第二話 クロンダイク・ハイボール


 バーシオンは、営業時間を変更して、店を再開した。


 静かなオープンだ。

 再開を祝う花束は存在しない。マスターが遠慮してもらうように伝えていた。それでも送ってきた花は、店の中に飾ってある。


 営業時間は22時から始発までだ。

 各種届け出も済ませた。フードを出すために手続きが必要になった。


 繁華街で、4年以上の期間が経過している。

 馴染みだった客の殆どが、繁華街を離れている。


 しかし、マスターからの再開の連絡を受けて、”客”として顔を見せに来てくれていた。


「マスター。久しぶり」


 女性は、以前にマスターに”裏”の仕事を頼んでいた。

 店に顔を出したのなら、問題が解決したことを意味する。


 そして、マスターは左手の薬指に光るリングを見止める。


「お久しぶりです」


 カウンターに座った女性は、マスターの表情が以前と違うことに気が付いた。

 そして、カウンターの奥に飾られている写真を見て、納得した。


 以前までは、古びた写真だけが飾られていたのだが、そこに数枚の写真が加わっている。

 バーシオンの常連なら知っている奥のカウンター席の話。

 そこに、加わった新しい写真が、マスターの心を軽くしたのだと理解している。


「軽めで・・・。一杯。お願い」


 マスターは女性を見つめて、冷蔵庫から、オレンジジュースとレモンジュースを取り出す。


 よく冷やされたカクテルグラスを用意する。


 30mlのオレンジジュースとレモンジュースを、氷を入れたシェイカーに注ぎ込む。そこに、砂糖を小さじに一杯。アンゴスチュラ・ビタースを2滴ほど垂らしてから、シェイクする。

