② 平飼い養鶏場 木村農園

 広い敷地で駐車した車を降り、当たり前のように農作業小屋らしき建物へと向かっていく優大の後を、舞もついて行く。


 駐車場のあたりは舗装されていない土だったが、柵が設置されているその向こうは豊かな緑に覆われている。


 その緑の農場を眺めていて舞は驚く。鶏はそのまま放し飼いにされていてちょこまかと走り回っているのだ。


「え、自由に走り回ってる! ええ、こっちに来る!」


 人間がいるとばかりに、茶色の鶏がケコケコと声を立てながら一斉にこちらに走ってくる! 

 舞は驚いて、柵があるにも関わらず、思わず優大の背中にひっついてしまった。


「あはは。そうなんだよ。これが先輩の家のやり方なんだ。大丈夫だって、そこ網がしてあるだろ」


 優大は余裕だったし、舞がいきなりひっついてもなんともない様子で笑い飛ばしてくれたので、舞からそっと離れた。


 こっちだよと、優大に促され連れて行かれたのは農作業小屋からさらに奥にあるプレハブ小屋だった。


 簡易的につけられているドアをノックし、優大が遠慮なくそこを開いた。


「ちわーす、野立でーす」


 一緒に覗くとそこは事務室のようになっていた。さらに、作業服姿の男性がひとりいる。無精ひげのがたいの良い強面の男性だった。


「おう、優大。久しぶりだなあ」

「仕事の最中にお邪魔しちゃって、すんません」


 もう、相変わらずシャンとしていない挨拶するなあと、舞は顔をしかめる。

 そんな舞が側にいることに気がついた男性と目が合う。


「あ、あのガーデンカフェのお嬢さんか」

「そうっす。こいつに、先輩の卵を食わせたくて連れてきたので、お願いしていたやつ、頼みます」

「おうおう。待ってたわ。むさ苦しいところだけど、こっち来いや」


 強面だけれど、笑顔が温かな人だった。緊張していた舞もほっとして、優大と一緒にプレハブ小屋の事務室に入った。


 事務室なのだけれど、雑然とした中にも、広いテーブルが奥にあった。


「ここ座って待ってな」


 大きなテーブルに三つだけパイプ椅子が並べてあり、優大と並んで座った。


「どうっすか。卵とか景気とか」

「まあ、そこそこだな。俺のところは親父が道筋つけてくれていたから、古い取引先もあるしな」


 男性が向かったのは、食器や湯飲みが収めてある戸棚だった。その横に設置してある流し台で、石鹸で手を丁寧に洗うと、棚から茶碗を二つだけ取りだした。舞と優大がいるテーブルに戻ってくると、テーブルの片隅に置いている電気釜を開けて、持ってきた茶碗に白いご飯をもりもり盛っていく。


「頼まれていたやつな。朝のとれたてだ」


 目の前に置かれたのは、山盛りの白飯茶碗と、卵が盛られているかごと、昆布が入っている『鮭節だし醤油』の瓶だった。


 え、もしや。これは……。舞が目を丸くして戸惑っていると、優大が教えてくれる。


「食ってみてくれ。先輩んとこの、この卵かけご飯、めっちゃうまいから」


 これが……優大が誘ってくれた食事? ワンピースでオシャレをしてきた自分が馬鹿みたいに思えてくる。ちゃんと整ったお店にいくだろうと予測していたからだ。なんて、いつにない女性らしい思考で戸惑っている自分を知り、舞はいやいや、そんなつもりで来たんじゃないと密かに頭を振って、木村氏が持ってきてくれた箸を手にする。


「いただきます」


 優大は大胆に、白飯の上に卵を割り入れ、醤油をぶっかけている。舞もそうした。


 だが卵を割って、ほかほかの白飯の上に姿を現したが特になんとも思わなかった。

 よくある黄色の卵、むしろ少し薄い黄色? レモンイエロー? 自然に育てている卵は濃厚なオレンジ色かと思っていたから拍子抜けだった。


「あ、黄身の色が薄いと思っているのかな」


 木村氏の言葉が図星で、舞はどきりと背筋を伸ばして焦った。


「最近は、黄身がオレンジ色に近ければ濃厚と思われがちな風潮になったけれど、黄身の色は食べさせた飼料によって異なるんだ。いまは外でりょくを食わせているから、タンポポとか食べているとこんな色なんだよ。オレンジ色っぽいのはパプリカの飼料を食べさせている黄身がそんな色になる」


 そうなんだと初めて知った舞は、もう食べる準備をすませた優大を見つめる。


「食ってみろよ。めっちゃ濃厚だから」


 再度、いただきます――と箸を持ち、特製の鮭節だし醤油を舞もいっぱいかけてみる。黄身に箸を割り入れてみたが、弾力を感じる。黄身と醤油が混ざったそこを、舞も優大のように茶碗を口元に持ってきて掻き込んでみた。


