3.グエストの村

 ただ、ただ。近づいてくる彼女が、絶世の美女だったのだ。

 靡くだけでキラキラと耀く黄金色のポニーテール。その毛先は魔法の影響か、しばらくの間”紅の炎”が宿っていた。


 しゃがんで覗き込んでくることで、どれだけ整った顔立ちをしているかわかる。

 二重まぶたのぱっちりと目には、碧色の瞳がはめ込まれている。ただ美しいだけでなく、切れ長なために、格好よくもあった。

 細い眉はきりりとし、すっと通った鼻梁を強調する。

 顎は小さく、それに比例して唇も小さく薄く色鮮やか。 

 するとその薄い唇が、白い歯をのぞかせた。プクリと、色白な頬が膨らむ。


「うそばっかり。傷だらけではありませんか。腕には噛まれたあともありますし」

「え? あ、でも、いうほどでもないというか……」

「騎士として忠告です。ケガに無頓着なのは、剣士として恥ずべき事ですわよ。それに、顔色……見たこともないほど真っ青です」

「いや、あの、僕、剣士じゃ……」


 キラは、女騎士の伸ばしてくる手から、なぜだか逃げられなかった。じっとして、頬を撫でられる。

「本当に、大丈夫? 先程も胸を抑えていたでしょう。オーガにとどめを刺せなかったのは、それが原因では?」

「ん……そうだけど、これは、なんというか……元々、なので」

「もとから、心臓が悪いと?」

「そう、たぶん。だから、大丈夫、平気です」

「平気なわけがないでしょう。ここで見過ごしては、エルトリア家の名が廃ります。熱を測りますから、じっとしててくださいな」


 ぐっと近づく美貌。

 キラは息をするのも忘れて、体を固くし……。

「わ――うわっ?」

 すると、なぜだか騎士の美貌が遠のいた。それだけでなく、グッと首元を引っ張られ、地面に引きずり倒される。

「こら、ユニィ! キラくんはまだ病み上がりと言ったろう!」


 ユニィが服を噛み、引っ張ったのだ。いつの間にか合流していたランディが、それを慌てて止めさせる。

「まったく。ゴブリンを踏み潰したからと言って、キラくんにオーガの相手をさせるとは。きれい好きも時と場所を選んだらどうだ! 全く君は、昔も似たようなことが――」


 くどくどと老人の小言が続く中、キラは騎士の手を借りようやく起き上がることができた。

 女騎士はびっくりするくらいに献身的で、立ち上がったキラから離れることなく、支えるようにして密着していた。

 彼女は思ったよりも背が低く、わずかに目線が合わない。

 それをいいことに、キラは視線を虚空に彷徨わせつつボソボソといった。


「あ、あの? 一人で立てますよ?」

「なりません。それで、あなたはキラと言いましたね?」

「ん、まあ……一応」

「一応? それは、どういう意味ですの?」

「あー……」


 言葉の詰まるキラの代わりに応えたのは、説教を終えたランディだった。

「心配はしていたが、ちょっとボロが出てしまったね。彼は記憶喪失なんだよ。だから、そう深く突っ込んだ質問は控えてほしい」

「記憶、喪失……」

「うむ。実のところ、彼の名前を決めたのは私でね。自己紹介だって、今はじめてだったくらいなんだ」

「そうでしたのね……」


 気遣わしげに見上げてくる女騎士とふいに目が合い、キラはドキドキとした。

 彼女は更に密着し、腕をぎゅっと抱き寄せた。

 あいにく柔らかさではなく、甲冑の硬さに腕を挟まれ……そこで、ずきりとした痛みに顔を歪めた。

「ああ、すみません、怪我のある場所を! 今、治癒魔法をかけますから……!」


 すると、なぜだか彼女のほうが目にいっぱいの涙をためて、体を離した。

 手袋と籠手を外し、そっと、慎重に、キラの腕の傷口に手のひらを乗せる。

「いっ……」

「少しのあいだ我慢してくださいな。――”光よ、癒したまえ”」

