「待って! 彼女が牛乳を飲まなかったというだけで犯人と決め付けるのは危険だと思う。ストローを刺すだけにして、飲んだふりをするとか、もっと賢いやり方もあったはず。たった一人だけ牛乳に口をつけないなんて、自らが犯人だと白状しているようなものだし」


 そこで助け舟を出したのは芽衣だった。彼女の言う通り、あからさまに一人だけ牛乳を飲んでいないというのは、あらかじめ牛乳パックに毒が混入されていると知っていたことを自ら証明するようなもの。すなわち、自分が犯人だと言っているようなものである。


 そもそも、どの牛乳パックに毒が入っているのか犯人ですら分からないという仕様は、その目的は定かではないものの犯人が望んだ仕様である。それなのに自分だけ牛乳に口をつけず、結果的に疑われることになったら、間抜けもいいところだ。


「でも、あえて――って可能性もあると思うよ。牛乳に口をつけないという行為は、誰が見たって怪しいし露骨だ。正直、これで本当に副委員長が犯人だったら、これほど馬鹿で間抜けな奴はいないと思うしね。でも、そういう心理を逆手に取って容疑から逃れるために、あえて間抜けな道化を演じているということもあり得る」


 サラサラの髪を、大切そうに指先で弄る伊勢崎。もしかすると、ファンクラブの人間は、テレビ放送での伊勢崎を見て黄色い声を上げているのかもしれない。全国区らしいから、彼のファンが増えるかもしれない。


 カースト上位者から一方的に責められるような形になっている友華は、困ったかのようにオドオドとしながら目を潤ませる。もはや、いつ泣き出してもおかしくない雰囲気だ。


「後45分でぇぇぇす」


 姫乙が顔を上げて残り時間を告げると、足を組み直して再び懐中時計に視線を落とした。司会の取り決めなどがあったせいか、時間の経過がえらく早く感じる。残り45分足らずで答えなど出るのだろうか。


 姫乙が残り時間を告げたことで焦りが生じたのか、事態はどんどんと副委員長犯人説に傾き始めた。坂崎が口を開く。


「考えてみれば副委員長には動機もある。確か、郷野と幼馴染じゃなかったっけ? そもそも郷野が学校に来なくなったのは、このクラスでいじめられてたから――。それは副委員長だって知ってる。郷野と随分仲が良かったみたいだし、あいつの代わりにクラスに復讐しようとしたんじゃないのか?」


 その言葉に胸がチクリと痛んだ。別に郷野のことを無視したくて無視したわけではない。本田などのカースト上位者が郷野をいじめていたから、それ以下の者は従わざるを得ない空気になっていたのだ――と言い訳しておく。自分が標的になったら困るし、クラスから疎外されつつある人間と仲良くするのも、同類だと思われるようで嫌だ。結果、郷野はクラスから孤立をし、そして学校に来なくなってしまった。そんなクラスのなかでも、副委員長だけは郷野にごく普通に話しかけているのを見たことがある。同じようにクラスに幼馴染がいる安藤は、郷野を羨ましく思ったことがあった。


「ねぇ、副委員長。実際のところどうなの? なんで牛乳に口をつけなかったの? 毒が混入されているのを知ってたからだよね? 毒を飲んで死にたくなかったからだよね? 真綾達の命がかかってるんだよ? 真綾達はここで間違えれば死んじゃうけど、アベンジャーは追放されるだけじゃん。正直に白状してよ!」


 真綾のドスの効いた一言がとどめだったのだろうか。友華はしゃっくりのようなものを何度か繰り返した後、瞳に溜めていた涙を一気に放出し、その場に泣き崩れてしまった。小宮山がどうしていいのか分からないといった具合に、誰に助けを求めるというわけでもなくキョロキョロと辺りを見回す。


「黙ってても分かんねぇよ! メソメソしてねぇで答えろって!」


 真綾の言葉遣いがさらに汚くなる。どんな言葉を投げかけても返事のない友華に苛立っているようだが、カースト上位者から袋叩きにされ、特に女子のなかで力のある真綾に脅されれば、誰だって泣きたくもなることだろう。カースト上位者達が思っている以上にスクールカースト制度というものは厳格なものであり、その身分の差は歴然なのだ。


 仲の良い友人を一度に失い、そして挙げ句の果てに犯人扱いをされてしまった友華。そんな彼女を見た途端、安藤の記憶が一気に逆流する。


 彼女は牛乳に口をつけなかった。だからこそ、犯人である可能性がある。しかも、真綾の言及に友華は急に泣き崩れてしまった。これでは、まるで本当に彼女が犯人のようだ。しかし、安藤は気付いてしまった。友華が牛乳に口をつけなかった理由に。彼女は犯人だからこそ牛乳に口をつけなかったわけではないのかもしれない。別の理由で口をつけなかったのではないか。


「――違う」


 一度発言をスルーされているのもあり、意識的に発言しようというつもりはなかった。しかし、気付いた時には、ぽつりと口をついて出てしまっていた。このままでは間違った方向へと議論が転がってしまうかもしれない。これに気付いてしまった以上、友華が犯人だと決め付けるのは危険すぎる。――きっと、生きようとする本能的な部分が、安藤に勇気を振り絞らせたのかもしれない。


「はぁ? 昼安藤は黙っててよ!」


 友華を追求している最中に水を差されてしまったからなのか、真綾からの矛先が安藤へと向けられる。一瞬だけたじろいでしまいそうになるが、けれどもぐっと堪えた。


「違うんだ。副委員長は犯人だから牛乳に口をつけなかったわけじゃない。牛乳に口をつけたくても、つけられなかったんじゃないのかな?」


 まるで自分の口ではないかのように、なめらかに言葉が紡ぎ出される。それに驚いていたのは、誰よりも安藤自身だった。大人しくて地味なキャラクターは、自他共に認めるところがあり、こんな大舞台で、間違っても自ら発言するようなタイプではない。自分の命がかかっているからこそ、どこか吹っ切れたのであろう。


「あ、安藤君。それってどういう意味ですか?」


 委員長の小宮山が安藤の言葉を拾い上げてくれたことで、真綾から向けられた矛先は霧散した。メインで議論に参加している面子は、むしろ安藤の言葉を待っているようにすら思える。このクラスにいて、ここまで脚光を浴びるのは、これが初めてなのかもしれない。


「えっと、これはあくまでも、これまでの副委員長を見て、僕が勝手に思っただけのことだから、確証はないです。でも、副委員長が牛乳に口をつけなかった理由としては、充分にあり得ることだと思います」


 安藤の発言により、一時的に友華への集中砲火が途切れる。それでやや落ち着いたのか、友華は涙を拭いながら顔を上げる。安藤は自分の推測をぶつけた。それは、ささいな日常から切り取った情報を繋ぎ合わせただけの、心許ない推論であった。


「ふ、副委員長はもしかして――なんじゃないかな?」


 安藤の言葉に、辺りが静まり返った。何か変なことを言ってしまったのかと不安になったが、しかし大きく首を縦に振った。友華はキョトンとした様子で目を丸くするばかりだ。

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