第六話 ラスティネイル


 今日のバーシオンには少しだけ毛色が悪い客が来ていた。

 前回は常連に連れられてきたのだが、今日は初めて見る女性を連れて来ている。


「おい。バーテン。ウィスキーのロック」


 マスターは、失礼な客には目をくれずに、安いウィスキーの封を切って、ロックグラスに注いだ。


 周りの視線を気にしないで、男は連れてきている女性に話しかけている。

 女性は、迷惑そうな表情をして居ることから、無理矢理に連れてこられているのは、誰の目にも明らかだ。


 そして、女性はマスターが封を切ったボトルを見て、笑いそうになっている。

 奥に並んでいるボトルではなく、わざわざ封を切ってまで出したボトルだが、女性の感覚では1000円もしないボトルだ。置いてあるのが不自然に感じる。男は、出されたウィスキーに口をつけるが、何も言わない。気が付いていないのに、女性は笑いそうになってしまった。


「マスター」


「はい。なんでしょうか?」


 男が何か怒鳴っているが、マスターは完全に無視している。


「HAKUはある?」


「ございます」


「そう、ブラッディ・メアリーをお願い」


「おい。バーテン。俺にも、同じ物を出せ」


 男が、同じ物と言っているが、多分解っていない。


「かしこまりました」


 マスターは、女性に視線を送って了承の言葉を口にした。


 HAKUを取り出して、氷を入れたタンブラーにウォッカとトマトジュースとレモンジュースを注いで、ビルドする。

 HAKUのメーカーが出している瓶ビールを取り出して、栓を開ける。


 マスターはブラッディ・メアリーを二人の前に置いてから、ビールを注いだグラスを横に置いた。


「ブラッディ・メアリーです。チェイサーにビールを用意しました。タバスコ、塩、胡椒などの準備もあります。おっしゃっていただければ準備をいたします」


「ありがとう、マスター」


 男は、トマトジュースだと言って一気に飲むが、ブラッディ・メアリーは意外とアルコールが強い。12-3度くらいある。


「バーテン!水を出せ!チェイサーは水だろう?何も知らないのか!」


 男が騒ぎ出した瞬間に、女性が立ち上がって、マスターが新しく開けたウィスキーのボトルを持ち上げて、封を開けて、男の頭にかけ始めた。


「マスター。ゴメン。店を汚してしまった。みなさん。お騒がせしました」


 男が呆然としている間に、女性は男の財布を取り出して、10枚の万札を置いて、立ち上がった。

 男の首にかけてあった下品な金のネックレスを持って、店を出ようとする。


「よろしければ、またおいでください」


「あら、ありがとう。マスター。また来ます。今日は、お騒がせしました。今度は、一人で来ますね。お会計は、それでお願いします。余ったら、清掃代とお騒がせしたお詫びに皆さんのお会計の足しにしてください」


 女性は、何か怒鳴っている男を引っ張って店から出ていく。

 あの手の輩は根に持つことが多い。


「マスター。安心して、対処しておく」


 常連の男がマスターに話しかける。


「任せる」


 マスターはおもしろくなさそうな表情を一瞬だけして、普段の表情に戻る。


「そうだ。マスター。明日。大丈夫?」


「あぁ」


--- 翌朝


「マスター。ゴメンね」


「あぁ」


 仮眠をとってから、始発前の時間に店を開けた。


 男が連れてきたのは、一人の女性だ。

 まだ20代の前半。キョロキョロとして、バーに来るのも初めてな感じがしている。


「あの・・・。私は」


 マスターは自己紹介をしようとした女性を手で制した。


「必要ない」


「はぁ」


「まぁまぁ座って、マスター。ラスティネイルを、僕と彼女に」


「わかった」


「ラスティネイル?」


 マスターは、棚からバランタインをカウンターに置いた。女性が飲みなれていないと考えて、中でも癖の少ないスコッチウィスキーを選んだ。


 氷を入れたロックグラスに同量のドライブイを注いでからビルドする。


 コースターを置いた場所に、琥珀色の液体が注がれたロックグラスを置いた。


「ラスティネイルです。アルコールが強いので、ゆっくりお飲みください。チェイサーにお水を用意しました」


「綺麗・・・」


 女性は、ロックグラスを持ち上げて、液体を見てから溢すように言葉を紡いだ。


「ありがとうございます」


「マスター。ラスティネイルのカクテル言葉は?」


「・・・。『私の苦痛を和らげる』です」


「え?」


「マスター。これ」


 男が懐から取り出した封筒を受け取った。

 封筒には、四枚の紙が入っている。一枚は、新聞の切り抜きだ。


 有名大学の学生寮で、大麻と覚せい剤が見つかったというニュース記事と、マスターの目の前に座っている女性が容疑者として警察に連行される様子がおさめられた写真が添えられた新聞の切り抜きだ。