 美麗な声で紡がれた言葉は、手のひらから溢れる光と成った。

 温かな光は、しかし、何も変化を起こすことなく散ってしまった。


「あ、あら? おかしいですわね。もう一度……」

「無駄だよ、リリィ・エルトリア」

「わたくしの名前を……。ということは、あなたがかの――いえ、今はそれよりも。無駄、とはどういうことでしょうか、ランディ殿」

「彼も私と同様、”授かりし者”なのさ。魔法を使えず、その影響で治癒魔法も効果が薄い」

「え……!」


 リリィが反射的に凝視してきて、キラは思わず頷いた。

 実際に幾度か試してみたが、欠片も使えない。才能云々ではなく、そもそも、魔法に必要な魔力すらないに等しいのだ。

 ただ、だからといって、キラが落ち込むことはなかった。


「その……そんな顔すること、ないですよ」

「だって……。あなたは、あの発作を和らげることもできませんのよ?」

「できれば楽なんでしょうけど。でも、これが僕の普通なんです。できないことを嘆いてもしょうがないというか……できないことばかりに目を向けたくない、ので」

「前向きですのね、あなたは」


 リリィはにこりときれいに笑い、キラの腕から手を離した。血を拭うこともせず、手袋と籠手をつけ直し、そして再び腕に抱きつく。

 その一連の動きがあまりにも自然だったために、キラは言葉を挟むのを忘れていた。

「話の続きは私の家でどうだね? 立場ある君が、はるばる王都からやってきたくらいだ……何か、大事な用があるんだろう?」

「ええ、ぜひともお願いいたしますわ」




 広大な森の中、ぽつんと存在する小さな村。

 その名も”グエストの村”。

 森に潜む魔獣に囲まれながらも、村人たちは平穏に暮らしていた。

 もちろん、毎日が平和なわけではない。村を一歩出れば常に魔獣の危険がつきまとい、そうでなくとも、村を囲う柵を破って侵入することもある。


 だからこそ彼らは、日々の鍛錬を怠らない。

 それを証明するような光景は、村の門をくぐるとすぐに見ることができた。男はもちろん、女性も子どもも、老人でさえ太い丸太を相手に素振りをしている。


「村長!」 

 木剣を振るっていた青年が、村長の帰還に気づき走り寄る。それを皮切りに、次々と視線がランディへと集中する。

「やあ、ヴィル。調子が良さそうだね」

「はい、村長のおかげです!」

「それは良かった。ただ、少し踏み込みすぎだ。距離感を間違えないようにね」

「はい!」

「ああ、村長! 困ったことになりました! 柵の一部が、魔獣の攻撃で……!」

「落ち着きなさい、ロラル。応急処置は済んだかい? ならば、ロットの村から職人を呼ぶから、それまでそこを重点的に警備しなさい」

「は、はい、ありがとうございます!」


 老人が通ると、村の皆がそれぞれ声をかける。感謝の言葉だったり、相談事だったり、単なる挨拶だったり。

 それだけ、彼が尊敬されているという証だった。


 その一方で、リリィには様々な視線が集まった。絶世の美女ということで浮かれる男もいれば、初めて目にする騎士に憧れる子どももいる。

 めったに部外者と合うことのない彼らも、リリィという美人騎士には興味津々なようだった。


 キラは二人の背中を見比べつつ、

「……人気ですね?」

 とリリィのほうへ問いかけた。

「ありがたいですわ。騎士であり貴族であることが、誇りに思えることは」

 彼女はニコリと綺麗に笑い、視線の中を堂々と歩く。

 その背筋を伸ばした姿に、キラは彼女が王都から来た人物なのだと再認識した。


 ランディから教えてもらった”王都”は、華やかだった。赤いレンガで建てられた建物が両側に並び、幅の広い石敷きの道を沢山の人が行き交いしているのだという。露天商人がいろんな雑貨を売り、詩人がその美声で物語を紡ぐ。

