第4話 白いトマト 中

「何であんなこと言ってしまったんだろう。でも私は悪くない」


 紗月は暗い部屋の中で自分の感情を抱えていた。窓の外に見える街灯をぼんやり眺めている。室内のくぐもった空気が冷たいガラスで冷やされて紗月の顔にまとわりつく。冷たい空気に慣れると、後ろの室内の空気がどこか淀んでいるように感じられ息苦しくなる。

 さっきから空腹を覚えていたが、リビングには何もないと分かっているので部屋から出ようとは思わない。もうすっかりぬるくなったペットボトルの紅茶でのどを潤すと、甘味料の甘みが口の中に広がった。いつもであれば一人で部屋にいるのが嫌でリビングで過ごすのが日課になっているのだが、今日は動く気がしない。できることならそのまま眠ってしまいたかったが、目を閉じてもあの時の千晶の顔が浮かんでくるだけで、脳裏からはがすことができない。お風呂にでも入れば落ち着くかもしれないと思って、湯沸しのスイッチは入れたが入る気がしない。紗月の両親は夜にならないと帰ってこない。

 その間ずっと一人なのだが、それはもう慣れている。退屈な時間をなくすために高校でも部活をしようと思っていたのだが、また一番下っ端から活動するのが億劫で体験入部の時点で辞めていた。別に後輩をあごで使いたいわけではないが、狭い学内の中で先輩に絶えず気を使うのは苦痛だった。

 そのせいで紗月の生活の中心はクラスメイトとのやり取りがその殆どを占めていた。だから紗月にとって学校で友人と過ごす時間は貴重だった。恋人がいたらなと思うこともあったが、クラス内でインスタントに作るのは抵抗があったし、それのために積極的に行動に移すのは何か違うと思っていたので、合コンに積極的に参加している同級生たちのことはどこか軽蔑すらしていた。

 せめて気を紛らわせようと、ラジオ代わりに動画を流して時間を潰そうとした。スマホを見るとグループの中で千晶が発言をしてるのが最後で止まっていた。紗月は返信をしようと文面を作ったが、それを送る前に消してしまった。この時間はまだ部活をしてる友達は見てない。そうすると必然的に千晶と二人で会話することになる。紗月は画面を裏側にしてスマホを置くと、親のお古ということで譲ってもらったパソコンを立ち上げてそっちから動画を流した。

 高校に入れば中学生の時より世界が広がると思っていた。確かに行動範囲は広がったし学校帰りに寄り道して買い物をしても誰も咎めることはない。でも、それだけだった。田舎の街では繁華街と呼べるようなところはなかったし、行っても、どこかで見たような変わり映えのしない店と顔見知りの昔の同級生に会うのがせいぜいだった。制服は紗月を女子高生にしたけれど、自分自身をそれ以上の何かにしてくれるわけではなかった。

それならば・・・・・・。もっと大人の世界を覗くしかないと一歩を踏み出そうと思った。いつでも後ろに戻れるようにしながら。一歩一歩を慎重にすれば大丈夫。だって私たちだっていつか大人になるんだし、どうせ誰もが通る普通の道なのだから。


 次の日、紗月は昨日のことがなかったように振舞うことに決めたていた。自分で自分を制限するような愚を犯したくなかったし、きっと人のいい千晶は勝手に悩んで道を譲ってくれると思っていた。少しだけ良心が傷んだような気がしたが、それ以上考えることを止めて他のことを意識的に考えることにした。

 紗月の考えていた通り、千晶は目を見開いてたじろいでくれたように見えた。その瞬間、紗月の楔は確かに千晶に届いていた。紗月はわざと千晶に話題を振るような余裕があるほどいつものように、むしろいつも以上に快適に過ごすことができた。


「ね、帰りに商店街寄っていかない?」

「あ、いいね。今日はちょっと暑いし、あそこのソフトクリーム美味しいもんね」

 下校の時に、紗月は千晶ともう一人の友人と三人で帰っていた。普段、部活があるときは特に一緒に帰ったりはしないのだが、テスト週間に入ったので部活はすべて休みだった。高校生にとって魅力的な店が商店街にはなかったので、普段は誰も見向きもしないのだが、その店だけは別だった。個人でやっているような小さな掘っ立て小屋のようなたこ焼き屋だったが、紗月たちの通っている生徒たちには財布にも優しくて人気だった。部活終わりの時間にその店に行くと、必ず同じ制服を着た生徒たちが何人かいるようなところで紗月たちもたまにその店を利用していた。

「やっぱり勉強の前には糖分補給大事だもんね」

 友人はもうソフトクリームのことしか頭にないのか、顔が商店街の方を向いている。紗月は身体を友人のほうへ向けて、後ろでふさぎがちな千晶に勝ち誇ったように言った。

「だよね。ね千晶も行く?」

 千晶は来ない。昨日、あんなやり取りがあって何も行動を起こせなかった彼女に何かできるわけがない。紗月は返事を待つまでもないと思って、商店街の方へ足を向けたその時だった。

「うん、私も行く」

「えっ?」

 この子今何ていった? 紗月は千晶が何ていったのか理解できなかった。もう一度聞きなおそうとした。

「だよね、じゃ三人で行こうよ」

 紗月が千晶を見る前に、友人が返事をしていた。友人が歩みをゆるめて紗月と千晶の間に入ると、三人は横に並んで商店街を歩いて行った。真ん中の何も知らない友人だけが楽しそうに二人に会話を振っていたが、彼女たちはどこか上の空で相槌をうつのが精いっぱいだった。

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