 二枚目は、女性の取り調べの様子と最終的には、不起訴となった内容が書かれたメモだ。


 三枚目は、女性の両親だと思われる者の死亡通知書だ。


 四枚目は、事件の流れが報告書として書かれたものだ。警察組織が使うフォーマットだが書いたのは警察組織に属している者ではない。


 四枚をしっかりと読んでから、マスターは封筒に紙を戻して、男に返す。

 男は、受け取った封筒を懐に仕舞う。


「マスター。リブートとの連絡を彼女に任せたい。許可を貰えるかな?」


「わかった」


「え?え?まえ」「ここでは、名前は呼ばないようにね」


「え?はい?あの、私・・・。今日、リブートのオーナーに合わせてもらうと・・・」


「だから、合わせているよ?」


「??」


「マスターがリブートのオーナーだよ?」


 大きな声が店に合わないと思ったのだろう、出そうになる驚愕の声を手で抑えながら、パクパクしている。


「美和には?」


「マスターの許可がもらえたら連れて行くよ」


「頼む」


 まだ女性は驚いた状態が戻ってきていない。

 今日だけで、いろいろ有ったのだろう。


「スケープゴートか?」


「そうだね」


「それで?お前が、自ら連れてきたのには意味があるのだろう?」


「責任は、彼女にもあった。脇が甘かった」


「そうだな。同室か?」


「うん」


「そいつは?」


「介入が入る前に、海外に逃げた」


「そうか・・・。どっち側だ?」


「どっちにも・・・」


「対処は?」


「おわった」


「そうか・・・。それで?」


「彼女には伝えていない」


「お前の仕事だ」


「解っている。解っているけど・・・」


「解っているなら、さっさとやれ、お前以外に適任が居るのか?」


「・・・。わかった」


 男は、ラスティネイルを一気に喉に流し込んだ。

 アルコールで喉を焼いて、女性をしっかりと見る。


 女性は、感情に蓋をしている。

 自分の責任で、両親が自殺した。と、思い込んでいる。この思いは、同じような経験をした者にしか解らない。感情が完全にわかるわけではない。男も”わかる”とは言わない。


 そして、チェイサーの水を飲み干して、本題を切り出す。


 女性を貶めた者たちと、その結末を・・・。


 女性は、最初は物語を聞いているのと勘違いした。

 自分が巻き込まれた、”よくある”話を、男から聞かされた。


 女性は、笑顔を顔に張り付かせて、黙って男の話を聞いた。


 マスターは男が話している最中に、一度だけ男のグラスに水を注いだ。


 女性が持っていたグラスで最後の氷が溶ける音がした。バーに静寂が降りてきた。


「あの子は?」


 静寂を破ったのは女性からの質問だ。


「彼女も被害者だった。でも、自らの過ちを正すチャンスを潰した報いは受けている」


「そう・・・。学校や警察・・・。特に、マスコミとかいうクズは?」


「学校の責任者は死んだ」


「え?」


「自ら命を断った。警察の責任者は、行方不明だ。マスコミの奴らは・・・」


「そう・・・。パパとママと同じ?」


「違いますよ」


「え?」


「貴女のお父様とお母様は、最後まで貴女の心配をしていた。貴女を信じていた」


「でも・・・。それなら・・・」


「お父上とお母上は、殺されました」


「え?」


「不自然すぎます」


「・・・。誰が・・・」


「それは、貴女が見つけるべきです。貴女なりの答えがあるはずです」


 グラスを磨いていた手を止めてマスターは女性をしっかりと見つめる。


「答え・・・。ですか?」


「そうです。お父上とお母上の無念を晴らすのは、貴女の役割ではないのですか?」


 女性は、少しだけ薄くなってしまったセピア色の液体を一気に飲み干した。


「けほ、けほ、くぅーー」


「お水です」


 マスターは新しく入れた冷えた水を女性に渡した。

 頭を下げながら水を受け取って、洗い流すように一気に飲んだ。


「ありがとうございます」


 女性は、マスターに礼を伝える。なんに対しての礼なのか、マスターと女性だけが解っていれば十分だ。


 そして、カバンから名前の欄が空白になっている誓約書を取り出した。


 マスターはペンを女性に渡した。


 女性は何も言わずにペンを受け取って、署名をして、男性に誓約書を渡した。


 男性は誓約書を受け取って先ほど懐に入れた封筒に誓約書を綺麗に折りたたんで仕舞った。

 一人の女性が、身に闇を纏った瞬間だ。

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