 グエストの村からうんと遠い場所から、リリィはやってきたのだ。


 キラはぼんやりとして、ポニーテールを揺らして歩く騎士を見つめた。

「あら、どうしましたの――あっ」

 彼女はその視線に気づき、何やらハッとした顔つきをした。

 少しばかり歩く足を緩め、ピッタリと隣につく。すると、まるで重病人を抱えるかのごとく、腕と腰を支えてきた。


「あの……?」

 キラは困惑して、どう言葉を繋げたものかわからなくなっていた。

 リリィが密着していることにもそうであるが、何よりも周りの視線が気になった。

「体、お辛いんでしょう? 無理なさる事ありませんわ。早く気づくべきでした」

「や、そういうんじゃない、ですけど――いっ」


 すると、後ろを歩くユニィが鼻でつついてきた。

 ランディに怒られたことでそれまで意気消沈していたが、何かがきっかけで腹が立ったらしい。

 しっぽを激しく揺らしながら、ふんふんと鼻を鳴らす姿は、「悪いのは魔獣なのに!」と攻撃しているようでもあった。

 再び、鼻先で太ももをついてくる。


「ユニィ、そこ落ちて打ったとこなんだから。まだ痛いんだよ」

「あら。では後で治療いたしましょう」

「え? でも、君は貴族で、そういうことはやらないんじゃ……」

「ええ。ですけど、わたくしは騎士でもありますので。誰をも妥協なく救済する……それが信条なのです」

 そう言い切るリリィに、キラは何も返すことはなかった。


 さりげなく彼女から視線をそらし、前を見る。

 徐々に近づくランディの家の近くでは、一人の少女が木剣を振るっていた。

「えい、やっ」

 可愛らしい掛け声とともに、丸太相手に踏み込む。

 足運びはしっかりとしていたが、上半身のふらつきが少しだけ目立っていた。


「ユース。腕だけで剣をふろうとする癖を直さないとね」

「あ! おじいちゃん、おかえりっ」

 ランディが声をかけると、黒髪の少女ユースはぱっと顔を輝かせた。木剣を丸太に立て掛け、タタッと駆け寄ってくる。

 そのまま祖父に抱きつくかと思いきや、カーブを描いて通り過ぎてしまった。


「おにいちゃんもおかえり!」

「うっ……た、ただいま、ユース」

 腹めがけて飛び込んできた少女を、キラは受け止め……体中に走る衝撃に息を詰まらせた。

 打撲した箇所が刺激され、さらに腰に回った小さな手も別の傷に触れている。。


 正直に言って、すぐにでも離れてほしいところだったが、ぐっとこらえた。

 なにせ、偉大な恩人であるランディも、傷心しつつもそっと微笑んでいるのだ。

 すると、カタカタと、歯を鳴らす音が背後から聞こえた。振り向かずともわかる――白馬のユニィが、ここぞとばかりに笑っているらしい。


「さきほどは助かりました。おかげで、あなたのお祖父様に会えましたわ」

 痛みに耐えていると、リリィが助け舟を出してくれた。腰に回ったユースの細い腕をさり気なく外し、目線を合わせるように膝を曲げる。

 ユースは頬を桃色に染めて、感激したように目をうるわせた。


「どういたしまして、騎士様!」

「リリィと呼んでくださいな。――キラ、あなたも。その慣れない敬語も不要ですわよ?」

「え……あ、あはは。けど、使わないともっと慣れないんじゃ――」

「なら、もうちょっとおしゃべり上手にならないといけませんわね」


 キラは思わずランディに視線を送った。老人は肩をすくめるだけで、特に口出しはしなかった――その顔つきから、まだショックが長引いているらしいのが見て取れた。


「わかったよ。リリィ」

「ふふ。そのほうが自然です。――それで、ランディ殿」

「ん? ああ、そうだね……。ユース。お母さんと一緒に薪を割ってくれないかい? 倉庫に入れてくれると助かるんだが」

 騎士との会話でテンションの上がった少女は、こくこくと何度もうなずき、家の中に入った。少ししてから、母親のエーコをグイグイと引っ張って出てくる。

 薪割りに向かう最中、老人は何かぼそぼそと告げてから、キラたちに朗らかな笑顔を見せた。


「さて。話を聞こうかな。どうぞ、入って」

「お邪魔いたしますわ。ほら、キラも」

「もう支えなくても大丈夫だから」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る