第18話 宿屋にて

「ふぅ……」


 宿屋の個室に入ったマルクは、ほっと一息ついてベッドの脇に腰を下ろす。


 カーミラやクラリスは、マルクと一緒の部屋になろうとしていたが、そこを押し切ってなんとか一人の部屋を確保することができたのだ。


「これじゃ……身がもちませんー……」


 脱力しそう呟くマルク。やはり、年頃の少年にあの環境は刺激が強すぎたのだ。


「やっと一人になれました……なんだか落ち着きますー」

「わたしが……いる……」


 その時、マルクの懐からスライムの声が響く。


「……そうですね。ちゃんと分かってますよ」


 マルクは瓶に入ったスライムを近くの机の上に置いた後、続ける。


「でも、スライムって人間と同じ数え方をしていいんですか?」

「いっしょがいい」


 スライムは瓶の中でぐねぐねと動きながら返事をした。


「そう言うなら、そうしますけど……」

「そうして」


 即答するスライム。どうやら、だいぶ元気を取り戻したようだ。


「あの……傷の方は大丈夫ですか?」

「うん。だいぶよくなった」

「ごめんなさい……さっきは結構遠慮なく攻撃しちゃって」

「あばれたのはわたし、だからだいじょうぶ」


 目玉を瓶の側面にくっつけながら、スライムはそう答える。


「とにかく、元気そうで安心しました」

「うん。それに、あなたがまりょくすってくれたおかげでらくになった。ありがとう、ニンゲンのコドモ」

「……僕の名前はマルクです」

「まるこ?」

「マルクです! あと、子どもじゃありません……」

「わかった、ちゃんとおぼえる。よろしく、まる……く」

「一瞬だけ迷いが見えましたが、正解してくれたのでいいです。――それで、キミはなんて名前なんですか?」

「わたしはただのスライム。なまえなんて、ない」

「そう……ですか。困りましたね」

「スライムって呼んでくれればいい」

「そういうわけにはいきませんよ……」


 マルクは、スライムと会話をしながら、ふと立ち上がって服を脱ぎ始める。


「わっ!」


 突然の奇行に驚き、浮かび上がらせていた目を引っ込めるスライム。


「ま、まって……!」

「あれ、どうかしましたか?」

「なんでぬいでるの……っ!?」

「体……べとべとですから。僕お風呂入ってきますね」

「わたしの、いないところでぬいで……!」

「どうしてですか?」

「はずかしいから……っ!」

「…………? 分かりました。それじゃあ、もし何かあったら大きな声で僕を呼んでくださいね」

「うん……っ!」


 マルクはそう言い残して、脱衣所へと向かう。


「人間の裸を恥ずかしがるなんて、変なスライムですね」


 そして、服を脱ぎながらそんな独り言を呟いたのだった。



 風呂から上がったマルクは、早々にベッドの中へ潜り込む。どうやら、かなり疲れが溜まっているようだ。


「…………マルク」


 目を閉じ、眠りかけていたマルクは、スライムの声で目を覚ました。


「ふぇ……? なんですか?」

「となりでねたい」

「えっと……僕の?」

「うん。びんからだして」


 そう言われ、マルクは考え込む。


 ――ひょっとしたら、今までのは全て演技で、瓶から出た瞬間に襲いかかってくるかもしれない。


「……だめ?」


 そんなマルクの胸中を察したのか、スライムは浮かび上がらせた目を潤ませながらそう問いかけてくる。


「うっ……いいですよ」


 結局、マルクはその可愛さに負け、スライムを瓶から出してあげることにした。


「これ、シーツとか汚れちゃわないかな……?」

「だいじょうぶ、よごさないようにする」


 スライムはそう答えた。


 マルクが瓶の蓋を開けると、スライムはどろりとこぼれ落ち、ベッドの中に潜り込んでくる。


 触ってみると、冷たくて意外と気持ちが良かった。


「マルク、あったかい」


 スライムは、マルクの腕にへばりつきながら、囁くような声で言う。


「ライムは冷たいですね。ひんやりしていて、気持ちいいです」

「らいむ?」

「はい。キミの名前、お風呂に入りながら考えたんです。……ライムなんてどうですか? スライムだからライム。やっぱりちょっと安直すぎますよね……」

「ううん、すごくいい」


 ライムはそう言いながらぷるぷると震えた。恐らく喜んでいるのだろう。


「わたし、これからライムちゃんになる」

「気に入ってもらえたみたいで良かったです」


 マルクは小さなあくびをして続ける。


「僕……もう寝ますね。……お休みなさい、ライム」

「うん。おやすみ、マルク」


 それからすぐ、マルクとライムは眠りに落ちた。






 そして翌朝マルクが目覚めると、服を着ていない赤い髪の少女が、すーすーと寝息を立てながら体にまとわりついていたのだった。

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