りがたかった理由である。
「っつーわけだから、さっさとやれ新入り。ルールはわかってんな? ここにいるヤツの中から一人選ぶ。選ばれたヤツに拒否権はねえ。そういうこった」
「ほよっ!? こ、ここにいるヤツ、ですか……!?」
ここにいるメンバー。自分、委員長とサクラ。そしてさっきまでは頭の片隅にもなかったが……もう一人、いる。
さらに拒否権は、ない。
指名したら、それまで。
「…………………………………………あの」
ガガシシッッ!!!!
半音言えたか言えないかの一瞬。突然、鉄の枷、いや拷問器具のような凄まじい力でルーキの両腕が固定される。
「ファッ!?」
確かめるまでもなく委員長とサクラだ。慌てて左右を見やれば、二人とも前髪が深く垂れ、目元を暗闇が覆っている。肩から立ち上るどす黒い靄は何か。
「帰ります」
「お邪魔したっす」
ずるずるずる……。と棺桶を引きずるようにして二人は店の外へと向かいだした。
「えっ、ちょっ……委員長、サクラ!? ちょっと待って……まだ俺は……」
「何だガキども冷やかしかよ! ちゃんとやってけよな!」
「そ、そうだよ!(便乗)」
レイ親父の不満に同調したルーキだったが、
「再走です!!」
「再走っすこのガバ!!」
「ぐはあ!!」
「やめろォ!(建前)やめろォ!(本音)」
痛烈な言葉を跳ね返され、師弟揃って悶えているうちに、店の外まで引きずり出されてしまった。
「あーもう滅茶苦茶っす! いいところだったのに!」
「本当にガバオーラ持ちっていうのは間の悪い……! どうしてこうなるんですか? 人生まで遅延行為ですか?」
「お、俺に言われても……」
通りに設置されたベンチに投げ込まれたルーキは、左右から背中でぶつかるようにして座ってきた二人に、しどろもどろになるばかりだった。
完全に振り回されていると自覚できているのだが、この二人から主導権を取り返す方法など何も思いつかない。
が、ぶちぶちと垂れ流される愚痴はそう長くは続かなかった。近くの店で時刻を示すベルが鳴る。
「しまった……もうこんな時間じゃないすか。次の仕事が……」
「あっ……わたしも母からお使いを頼まれていて……。すみませんルーキ君」
「そ、そうなのか。なんか、変なタイミングで会っちまったみたいで悪いな……」
恐らく、二人と出会った時点で帰り道だったのだろう。
確かに、これは間が悪いとしか言いようがない。
「じゃ、サクラは行くっす。夜ご飯には帰るんで、先に食べちゃダメっすよ」
「ではルーキ君。また後…………あ、いえ、次のRTAででも」
二人は慌ただしい足取りで去っていった。
「…………」
残されたルーキは、これまで棚上げしていた疲労がどっと覆いかぶさってくるのを感じた。
いつの間にか、夕暮れの色が通りを染め始めている。店じまいをしているところもちらほらある。走者が泣くから帰ろう――家族連れのそんなわらべ歌が、どこからともなく聞こえてきた。
ルーキも帰路についた。
迎えを待つニーナナを泣かせるわけにはいかない。何より、本当に疲れた。
実際、相当に削げた顔をしていたのか、RTA研究所で嬉々として迎えてくれたロコに、
「何かあったの? 泊まっていく?」
と心配される一幕もあったが、ルーキは、
「いや、何でもないんだ」
と答えるにとどめた。
人に説明するには、今日のことは本当に複雑怪奇で――そして結局何も手にしてない。 しいて言うなら徒労、虚無――“無”を手に入れたくらいか。
だから今日は、何でもない一日――。
そういうことにした。
それで、いい。
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