骸骨を乞う

那須儒一

名も無き英雄

 英雄、この国でそれを指し示す人物は1人しかいない。ダルホス・ロイ・ウィンチェスター。英雄を挙げよと言われれば、誰しもが真っ先に口にするであろう名だ。


 ダルホスは剣の腕もさることながら、そのカリスマ性も相まって多くの民から指示を受けている。


 かくいう俺もそんな民の1人だ。しかし、この時の俺はまだ青く、英雄の功績が数多くのむくろの上に成り立っていることなど考えもしなかった。


 俺が生まれ育ったエウリオ王国は、“雷鳴の英雄”ダルホスの指揮のもと帝国フェリンへ侵攻していた。


 幾星暦いくせいれき1356年。侵攻の要であるフェリン帝国の南に位置する風鳴かざなき砦を占領すべくエウリオ軍は三里さんり手前の森の中で野営をしていた。


「よう!明日はいよいよ大詰めだな」


  野営地で夕食のロールパンを頬張っていると、俺と同い年ぐらいの少年が声を掛けてきた。


「そうだな。英雄ダルホス様の元で戦えるなんて夢みたいだ」


「なんだ、お前もダルホスに憧れて徴兵に志願したくちか?」


「お前もってことは…キミもかい?」


 俺の言葉を受け少年は照れくさそうに、そばかすが目立つ鼻を掻いた。


「なになに、ダルホス様の話?」


 これまた同じぐらいの齢の少女が、丸い目を見開き赤毛を揺らしながら会話に割って入ってきた。


 ダルホス・ロイ・ウィンチェスター。平民の生まれでありながら、数多くの戦で功績を残し国王様から貴族の爵位を賜った英雄。


 建御雷神タケミカヅチの剣である布都御魂ふつのみたまを携え、数々の戦を勝利へと導いてきた。俺たち平民の憧れの存分だ。彼の影響で騎士を目指す若者も多く、長き渡る大戦にも関わらず兵力が衰えなかったのは英雄に憧れ、騎士を志願する者が絶えなかったからである。


 また、此度の戦で功績を挙げた者は国王直属の黄刻騎士団おうこくきしだんへの入隊も夢ではないとのこと。


 本来であれば黄刻騎士団の入団には、騎士になり数々の功績を挙げなければならない。俺なんかが入隊できることは、亀がうさぎ跳びをするぐらいあり得ない話だったのだが…帝国の占領を目前としている中、功績を挙げた者の入団を許可するというお達しが国王から出された。


