風の歌は雲の彼方に

yaasan

第1話 生還

 「敵、重装歩兵、来ます! 数、約百!」


 隣で小隊の副官を務めているコンランドが上擦った声を上げた。


 重装歩兵が砂塵を巻き上げながら地響きを上げて突入してくる。その光景を塹壕から僅かに頭を出しながら小隊を率いるボルドも目にした。


 分厚い鎧や大楯を装備しているため、その進軍する速度は決して速くはない。だが、敵の重層歩兵たちは着実に距離を詰めつつあった。迫り来る重装歩兵は長剣や巨大な斧を手にしていて、それらが朝日を浴びて禍々しい光を放っている。


 普段は感情をあまり表には出さないコンラッドだったが、この光景を目にしては上擦った声を上げるのも無理はなかった。ボルド自身も叫んで逃げ出したいところなのだ。


「こちらの重装歩兵はどうした?」


 叫んで逃げ出したい気持ちを辛うじて押さえ込みながら、ボルドは怒鳴るようにコンラッドに尋ねる。こちらにもオークや巨人族を主体にした重装歩兵隊がいるはずだった。コンラッドは青い顔で首を左右に振る。


「戦線を支える為、全部隊が中央に投入済みです」

「近距離魔法隊は?」

「先程の遠距離魔法攻撃で左翼にいた部隊は、ほぼ壊滅です!」


 コンラッドは青ざめている顔を隠そうとしない。先刻の遠距離魔法攻撃を何とかやり過ごしたばかりだというのに、続けざまの危機的状況だった。


「とにかく、撃ちまくれ。奴等がそこの岩まで近づいたら、こちらも抜刀! 俺に続け!」


 潜んでいる塹壕近くにある大岩をボルドは指し示した。

 絶望を絵に描いたような状況だった。心の底から逃げられるものなら逃げ出したいとボルドは改めて思う。


 鎧や大楯で固められた大型種のオークなどを中心とした重装歩兵を相手にして、手持ちの小銃などは豆鉄砲ほどの効果もない。そうかといって例え抜刀して斬りかかったところで、あっけなくこちらが粉砕されることは目に見えていた。


「第四小隊が近くにいるはずだ。ライオネル! 援軍を呼びに行け!」


 第四小隊は軽装の遊撃部隊として数名の魔道士が配備されている。数名とはいえ魔道士がいれば、この絶望的な状況を多少なりとも好転させられるはずだ。


 命じられたライオネルは塹壕の中で、小銃を両手で抱えながら青い顔をして明らかに震えていた。ライオネルは新兵として半月ほど前に、ボルドが率いる第二小隊に配属されたばかりだった。早々にこの激戦へ投入されるとは運がないと頭の隅でボルドは思う。


「早く行け!」


 ボルドは怒声を発してライオネルの頬を平手で叩く。ライオネルは二度だけ頷くと、弾かれたように塹壕を飛び出して行く。


「いいか、顔や手足だ。とにかく鎧に覆われていないところを狙え。そうすれば奴らの足も止まる。ここを抜かれたら全軍が総崩れになるぞ。いずれ援軍が来る!」


 ボルドはそう小隊を叱咤しながらも、自身が指揮する小銃と長剣しか持たない三十名弱の小隊では、突入してくる百名ほどの重装歩兵を止められるはずもないことは分かっていた。


「来るぞ! 撃て、撃ちまくれ!」


 ボルドが叫んだ時だった。


「通電! 通電!」


 通信兵のクリークが転がるようにボルドの下にくる。長く断線していた有線通信機が後方の司令部と繋がったようだった。


「一五一六、一五一六、後方部隊より遠距離砲、及び遠距離魔法、着弾します。退避命令です!」


 クリークの声には絶望的な響きがある。

 十五時十六分だと? ボルドは腕時計に目を向けた。針は正に十五時十六分を示していた。

 司令部は味方もろともに吹っ飛ばすつもりか! 

 ボルドは心の中で叫ぶと、声を張り上げた。


「伏せろ。後方から着弾だ!」


 同時に周囲が閃光と爆音に包まれる。ボルドも吹き飛ばされて自分の体が宙を舞う感覚を味わっていた。


 だが、これで終わりだと思うとボルドはどこかで安堵する自分がいるのを感じていた。もう本能的な死の恐怖に怯える必要も、仲間の死に心を痛めることもなくなる。

 心を押し殺して悪鬼の如く敵に襲いかかる必要もなくなるのだ。


 ここまでだな……。


 心の中でそう呟いたのを最後に、ボルドの意識がぷつんと途切れた。





 死にたかったわけではないのだが、死にそびれてしまったようだった。

 ボルドが目を覚ますと、その身は病室の中にあった。


「あら、少尉、随分と悪運が強いみたいね」


 ボルドが目を覚ましたことに気づいた看護師の女性が近づいてきた。細身の女性だった。特徴がある長い耳は彼女がエルフ種であることを示していた。


 全身が痛む中、ボルドが身を起こそうと体を捩ると左腕に違和感があることに気がついた。その左腕に黒い瞳を向けると、二の腕から先が綺麗に失われている。途中で失われた二の腕の先には血の滲む包帯が巻かれていた。


「命があっただけでも感謝なさい」


 看護師は体を起こそうとするボルドを制しながらそう言った。

 ボルドは体を起こすことを諦めて、改めてベッドに体を任せる。ベッドも枕も硬かったが、それに対する不満はなかった。不満があるとすれば体全体が訴えている痛みだけだ。


 左腕を失ったことに関しては何の感慨も浮かんでこない。後方から味方に放たれた砲弾や魔法の直撃を受けたのだ。片手一本で済んだのであれば、安い物なのかもしれない。

 ボルドはそう自重気味に思うと、次は小隊の連中がどうなったのか気になってくる。ボルドは看護師に視線を向けた。


「隊の連中がどうなったかを知っているか?」


 看護師は無言で首を左右に振った。


「少尉の部隊がいたところ。そこが激戦地だったこと以外は何も。ただ、怪我をしたのならここに運び込まれているはずよ」


 看護師はそう言うとボルドのベッドから離れていった。

 立ち去っていく看護師を横目で見ながらボルドは大きく息を吐き出した。片手を失った今、もう前線に立つことはなくなったのだと気がついた。砲弾や魔法が入り乱れる中を突撃することも夜襲に怯えることももうないのだ。


 戦場に身を置いた三年間がボルドにとって長かったのか短かったのかはまだ分からない。ただ幾多の仲間、部下や上官が死んでいくのを目にしてきた。いずれは自分がそうなる覚悟もボルドにはあった。そうならなければ先に死んでいった者たちに対して不公平な気もしていた。


 決して死にたかった訳ではない。だが、死んでいった彼らに対して自分は死にぞこなってしまったとの思いが、ボルドの中に強く存在していた。


 「すまんな。俺はここで戦線離脱だ。お前らのところに行くのはまだ先になりそうだ」


 ボルドは誰に言うでもなくそう呟いた。

 気づくと頬には自分の意思に反して一筋の涙が流れていた。

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