② SNSは悪くない

 まだ星が見える明け方だが、丘の稜線が少しずつ薄らいでくる。納屋のランプをつけて、舞はひとりで椅子に座る。ポケットにあるスケジュール表を開き、今日すべき作業を確認。あと半月もすれば初雪がくる。


 優大にもらった包みを開けると、まだほかほかのままのシフォンケーキが現れる。綺麗なカボチャ色が出ていて季節的にも美味しそうに目に映る。


 来るかな。来ないかな。頬張っちゃおう。


「今日も優大君の朝ご飯ですか」


 来た! 舞の顔がほころぶ。納屋の入り口に下げているランプの下に、虹の黒髪のカラク様が現れた。


「もうちょっとで食べてしまうところでした。おはようございます」


 秋になりカラク様の服装も変わった。今度はきちんとシーズンに合わせ、デニムパンツスタイルにウィンドブレーカーを羽織っていた。


「一緒にかまいませんか」

「どうぞ」


 納屋にある丸椅子に並んで座る。これもここ最近、一緒にしていることだった。


 シーズンオフを前に来客が減ってきた頃に、またカラク様が頻繁に現れるようになった。いまは納屋でこうしてお茶をしている。『優大君特製の早朝のお茶会』が日課になりつつある。だから舞も早起きをして作業を早めに始めるようになった。北海道は秋になると日の入りが早い。午後の十五時半には薄暗くなる。外仕事のため、早めに終わらせなければならない季節になってきたせいもある。


 また、この不思議な男性とゆっくりとお茶ができるようになった。


「今度の度外視企画の試作だそうです。カボチャと木村農園の卵で作ったシフォンケーキです」

「農場の卵を使ったケーキですか。クラフティ以来ですね。あれも、爽やかな木の実の酸味と濃厚な甘いクリームが非常に美味な焼き菓子でした。また食べたいです」


 試作品のクラフティをカラク様にも食べさせたら、それはもう大喜びだった。そして彼が喜んだり、気に入ったり、褒めてくれた焼き菓子は大抵ヒットしていた。普段のメニュー用に優大が生産している菓子でも、カラク様と舞が気に入ると売れ、これはちょっとここがやり過ぎ、足りないと思った物はいまいちな売り上げだった。


 実はここでも『重大な品評会』がされているなど、優大も父も知る由もない。


 さて。今回のパンプキンシフォンケーキもどうかな。

 二人一緒に、明け方の納屋、ほのかなランプの灯りの下で頬張る。


「ほわほわして、カボチャの香りと甘みがしておいしい~」

「うんうん。シンプルな卵だけのシフォンも美味でしたが、これは季節ならではの美味ですね!」

「やっぱり、このシフォンには木村農園の卵しかないですね」

「木村さんの卵は最高ですね。たまにしかお菓子に使ってくれないのが残念です」


 コストがかかる特別な卵なので、素材としては予算が破格になってしまうのだ。だから度外視企画の時にしか採用できない。


 ただし。木村氏の営業が実り、父も平飼い養鶏の卵を気に入り、カフェ店内でお土産用として、卵パックを置くことにした。クラフティを食したお客は、その菓子に使った卵だと知ると買って帰ってくれた。やがてそれもSNSで紹介され、今度は木村農園へと訪ねる人や、通販を利用する人、または商品の素材として求める業者も現れるようになったとのことだった。


 いまも時々、優大と共に木村農園へお邪魔して、木村氏と奥様と食事をいただいたりして、この土地で出来る商いについて語らうことも増えてきた。


 そんな連鎖もまた新しく生まれている。


 ところで――と、楽しそうに味わっていたカラク様が真顔になる。


「そろそろ花も少なくなってきて、訪ねる来客も減りましたが。舞は気がついていましたか」


 シフォンケーキを堪能しているそこで、今度は麗しいお兄様からの説教が始まりそうで、舞は丸椅子の上で姿勢を正した。


「あの……。お花が盗まれているということでしょうか」

「そうです。夏の間に伝えたかったのですが、忙しそうにしていたので。最初は僅かなものだったので、舞も様子見で黙っていたでしょう」


『はい』と舞も神妙に頷き、うつむく。


「次の花の季節には、気をつけたほうがよいですよ」

「心に留めておきます。父にも報告済みで、来年は注意書きや看板を立てようと対策について話しています」

「あのスマートフォンという道具はなんなのですか。あなたたちの世界では、あれを眺めてばかりいて、皆が夢中ですね。あれのために、入ってはいけない花の場所に踏み込んで、まだこれからの苗を踏み倒したり、たくさん咲いているからわからないだろうと、こっそり摘む女性も僕は見ましたよ」


 きっとそうなんだろうなと、花の様子を見回りして、薔薇の数が減っていたり、不自然に切り離されている茎を見つけたりして、舞も心を痛めていた。だが、すぐにお客様を注意する勇気もなかったのだ。


「よく考えてください。花を守るのも舞の仕事だと僕は思っています」


 美味しい焼き菓子を食しているときは無邪気な少年にみえるのに、至極まっとうなことを説くカラク様は神々しくて、敵わない目上の男性の威厳を放つから、舞も父に叱られているかのように、しょんぼりしてしまうのだ。


 そんな舞に気がついたカラク様も我に返ったのか、すぐにいつもの優美な笑みを見せてくれる。


「僕も大事にしたいのですよ。このガーデンを。腹立たしかったのです。綺麗に咲く花たちを平気で摘む人々が。あの撮影にどんな意味があるのですか」


 舞は言いたくなかった。そこに綺麗な花々の情報を発信してくれるからこそ、このカフェとガーデンに人が来るようになったのだから。それは『いいね』や『拡散』で情報通のような優越感を得るためにやっているのだとは、言い切りたくなかったのだ。


 茶道の先生のように良心的なインフルエンサーだって存在するのだ。ただ、そうでない『インフルエンサー願望があるユーザー』がいるのも確かであり、綺麗な花を自分の家に持って帰りたくなる人もいるのだろう。


「それから、もうひとつ。以前もお話したことです。もう一度お話しますよ。今年は乗り切れたようですが、もう少し、ペースを落とした営業を剛さんに提案してください。娘の舞ではないと、お父さんは聞き入れてくれないと思いますよ」


 娘の役割だと言われた。舞も思うところがあり、それにも素直に頷いた。


 お茶の先生というインフルエンサーのおかげで来客が増え、舞の庭を見たさに来客が増え、優大の度外視シリーズを成功させ、さらに来客が増えた。父はその波を逃すまいと、来客制限もしないで、とにかく来る人を受け入れる毎日で忙殺されていた。夜も、いままでとは余裕のない時間を過ごして、非常に早い時間に就寝するようになった。定休日もぐったりしている時がある。


「わかりました。冬の間はローペースの営業になると思うので、その間に養生させておきます。来年についても、提案してみます」


 やっとカラク様がほっとした顔を見せてくれる。


「今日のお茶はなんですか」


 いつもの美味しいもの目当てで訪ねてくるお兄様に戻っていた。

 優大が煎れてくれたアールグレーを一緒に飲む。


「はあ、これも素敵な香りですね」


 アールグレーは元々柑橘の香り。オレンジティー大好きなカラク様も馴染みやすいのだろう。

 こうしてまた、不思議なこの人との時間を過ごせるようになっていた。

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