第三話 シルク・ストッキングス


 夕方になり、繁華街は人が増え始める。


 マスターは、店の電灯を落とした。変わったバーの営業は終わった。


 売り上げは、マスターが一人で生活するには十分だ。仕入れも口利きをしてもらっている為に、大きく崩れることがない。デポジット制で、一見を断っている。それでも、客が途切れたことがない。


 寡黙なマスターの態度が、秘密を抱えている者たちには心地よいのだ。


 マスターは片づけたカウンターに、オレンジジュースとレモンジュースとパイナップルジュースを冷蔵庫から取り出して置く。


 それぞれのジュースを40ml測って、シェイカーに注いでから、軽くシェイクする。用意している二つのカクテルグラスを作られたカクテルで満たす。


 マスターは、壁際の席にコースターを置いて、作ったシンデレラを置く。もう一つのグラスを隣の席に置いた。コースターは特別な物で、この店に2つしか置いていない”桜”が書かれた物だ。


「・・・」


 マスターは黙ってカウンターに座って、グラスを傾ける。


 マスターは店を閉めてから、用事がなければ、カウンターの奥から二番目の席に座って、壁に張ってある古ぼけた写真を眺める。

 飲むのは、決まってシンデレラだ。


 マスターのスマホが鳴動する。


「・・・」


 マスターはスマホを確認して、カウンターに置いたグラスを片づける。

 時間を確認して、仮眠を取るために事務所にしている部屋に入る。ソファーに足を投げ出すように横になり、目を閉じる。

 どんな体勢でも寝られるようになったのだけは、良かったと考えている。布団がない状態でも、横になれれば十分だと考えている。ソファーがあるだけ贅沢な環境だ。


 ソファーで目を覚ます。

 時間を確認すると、待ち合わせ時間の10分前だ。

 アラームを掛けないでも、目的の時間に起きられるのは、マスターの特技の一つだ。


「アイツも同じような事を言っていたな」


 マスターは独り言を言いながら、準備を行う。

 客の数は、一人だ。


 ドアのロックを外す。


 約束の時間から5分ほど遅れて、二人の男性が入ってくる。


「マスター。ごめんね」


「いい。それで?」


「こちらが依頼人。あっ”シルク・ストッキングス”をお願い」


 いつもの男に連れられて入ってきた男性は、明らかにバーに慣れていない。


「どうそ。カウンターにお座りください」


 男は、奥から3番目の椅子に腰掛ける。

 男性は、マスターの正面の椅子に腰を降ろした。


「同じものでよろしいですか?」


「はい」


 男性は緊張した面持ちで、マスターの問いかけに静かに応えた。


 マスターは、テキーラとクレーム・ド・カカオに生クリームをシェイカーに入れる。よく混ぜるように、シェイクする。

 マスターのリズミカルなシェイクの音だけが店に響く、よく冷やしたグラスを取り出して、液体を流し込む。最後に、レッド・チェリーを載せた。


「”シルク・ストッキングス”です」


 男性の前に置いた、コースターの上に置く、男の前にも同じものを置いた。


「抗えない誘惑」


 男がグラスを持ち上げながら、カクテル言葉を口にする。

 男性は、男を見て、カクテルをまじまじと見てから、一気に喉に流し込む。


「チェイサーです。微炭酸にしました。ゆっくりとお飲みください」


「ありがとうございます」


 男性は出されたコップに入った微炭酸水を口に含んでから飲み込んだ。


「あの子は・・・」


 男性は、微炭酸水を飲みながら、事情を話始める。


 マスターは、黙って男性の話を聞く、途中、男が補足説明をするが、いつものように依頼に直接は関係がない補足だけだ。


 男性は、役所勤めだと自己紹介をした。中央官庁に勤めていた。娘の事があって、退官した。天下りの斡旋もあったが、断っている。この依頼が終わったら奥さんの一緒に田舎に引っ越すことにした。


 都会の繁華街ではよくある話だ。

 甘い言葉に騙されて、女優という甘い果実を食べる為に、薬を打たれて、そのまま事故死。あまりにもよくありすぎて、ニュースにもならない。


「それで?」


「それで?」


 マスターの言葉を受けて、男性は表情をこわばらせる。

 同情が欲しいわけではないが、あまりにも機械的なマスターの声を聞いて、憤りを感じた。


「警察の仕事です。安くない依頼料に見合うような事ではないでしょう?」


「それは・・・」


「マスター。ここからは、僕が説明するよ。彼も感情が先走ってしまうからね」


「わかった」


「彼は依頼人だけど、50%だね」


「奥さんか?」


「そう。奥さんの依頼は、彼女を嵌めた奴らを、後悔しながら壊して欲しいという事だ」


「相手は解っているのだろう?」


「それがね。彼女を直接的に嵌めた奴は、昨日、東京湾に浮かんだ」


「ほぉ・・・」


 マスターは、男性に目をやる。復讐を遂げたのかと考えた。


「違う。違う。彼でも、彼の奥さんでもない」


「そう。彼が、彼女が持っていたスマホのSDカードに残されていた情報と、日記を持って警察を動かした」


「尻尾か?」


「そうだね。彼も、警察の内部や彼の同僚まで、取り込まれているとは思わなかっただろうね」


「そうか・・・。それで?」


「彼は、犯人を捕まえて、娘の名誉を回復したいらしい」


「それは、無理だな。ゴシップ系の週刊誌に面白おかしく書かれて、終わりだな」


「だよね」


 カウンターを叩く音がする。

 マスターも男も音の発生源は解っているので、何もリアクションをしない。


 男性には、そんなマスターの態度も、肯定する男も許せない気持ちになっている。


「ふざけるな!娘は、娘は・・・」


「はい。はい。娘さんは、大変な目にあった。でも、この街ではよくあることです。それだけの事だ。貴方たちとルールも常識も何もかもが違う」


 男性の言葉を受けて、男が自分たちのルールをもう一度説明をする。依頼を受ける時にも別の者が説明をしている。


「そんなこと、許されるわけがない」


「誰が許されている?許されていないから、この街は存在している。貴方たちが作ったルールでは生きられない者たちが、独自のルールを作っているだけだ。それが解らないのなら、帰ってくれ」


