『家族』

「正直なところ、これ以上プロト様に自分で考えろというだけ無駄なような気がします。そもそも、なぜメリアお嬢様を泣かせてしまったのか、その理由を分かっていないようですし」


 夜の闇が窓にへばりついていた。外でフクロウが鳴いている。

 俺がこんな風に怒られているのに、なんとも呑気なもんだ。知の象徴なんだから、俺に少し知恵を分けてくれよ。


「俺は本当に、メリアのためになると思ったんだ。俺がここを離れ、しっかりとした所で検査を受けることが……」

「ここを離れるってことは、プロト様とメリアお嬢様が離ればなれになるってことなのですよ?」


 カリメロが、髪を梳いていた櫛を俺に向けた。部屋の光に照らされ、琥珀色になっている。


「それはそうだが……でも、それが最適解じゃないか? メリアの安全は確保できるし、サンの偉業も達成できるし、俺の安全性もしっかり調査される。そりゃ、当初の流れとは異なるだろうが、一番現実的だろ」

「現実的なのと最適解なのは別物なんですよ、ポンコツ」

「ポンコ……!」


 普段は能天気に笑っているメイド長が、これほど冷たい表情になれるとは思わなかった。ただ、眉間に血管が浮き上がらん勢いでピクピクしているのは見えた。


「これだから……メリアお嬢様には、昔から変なものを拾ってくる癖は直せと言っていたのに」


 こめかみを抑え、深い溜息を吐いた。首を振る度に綺麗な銀紙が波打って影を揺らす。


「プロト様。いや、なんか様付けで呼ぶのも面倒なほど無能なアンドロイド様」

「怒ってる……?」

「よく分かりましたね。お利口です」


 言葉と表情が一致しない。暑くもないのに冷や汗が止まらない。


「プロト様。あの子は……寂しい女の子なんですよ」

「あの子って、メリアのことか?」


 カリメロは黙って頷いた。

 ベッドから降りて、窓の方へ歩くと、ゆっくりと窓を開いた。

 淀んでいた室内に、新鮮で冷たい空気が流れ込んでくるのを肌で感じる。肺に吸い込まれる空気が美味しくて、やっと指先まで酸素が行き渡る感覚がした。


「プロト様がここに来てすぐの頃、ここの従業員の古株の殆どが半年前にこのレストランを離れたことはお教えしましたよね?」

「あぁ。まだ残っているのはマグナムくらいだもんな。他の従業員の平均年齢は三十いってるかどうかじゃないか?」

「そうです。言い方を変えれば、メリアお嬢様は半年前に、ずっと一緒に住んでいたお父上様と離ればなれになったのですよ」

「それはそうだろうけど……遠いとはいえ会えない距離じゃあるまい。こんな立派なレストランを任せてもらって、喜ばしい話じゃないか」

「その考え……お父上様もプロト様も、何にも分かってない」


 窓から振り返ったカリメロの目は、不安と心配で歪んでいた。


「メリアお嬢様は、この店を任せられたと思ってません」


 足音を殺して詰め寄るカリメロは、俺を見下ろしながら続けた。


「メリアお嬢様は、店ごと父親に捨てられたと思っています」


 カリメロの言葉が鼓膜に羽虫のようにまとわりついた。胸の奥が沸き立つような、不愉快な感触が蝕んできそうだ。


「捨てられたって……それは飛躍しすぎだろ」

「本当にそうでしょうか?」


 問われて、言葉に詰まった。カリメロの瞳の奥が、深すぎて何も見えてこない。


「私も、直接メリアお嬢様から直接言われたわけではありません。多少の弱音はあっても、簡単に心の最深部を晒してくださる方ではないですから。このレストランの中では、私が最もメリアお嬢様と親しいので、誰にも言えないのでしょう」


 一呼吸置いた。


「私は、メリアお嬢様の日記を読んだことがあります」

「日記……」


 それがどうでもいいものではないと、メリアが教えてくれた。一日の記録の必要がない俺にすら強制するほど、メリアは日記の重要性を感じていた。

 それほど、大事な部分がそこにあるのだ。メリアの日記には。


「偶然というか好奇心というか、たまたま見てしまったんですよ。適当に開いたページの一節だけ読み取れました。内容をあなたに教えるつもりはありませんが、とても寂しさを感じずに生きる人が書くような内容ではありませんでしたね」


 カリメロは、俺に顎で立つように合図した。

 痺れた足に鞭を打ち、急いで立ち上がった。

 

 さっきまで見下ろされていたカリメロを見下ろすが、今度は下から睨まれているようでやはり威圧されてしまう。


「結局、メリアお嬢様は家族が恋しいのです。人が恋しいのです。だから休みなんて殆ど取らずにレストランで働いているのです。責任感だけではなく、寂寥感があの子を動かしているんです」


 そして、俺の胸にポスンと小さな拳を押し当てた。


「だから、危険性や違法性を知ったうえで、あなたを受け入れたんですよ。家族になってくれるかもしれない、あなたを」

「家族……」


 俺がメリアの家族に?

 ただの護衛という話だったじゃないか。三か月という期限がありながら、そんなことを思っていたのか?


「だが、俺はメリアと一緒にいる期間が三か月だけだと決まっているんだ」

「それはあくまで動作試験の話でしょう? メリアお嬢様から聞いています。ですが動作試験が終わっても、あなたの自我が消去されるわけではありません。この世に生を受けているアンドロイドの自我を消去することは、殺人と同じ罪ですから。あらゆる工程が終わった後、記憶を保ったまま帰って来るのが主流です。勿論、それまで色々と長い時間がかかることもありますが……帰ってくるという希望があるだけ、それに頼りたくなるんですよ。人間って」


 動作試験の後のことを考えたことはなかった。でも、そうか。

 俺は試作品だが、もう命を持っているんだ。そりゃそうか。感情もあって、痛覚もあって、酒に酔って、怒られてビビって。

 こんなに生命を謳歌しているじゃないか。


 初めて、メリアとの関係に、長いものを感じそうになる。一冊も書き終わらないと思っていた日記が、どんどん冊数を増やしていく未来。

 そんな未来の可能性もあったのか。


「メリアお嬢様は、とても楽しそうでしたよ。あなたが来てから。だから、私たちもあなたを歓迎したのです。私たちが大好きな、メリアお嬢様に笑顔をくれたから」


 カリメロは目を逸らさず、まっすぐに俺を見続け、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「当然、あなたの未来はあなたのものです。離れようが消えようが、あなたの選択です。ただ、もう一度考えてあげてください。あなたの周りの大事な笑顔のことを」


 そして、カリメロは優しい目をした。


「それでも、あなたはメリアお嬢様から離れるのが最適解だと思いますか?」

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