青春の残滓
小さい頭巾
1、青春の残滓(1)
この物語はフィクションである。
両親は共働きで、日が暮れるまで僕は毎日家で一人だった。寂しくないかとよく聞かれたが、それが僕にとっての普通だったし夜には母も父もいた。だから寂しいと思ったことは一度としてなかった。
あれは中学の時だ。勉強も運動もたいして得意でない上に協調性に欠けていた僕は、中学の頃目立たないグループに属していた。友人が多いわけでもコミュニケーション能力に自信があるわけでもなく、狭いコミュニティの中で気楽なやつと好きなことだけを話して中学生活を過ごしていた。だから恋やら青春やらには疎かったし、縁もなかった。
そのくせ心の中では男を取っ替え引っ替えしている女子を馬鹿にしていたし、偉そうに仕切りたがるだけで目立っている不細工な女と付き合っている男をメクラにでもなったのかと憐れんだりしていた。
恋も青春もわかっていないというのに、他人のそういうところだけは否定していた。きっと僕は彼らを羨ましく思っていたのだろう。彼らは不器用であったり、容姿に欠点を抱えていても青春にしがみついている。しがみついて楽しんでいる。それができるのが羨ましかったのだ。
美男美女が恋愛にうつつを抜かしていたり、優しくて運動ができる男がモテたり、お淑やかで謙虚な女がモテたりするのは納得がいった。だから触れもしないし見もしない。僕が拒絶するのはそういう他人から見ても完璧な恋愛ではなかった。それはもう別世界だ。完璧から離れているやつが、きちんと青春していることに、僕は妬んでいたんだ。
いじめられていたわけじゃない。校則を無視して髪の毛をワックスでガチガチに固めているような奴らにいじられることはあれど、パシられたり、暴力を振るわれたりすることはなかった。ただ、もし僕がこの世界から急にいなくなってしまったとしても、きっと影響はなかっただろう。一緒に連んでいたやつが少しくらい悲しんでくれたかもしれないけれど、クラスメイトの大半は僕がいてもいなくても日常に変わりはなかったと思う。僕はその程度の存在だった。いじめられているくらいの方がむしろみんなの記憶には残っていたかもしれない。僕のことを覚えているやつは果たしているのだろうか。
ある日のことだった。クラス内ヒエラルキー上位の一人、A君が「話がある」と僕を放課後呼びつけた。A君とはほとんど接点がなく、まともな会話をした記憶は一切なかったということもあり、急な呼び出しには不信感を抱かずにはいられなかったが断る理由もなかった。
駐輪場で待つA君に声をかけると、A君は「おお、おつかれ」と気さくに返事をしてきた。A君は男の僕から見てもかっこいい顔つきをしていた。運動もできていたし、頭も悪くはなかった。勉強の成績は平均値くらいだったと思う。ただ何より彼には人を引き付けるカリスマ的な魅力があった。誰からも好かれる気さくさと、明るさがあった。そんな彼が僕にこう言ってきたのだ。
お前の部屋を少し貸してくれないか。
聞くと、両親共に家にいない僕の家はA君にとってうってつけらしかった。悪いことをするわけでもなく迷惑はかけない。ただ、少しの間だけ部屋を開けて欲しい。彼はそう言う。詳細を聞こうにもA君はあまり話したがらなかった。しかし僕は彼を怪しいとは少しも思わなかった。何故だろうか。これがA君の持つカリスマ性とでもいうのだろうか。彼のことは何も知らない。信用に値する人間かどうかなんてわからない。それなのに気づくと僕はA君のお願いを受け入れていた。
心のどこかで、A君のようなヒエラルキーの高い男に恩を売っておくことが、僕にとってもプラスに働く可能性があると少しは考えていたのかもしれない。
先に帰って部屋を少しばかり片づける。程なくして僕の家に来たのはA君だけではなかった。A君は一人女の子を連れてやって来ていた。クラスメイトの女だった。A君は僕の部屋に入るなり、僕を部屋から追い出した。
すまん、終わったら声かけるから。
あの女は……サクラだ。
クラスメイトのサクラ。
校則を無視して髪を茶髪に染めている彼女は、学校に来るのも週に一回程度。登校してきたとしても自分の勝手で帰ってしまうような不良女だった。僕は目を合わせたことすらない。心の底から嫌いなタイプの人間だった。もし彼女を一緒に連れてくると聞いていたら、きっと僕は断っていたに違いない。が、今となっては後の祭りだ。
僕の部屋で二人が何をしているのかはすぐに分かった。A君は僕の部屋をラブホ代わりに使う算段だったようだ。僕はリビングでA君達が事を済ますまで待つしかなかった。外まで声が聞こえてきたり床が軋む音でも響いてくれば、まだ良かったのに。そんなものは一切なかった。ただ時間だけが過ぎていく。何かして待とうとも思うが、彼らが僕の部屋でしていることを考えると、何をしても気が散ってできやしない。
三十分くらい経っただろうか。A君はサクラを連れて部屋から出てきた。僕に両手を合わせて「悪いな、さんきゅ」と、玄関で靴を履く。サクラは僕のことを横目で一瞥だけすると、そのまま無視してA君の右手を握った。肩を揃えて帰る彼らの背中を見送った僕はすぐに部屋に戻った。
僕の部屋は既に僕の部屋ではなくなっていた。少し布団が乱れていたことと、明らかに僕の物ではない隠毛を数本見つけ、ティッシュの位置は変わっていた。
肺に取り込む空気が、普段より湿っているような気がした。これが、青春の、恋愛の、残り香なのだろうか。
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