 マスターは男性を見ないで、男性が飲み干したグラスを洗いながら、男性に言葉を投げかける。


「それでは」


「警察でも、官僚でも、政治家でも、好きなだけ動かせばいい」


「マスター。依頼の半分だと言ったよね?」


 男が、男性とマスターの会話に割って入る。このままでは、依頼が流れてしまう。依頼が流れるのは、マスターにとってマイナスだと判断している。


「あぁ」


 マスターのセリフを聞いて、男は男性を黙らせる。威圧していると言い換えてもいいかもしれない。


「マスター。手際がいいと思わない?」


「あ?奴らが絡んでいるのか?」


「末端の末端だけどね。どうする?」


「報酬次第だ」


「50%と彼らが持つ情報のすべて」


「わかった」


 男は、懐からSDカードを取り出す。

 マスターの了承が得られたから、男性に依頼は受けることになったが、奥さんの依頼だけを受けると告げる。報酬は、奥さんから提示された金額。それ以上は必要ないと告げて、懐から封筒を取り出して、男性に返す。カクテル代として、一枚だけ抜き取ってマスターに渡す。


 マスターはSDカードを端末に入れて確認する。

 裏DVDを販売する組織が絡んでいた。そこで、独自のコンテンツを作成するために、騙していた。借金を負わせる方法ではなく、単純に抗いにくい甘い罠に誘いこんでいた。


「組織は?」


「そっちもお願い」


「わかった。上に繋がる情報の押さえは?」


「どうだろう?」


「そうか、それなら、資金が止まる可能性があるのだな」


「うん。半々って感じだけどね」


「それでも十分だ」


 マスターは、男性に走り書きのメモを渡す。


「これは?」


「慰めにはなりませんが、奥様と見に行ってください。チケットは後で送ります」


「わかった。大きな声を出してしまって申し訳ない」


 男性が頭を下げて店から出て行った。

 男は、男性の後を追って店から出て行った。


 2か月後に、一組の老夫婦は、演劇を見に来ていた。

 それは、劇団員の女性が死んでしまった事で延期していた演目だ。死んだ女性は、初めての主役を得て、スポンサーの一人が招待したパーティで事故死してしまった。その女性は、高校卒業と同時に家を飛び出して、演劇の世界に飛び込んだ。初めての主役を得て、10年ぶりに両親に会おうと、二枚のチケットを用意していた。


 劇団は、女性が演じるはずだった役には代役を立てずに、”居る”者として演じきった。

 招待された老夫婦には、舞台の中央で自分たちを見て笑顔になっている女性の姿が見えた。カーテンコールの後、老夫婦の座っていた場所には、劇団の運営資金に使って欲しいとだけ書かれたメモが添えられた、299万円が入った封筒が残されていた。


---


「止めろ!俺たちが何をした!」


 ギリギリ23区内と呼べる場所に立っている雑居ビル。

 そのワンフロア―を借り切って作業をしていた男たちだが、何者かに襲われた。


 手際よく、全員が捕えられた。

 その場で、足を折れられた者や、頭から血を流している者も居る。


 しかし、襲撃者は男たちになんの興味を示さずに、通帳やパソコンのデータを漁っている。


 縛られ、床に寝かされている男たちを、面倒な物かのように、蹴り飛ばす。声がうるさければ、口を塞ぐ。それで、死んでしまっても構わない。


「さて、ここのリーダーは誰だ?」


 襲撃者のリーダーらしき男が、縛られた者たちに問いかける。


「そうか、リーダーを言いたくないか?まぁいい順番に殺せば、リーダーも殺せるだろう。右端から殺していくか」


 その言葉を聞いて、皆が一斉に一人の男を見る。

 さっきまで喚いていた男だ。


「俺じゃない。俺は違う」


「そうか、違うのか?お前が責任者なら、お前だけはこの場では殺さないでおこうかと思ったが、違うのならお前から殺すか?」


「違う。違わない。俺だ。俺が責任者だ」


 殺されたくない一心での言葉だ。他の連中も、自分がリーダーだと言い出す。


「皆が責任者なら、別々に話を聞いて、誰が本物か調べればいい」


 単なるいやがらせと時間稼ぎをしていただけだ。

 襲撃から、20分が経過しても助けが誰も来ない。裏DVDと違法な薬物が置かれている場所だ。警察を呼べるわけがない。


「これから、お前たちが辿る未来を教えてやる」


 襲撃者のリーダーは、その場で捕えた者たちを拷問にかけると宣言した。

 そのうえで、薬漬けにして、自分たちに都合がいい改造を加える。健康な者は、内臓を取るための道具になる。他にも、変態の相手をさせられる者も出て来る。奴隷として海外の傭兵に売られる者もいると説明する。


 そして、全員が泣き叫びながら助けて欲しいと言っている動画を撮影した。


 その組織から繋がっていると思われる者たちに、その動画を配布した。同時に、依頼主の報告を行った。依頼主からは、必要ないので、処分して欲しいとだけ伝えられた。

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