 木こりを生業とし生まれてこの方、斧以外の獲物を持った事のない俺にとってはまたとないチャンスであった。


 互い名も知らぬ者同士でダルホス様の数々の武勇伝を語らい合い侵攻前に士気を高めていた。


「キミたち、誰の話をしてるのかな?」

 盛り上がる俺たちの背後から、爽やかな若い男の声が聞こえてきた。


「誰って、そんなの決まってるだろ?英雄ダルホス様の…!」

 そばかすの少年の言葉はそこで止まり、目を見開いたまま硬直している。


 俺は何事かと振り向くと、今度は赤毛の少女が感極まったように叫ぶ。

「きゃー!ダルホス様よ」

 少女は驚きのあまり泡を吹いて卒倒した。


 これが…ダルホス…様。

 恥ずかしながら俺は、ダルホス様の顔を見たことが無かった。数々の武勇は噂で伝え聞いていたが、こうして実物を拝むのは初めてだ。


 爽やかな声が似合う甘いマスク。流れるように跳ねる黄金色の髪は彼の“通り名”を体現しているようだった。


“雷鳴のダルホス”。噂によると…対峙した者が雷鳴を聞いた時には、既にあの世に逝っているとかなんとか…。


 突然の英雄の登場に皆が固まっていると、ダルホス様は周囲の反応など意に返さず俺の眼前まで歩み寄る。

 そして、そのまま俺の手を握り何かを手渡すと、そっと耳打ちをした。

「キミは英雄になる素質があるよ。明日の戦ではこれを持って砦の城壁に突っ込んでほしい」


 俺は訳も分からず手渡された物を確認する。

 手のひらに収まるぐらいの黄金色の針のようなものであった。

「何ですか…これ?」


「それは御守りだよ」


「御守り?」


「まぁ、魔法の針だと思ってくれていい。これを砦まで持っていけるかが勝利の鍵となる。その大役をキミに任せてもいいかな?」


 突然の提案に俺は戸惑い、どのように返答すればいいか分からずにいた。


 すると、これまで黙っていたそばかすの少年が口を出す。

「ちょっと待って下さい。ダルホス様!そんな大役、こんな亀野郎に任せて大丈夫なんですか?オレなら、もっと上手くやれますよ! 」


 「おいおい、さっきまで意気投合してたのにその口振りはなんだよ」


「いや、この役は彼にこそ相応しい。それともなにかい。君は僕の判断が間違っていると言いたいのかな?」


「そんな…滅相もないです」

 ダルホス様に気圧され、そばかすの少年は気まずくなったのか頭を下げその場から離れていった。


「すみません」

 何故か俺も居たたまれなくなりダルホス様に頭を下げる。


「どうしてキミが謝るんだい?人にはそれぞれ定められた役割がある。キミも明日の戦いの英雄として役割を果たせるよう頑張ってくれ」


 ダルホス様はそう言つと後ろ手に手を振りながら去っていった。


 俺はこの御守りとやらの使い方や具体的に何をすればいいか気になったが、英雄を前に緊張してそれ以上は何も聞かなかった。


 俺は未だ卒倒している赤毛の少女を背負いテントまで連れて行き寝かせた。


 満点の星空を眺めながら、かつてない高揚感に支配された俺は興奮して、結局一睡もできずに作戦を迎えることとなる。


 夜天ニ《やてんに》のこく…本隊は砦への突撃準備を整えていた。風鳴かざなきき砦は平野のど真ん中に位置している。その周囲は矢の射線を通すため周囲の木々を伐採し更地にしている。


 敵兵は風精シルフの加護で、二里先まで届く矢を放つ。砦に辿り着くまでに部隊が全滅することなんてざらだ。


 侵攻は砦からの視界が通らない夜を狙う。かつ敵に気付かれないように小隊で奇襲をかけ混乱に乗じて本隊が攻め込む算段だ。本作戦では俺たちの小隊が砦付近まで到着出来れば、勝利出来るとのこと。


 具体的な作戦内容は聞かされないまま決行となる。


 10名で編成された小隊は軽装の鎧の上から漆黒のフード付きマントを羽織り、身を屈め夜の平野を移動していた。


 そばかすの少年は同じ小隊だというのに、あれから口を利いてくれない。


 俺の隣を並走している赤毛の少女が不安そうな声で話し掛けてきた。


「ねぇ、ホントにこの方角で合ってるの?」


「大丈夫だよ。小隊長が案内してくれる」


「シッ!」

 小声で話す俺たちに、小隊長が静かにしろと暗に注意する。


 隊全員が漆黒のマントを羽織っているここと、奇襲を成功するため月夜が陰るこの日を狙ったのだ。


 そのため周囲の気配に気を配らねば、隊からはぐれてしまいそうなほど辺りは暗かった。


 俺は英雄になりたいと流行る気持ちを押さえながらも、隊から離されないように駆ける。


 忌み嫌われていた自身の名が世に轟くことを想像すると、知らず知らずのうちに笑みがこぼれていた。


 一瞬、空が閃く。

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「なんだよ…これ…」


 どれくらい気絶していたのか、目を覚ました時には夜が明けていた。


 辺りを見渡すと…炭化した骸、砕けた鎧。巻き上がる粉塵。

 先刻まで夢を語り合った仲間たちが残骸となって平野に転がっていた。


 眼前にそびえ立つ砦は瓦解し火の手が上がっている。


「うぐっ…おぇ」

 鼻をつく肉の焦げた臭いが骸のものだと理解し、胃液が逆流する。

 たまらず、地面に吐瀉物としゃぶつをぶちまけた。


 視界がぐらつきそ再び俺の意識は途切れる。

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