 小気味いい音が店内に響き渡る。


 カクテルグラスに注いで、女性の前に置いた。


「フロリダです」


「マスター?」


「予定日は何時ですか?」


「え?」


「アルコールは控えた方がいいですよ」


 マスターは、それだけ告げた。

 女性は、恥ずかしそうにしてから、フロリダを一気に煽る。


「マスター。ありがとう。”元気”な赤ちゃんを産むね」


「はい」


 マスターは、また来て欲しいとは告げない。

 女性も、マスターが何を思っているのか解るのか、財布を取り出す。


「ご結婚のお祝いに、サービス致します」


 女性は、それでも財布から1万円札を取り出して、テーブルに置いた。


「マスター。おつりは、再開のお祝い。あと、もし、私の後輩が来たら、話を聞いてあげて・・・。お店は、もうないけど・・・」


「わかりました。お預かりいたします」


 マスターは、出された1万円札を受け取る。

 女性は、嬉しそうな表情を見せて、店を出る。


 終電までには十分な時間がある。


 時計の針がてっぺんを指すくらいの時間になると、顔なじみに連れてこられた客が現れて、再開のお祝いを告げてから、一杯だけ飲んで夜の街に消えていく。


 終電が終わる時間になると、客足がとまる。


 2時くらいになると、街からの雑踏も消えて、繁華街の一部に静寂が訪れる。


「マスター」


 いつもの男が店に顔を出す。


「こっちに来ていたのか?」


「うん。向こうは、森下女史に任せれば大丈夫だよ」


「そうか。何か飲むか?」


「そうだね。クロンダイク・ハイボールを二杯お願い」


「二杯か?」


「そ」


 ドライ・ベルモットとスイート・ベルモットとレモンジュースと砂糖を、氷を入れたシェイカーに入れる。


 冷やしたタンブラーを取り出して、氷を入れる。

 シェイクした液体を注いでジンジャエールで満たしてからステアする。


「クロンダイク・ハイボール」


 二杯を男の前に置く。


「ねぇマスター。どっちが”建前”で、どっちが”本音”」


「さぁな。お前が最初に口を付けるのが、”建前”だと思うぞ?」


「ははは。いいね。今度、使わせてもらうよ」


「好きにしろ。それで?」


 男が、封筒を取り出して、マスターに渡す。


 マスターは、封筒の封を切って中身を確認する。


「ん?」


「どうしたの?」


「なんでもない。これは、確定なのか?」


「うん。しっかりと調べた結果だから、間違いはないよ」


「わかった」


「受けてくれるの?」


「あぁ」


 マスターは、店の電飾を落して、閉店の看板を出す。


 男が持ってきた資料を読み込むために、奥の部屋に引っ込む。


 男は、出された”クロンダイク・ハイボール”を飲んでいる。

 壁に掛かった写真を眺めながら・・・。


---


 1時間くらいしてから、マスターが奥から出てきた。


「何か食べるか?」


「マスターと同じ物でいいよ」


「そうか・・・」


 冷蔵庫から、白いおにぎりを二つ取り出して、電子レンジに入れる。

 温めたおにぎりをフライパンの上に並べて、醤油を垂らす。


 焦げ目がついてきたくらいで裏返す。そして、同じように醤油を垂らす。


「簡単に、焼きおにぎりだ。十分だろう?」


「うん!ありがとう」


 男は、皿に乗ったおにぎりを箸で切り分けてから口に運ぶ。


「逃がすよりも、原因を取り除いたほうがいいと思うのだが?」


「うん。僕たちも、依頼人にそう伝えたのだけど、”逃げたい”みたい」


「家族も一緒か?」


「ううん。クライアントの依頼は、ターゲットだけを逃がして欲しいみたい」


「ん?高校生だろう?クライアントは・・・。あぁ祖父母か?」


「そう。母方の祖父母。問題は、学校だけじゃなくて、両親もだけど、酷いのは、父方の祖父母」


「そうか・・・。高校生だと、”繁華街に来い”は、無理だな。目立ってしまう。それに・・・」


「うん。それでね」


「なんだ」


「ターゲットからのお願いだけど・・・」


 男は、新しい封筒を取り出して、マスターに渡す。

 新しい封筒は、封はされていない。中には、便箋が入っていて、女子高校生が書いたと思われる依頼が記載されていた。


 マスターは、一読してから、男に封筒を返す。


「マスター?」


「池袋よりも、永田町の方がいいだろう。ターゲットに伝えろ。永田町の駅で、ターゲットがやりたい事をやって、改札に向けて、走れ、そのまま赤坂見附まで逃げるように言え、そこから、地上に出ろ。決行日に車を回す」


「赤坂見附?そうだね。監視カメラが少ないから、死角を教えておくよ」


「それで十分だろう?池袋や新宿よりも、シンプルだけど見つかりにくい」


「わかった。そのまま、リブートへ?」


「そうだな。港北PAで乗り換えればいいだろう?」


「わかった」


「荷物は?」


「無いらしいよ。全部、置いていくことにしたみたい」


「そうか・・・。松原さんには、保護プログラムの適用が可能か聞いてくれ、祖父母はどうする?」


「落ち着いたら、祖父母の所で生活をする。その為にも、リブートで夜学に通って、高校卒業の資格を取って、大学に入ることに決めたみたい」


「しっかりと考えているのだな」


「うん」


「トリガーは、お前たちに渡しておく、俺はいつでも動けるようにしておく」


「うん。マスターには、両親の抑えと祖父母。父方の祖父母への情報提供をお願い」


「わかった。自然な形で、情報が流れるようにしておく」


 マスターは、資料に目を落とす。

 そこには、顔に痣を作った女子高校生が映っている。


 日常的に暴力を受けている。

 学校でも、家庭でも、逃げ場がない状況で、優しかった祖父母に助けを求めたが、祖父母は孫の手を取らなかった。絶望した女子高校生は自殺を考えた。自殺する場所を求めて、街を彷徨っている時に、組織の者に遭遇した。

 そして、リブートの話を聞いた。


 リブートの調査員が女子高校生の現状を調べて、リブート案件だと判断をした。

 資金は貸し付ける事もできるが、母方の祖父母が負担を申し出た。


 リブートの施設から、夜学に通って、大学への入学を目指すことが決められた。


 同級生への些細な復習は、組織からの提案だ。

 心残りを無くす意味がある行為だ。


 同級生たちと外出して、そこで理不尽な行いを受けて、女子高校生が失踪する。

 あとは、火に油を注いであげれば、勝手に炎上する。事実だけを告げていれば、相手が言い訳をしたり、逃げたり、行動を起こせば起こすほどドツボに嵌っていくだけだ。


 作戦は実行された

 女子高校生は、欺瞞と建前に満ちた両親と祖父母から離れて、本音で叱って愛してくれる祖父母に迎えられた。しかし、甘えるだけでは成長しないと考えて、リブートの施設で勉強をして夜学に通って、仕事もして、大学への入学を目指す事になった。


 女子高校生が失踪した時に一緒にいた同級生たちは、お互いに席にのなりつけ合いを行って醜い言い争いを展開している。マスコミも大々的に報道をした。家族も、心配しているふりをしながら、数々の家庭内の暴力が表ざたになって、引っ越しをしなくてはならなくなった。

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