2 シェリルの事情
私は寮の自室で、王女様とお取り巻きの会話を思い出していた。
『これは命令よ!あのガリ勉女を恋に落としなさい!』
アマーリエ様の艶やかなハリのある声が頭の中で繰り返される。
ユラン様とライリー様は、意味が分からないと抵抗していたけど、アマーリエ様に押し切られる形で渋々承諾させられていた。
エルダー様はノリノリだった。
まあ、女性関係が華やかだと噂のエルダー様にとっては、アマーリエ様公認で女性を口説ける絶好の機会なんだろう。
それがたとえ勉強しか興味のないガリ勉女の私でも…。
そこまで考えて、なんだか無性に腹が立ってきた。
て言うか、私は学園に勉強をしに来てるんだ。
アマーリエ様はお暇なのかもしれないけど、私は暇じゃない。
恋だのなんだのしている時間はないし、するつもりもないし、したくもない!
勉強しか興味のないガリ勉女?
その通りだ!
だってそうしなきゃ、せっかく立てた計画が達成出来ない!
私はふうっと、ひとつ溜息を吐く。
「でも、あの話しを聞けたのは良かったかもしれない」
いきなり普段交流のない高位貴族男性から声をかけられたら、恋に落ちるとは思えないけど、真意が分からなくて困惑するのは間違いない。
「うん。良かった」
私はひとり納得して頷きながら、邁進している計画を書いた紙を見た。
今はもう使うことのない日本語で書かれた、私がこの世界で生きる道標。
私には前世の記憶がある。
日本の、ごくごく一般的な家庭に生まれ、大学を出て就職して、当時同棲していた恋人と来月結婚式という忙しくも充実した日々を送っていた。
あの日、体調が悪くて仕事を早退させてもらい、引っ越したばかりの二人の新居に帰ったら、まさしく浮気行為真っ最中の恋人と恋人の女友達がいた。
思わず家を飛び出して、近所の公園に辿り着いたところでバックを家に置いて来てきたことに気が付いた。
携帯もお金も持ってない。
これじゃ友達のところにも行けない。
でもあの部屋に帰ることも出来ない。
どうしよう…と思いながら、行く当てもないのにフラフラと公園を出たところで、車が迫って来るのが見えた。
覚えているのはここまでだ。
そして、マクウェン男爵家の娘として生まれ、祖父母と両親と兄と姉。贅沢ではないけれど暖かい家庭で育ててもらっていた。
ただ、小さい頃から違和感があった。
当たり前の日常が当たり前ではない感覚。
魔道具に魔力を入れる時や、お父様が魔法で土を掘り起こすのを見た時、何よりも毎日見る鏡の中の自分が自分ではないような、何かが違うという違和感。
そして
たまに見る、明らかにここと違う世界の夢。
六歳の時、ふいに前世を思い出すまで、延々と鏡に映る自分を眺めていたり、夢に出てきた携帯電話やテレビなど、この世界にないもののことを延々と話したりしていた。
変わった子供だったと思う。
よく家族が見放さないでいてくれたものだ。
思い出した前世の記憶を、当時六歳だった私が受け入れるのには少し時間がかかった。
最初に気になったのは、アイツのこと。
浮気現場を目撃され、飛び出したまま帰って来なかった婚約者なんて、結構大きな心の傷になっているんじゃないだろうか。
アレがただの浮気だったとしても本気だったとしても、こうしてすでに生まれ変わってしまった私には確認しようもないし、どうにも出来ない。
会いに行って吊し上げることも出来ない。
だって…多分…いや確実に、
ここは前とは違う世界だ。
だってここには魔法がある。
アイツがよく言っていた異世界転生というものだと思う。
なんで、異世界転生して無双したいー!とか言っていたアイツじゃなくて、話を聞いてただけの私が異世界転生しちゃったんだろう?
そもそも、せっかく生まれ変わったのに、どうして前世の記憶を持っているんだろう。
前世の家族や友人達を思い出して、もう二度と会えないことに気付いて涙を流した。
アイツの裏切りが頭の中によみがえり、胸が苦しくてたまらなくなった。
どうせ生まれ変わるなら、前世の記憶なんてないほうが良かったのに…。
前世の私と今の私がグチャグチャになって、今の家族が私の様子を本気で心配し始めた頃、ふと、ひとつの可能性に気付いた。
もしかして、神様からのプレゼントなんじゃない?
浮気された挙句死んじゃった残念な私に、アイツがしたがっていた異世界転生させてあげるから、楽しみなさいってことじゃない?
だとしたら、グジグジ悩んでいる場合じゃない。
この新しい人生を楽しまなくちゃいけない!
前世の記憶があるってことは、きっとこの記憶を役立てなさいっていうことだ。
アイツが言ってた無双は無理だとしても、前世の記憶を生かして何か出来るかもしれない。
そしてこの世界の歴史に名を残し、浮気男め羨ましいだろざまあみろ!と見返してやれってことなんじゃない?
うん、そうだ。
きっとそういうことなんだ!!!
そう考えて自分を納得させた時、ふと気付いた。
私、今六歳なんだ、と。
私、まだ子供なんだ。
こんな小難しいことを考える前にやることがあるはずだ!
そして私は、子供らしく全力で男爵領を駆け回り、覚えたての魔法をぶっ放した。
ついでに捕まえたカエルを兄にプレゼントしたり、姉のスカートを風魔法で捲り上げたりして家族との触れ合いを楽しんだ。
これまで中途半端に思い出していた前世の記憶のせいで家族に心配をかけてしまっていたけど、全力で遊び倒す私を見て安心してくれたみたいだった。
前世の家族に会えないのは寂しいけど、新しい家族も、ちょっと変わった子供だった私を受け入れ見守ってきてくれた大切な存在だ。
ちょっと変なお爺様と優しいお婆様、面白いお父様に怒ると怖いお母様。
いつも一緒に遊んでくれるお兄様とたまに小煩いお姉様。
前世の記憶を思い出してパニックを起こすと、家族の誰かが抱きしめて、優しく慰めてくれた。
その度に、前世と違うこの世界で生きるための勇気をもらった。
片田舎の小さな男爵家。
贅沢は出来ないけど、家族みんなに愛されて大切にされていることにある時気付いて、幸せな気持ちで一杯になったのを覚えている。
こうして私は、(たぶん)神様にプレゼントされた、シェリル・マクウェンとしての新しい人生を、目一杯楽しむことにしたのだ。
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