「ん! おいしい!! え、甘い、かも!?」


 思わず叫んでしまい、箸を持っているまま、舞は口元を塞いだ。しかし木村氏は嬉しそうに微笑んで頷いている。色の見かけによらずだった。


「これ、俺の代でやり方変えたんだよ。そこらを走っている鶏を自然に育てて、餌を改良して、緑も食べさせてな」

「あんなに元気なニワトリちゃんだから、こんなに美味しいんですね」

「ストレスがないってことなんだ」


 そして舞も気がついた。どうして優大がここに連れてきてくれたのか。


「優大君、もしかして、この卵……」


 一気に食べ終わった優大が、口元にご飯粒をつけたままニッと笑う。


「これ、度外視で使いたいんだ。どうだ」

「うん、いいと思う! ああ、これ、本当にお父さんにも食べてもらいたかったなあ。そう言ってくれたら、お父さんも連れてきたのに」


 残っている卵ご飯を頬張りながら、舞は優大を睨んでみた。彼もいつもの強気な舞の睨みに不服そうな顔になり、目線もそらされた。


 こんなところで、いつもの喧嘩をしても仕方がないかと舞も気持ちを収めようとしたら、テーブルの片隅で食事を見守っていた木村氏が、優大を見てニヤニヤしている。


「そりゃ、父ちゃんなんか連れてくるわけにいかないよな。彼女とせっかく二人きりのドライブなんだべ?」


 木村氏が舞にも、ニヤニヤした目線を送りつけてきた。


「そんなんじゃないっすよ。こいつがカムイのこと知りたいというから、兄貴の本を貸すか剣淵の『絵本の館』に連れて行こうと思って。今日の休みは先輩のところに、この卵のことを頼みたかったから、こいつも『ついでに』連れてきただけっすから」

「あ、そうだったの。カムイのことは、別に次の休みでも良かったんだよ。度外視シリーズのための素材探しを優先してくれて良かったのに」


 真顔で優大に伝えたら、木村氏が大笑いをしたので、びっくりする。


「あー、こりゃ、いかんべな。苦労するかもな優大」

「違いますからっ」


 でも優大が真っ赤な顔をしている。木村氏はまた豪快に笑いながら、紙製の卵ケースにかごの中の卵を並べて収めてくれる。


「これ、お父さんにお土産な」

「おいくらですか」


 きちんと購入しようとしたが、木村氏は優しい笑みで首を振ってくれる。


「これ、お試し品な。そこの店で使ってくれるかどうか、お父さんに聞いてみくれると助かるな。優大から聞きました。エルム珈琲のメニュー開発部長さんだったとか。優大に自由にメニューを作らせてくれ、儲けが出るようになったそうですね。そしてついに、この悪ガキでプータローだった優大に、専用のオーブンも入れることになったとか。うちの卵、どうでしょう」


 あ、そういうことでも連れてきたのかと思った。舞は娘として繋ぎに使われたらしい。いや、この優大にそんな浅ましい策略なんてあるわけないとすぐに思い改める。それに、この地方で販路を開発する苦労を舞はもう知っている。


「父に聞いてみます。お味は間違いありません。あとは父がどう使うかですよね」


 木村氏が頭を下げてくれる。


「ありがとうございます」


 もう優大が気易く付き合っている先輩ではなく、この農場の主の姿だったから、舞も椅子から立ち上がって一礼をした。


「先輩、俺にもくれよ。このまえ頼んだ次の焼き菓子に使うための卵として、試作したいからさ」

「まったく。おまえはさ、言っておくけどな。いつも来たら食わしてやる玉子飯と違うからな。ここからは商売だからな。おまえはうちの卵を使いたいパン職人、こっちはそれを渡すか渡さないかまだ決断していない農場主だからな」

「冷たいなあ。ぜーーったいに、先輩の卵を使った菓子は美味いって。焼けたらもってきますから。あ、先輩の卵を使ったシフォンケーキ、めっちゃ美味いんだよな」

「それ美味しそう。食べたい!」


 舞がその気になると、優大も調子に乗ってくる。


「よっしゃ。今日、家で焼いてやるからさ。先輩、卵ちょうだい」


 木村氏ががっくりうなだれたが、優大はきちんと先輩から卵を購入した。ただし、先輩後輩の付き合いで格安に。




 その後、ハコベラがたくさん咲いている緑地を駆け回る鶏たちを傍目に、こちらも野の花が溢れる農場を案内してもらう。


「おい、舞。あれも野生化していてメドウってやつなんじゃないか」


 農場と大きなご自宅の裏は、スミレ・ガーデンカフェと同様に森林があり、その辺りがそのまま草地になっていた。そこへと優大が先に走って行ってしまう。


 案内をしてくれる木村氏と舞と二人だけになった。


「あいつ、子供っぽいだろ」

「はあ、そうですね。けれど、裏表なくて信じられるというか」

「俺もだよ。だから高校生時代からの付き合いが続いている。ただ、真っ直ぐ過ぎて馬鹿でさ。そこで損をしている。大人の裏表が苦手なんだ。最初に舞さんを傷つけたと落ち込んでいた頃があったよ」


 あの頃のこと、相談していた人がいたんだと、舞は驚き木村氏を見上げた。


「舞さんと一緒に来てくれて安心した。あいつ専用のオーブンをカフェ側が準備してくれると聞いて、俺なんか家族ではないけれど、あいつのいいところをきちんと見出して、引き出してくれた貴女とお父様にお礼を言いたいぐらい。どこにも馴染めなかったあいつが、やっと見つけた自分を生かせる場所なんですよ。よろしくお願いいたしますね」


 丁寧な言葉遣いだからこそ、先輩の愛情を感じられた。そして舞もわかっている。


「木村さんが信頼している大事にされている優大君の姿は、私にも父にも見えているつもりです。私たち父娘も、もう優大君なしにはあのカフェは経営できません」

「あなたが咲かせる花も、お父さんが作り出すカフェの空気も欠かせないものだと、あいつ言っていましたよ。いままで優大がどうしているか、見てしまうと心配になるので控えていましたが、今度は家族でお店に行かせていただきますね。最近、あなたの花畑があちこちで紹介されているので、女房が行きたい行きたいと言っていましたので」

「ありがとうございます。お待ちしておりますね」


 卵のことは父から連絡するようにいたしますと約束をして、その日は木村農場を後にした。


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