『終戦』

 俺は、人を守るアンドロイドとして作られた。

 起動してまだ数日ではあるが、組み込まれた戦闘技術は到底人間では到達できない位置に達しているはずだった。空手から始まり、カポエイラ、功夫、システマなどの打撃に始まり、柔道や合気道などの体捌き、剣道や杖術などの武器の扱いにも対応できるように教え込まれている。皮膚の下には銃弾も貫通させないような柔軟な素材を使っており、普段は肉体のような感触ではあるが、いざと言う時に人体では補いきれない肉壁の役割だって出来る。死角は無い。


 そのはずだった。


「このバケモンが……」

 蹴り上げられた顎に激痛が走り、目の前がチカチカと眩んだ。俺が人間だったら、今の一撃で顎が割れたかもしれない。

 口の端から血のように、赤いオイルが零れた。手の甲で粗雑に拭い、握った拳を構える。

「ほう……立つか。蹴った感触も異質だったな。お前、アンドロイドか? それにしても、何か蹴り心地に違和感があるが……」

 蹴り上げた足を振り上げたまま、シスターが首を傾げる。一切ブレない体の軸は、むしろこいつの方が人間ではない気がしてきた。


 呼吸を整え、もう一度シスターの懐へ突っ込む。不意を突いたつもりだったが、完全にタイミングを合わされ、俺の顔へと踵が振り下ろされた。

 まるで斧を振り下ろされるような底知れぬ恐怖に飲み込まれつつ、首をひねってそれを回避。無防備なシスターの顔へ、拳を振りぬいた。

 自分の足が死角になり、俺の拳への反応が遅れたシスターは、鼻先に触れたそれを同じスピードで体を反らせることで躱し、そのまま腕を掴んだ。そして、そのまま全体重を使って俺の腕を引き、床に組み伏せた。

「おいおい、女性の顔に殴りかかるなんて、躾がなってない狂犬だな」

 引きはがそうとしても、まるで軟体動物のようにスルスルと腕を固められ、身体は完全に足で押さえつけられてしまった。

 腕ひしぎ十字固め。何の抵抗もできず、綺麗に決められてしまった。

 これを本気でされれば、人の腕は容易く破壊される。軽くされるだけで、成人男性でも痛みに屈するであろう。当然、俺の腕も嫌な音を立てて軋み始めた。


「もう終わりか?」

 顔の見えないシスターが微笑んでいるのが分かった。勝利を確信し、慢心した証拠だ。

「残念だったな。反応は良い線言ってたが、アンドロイドはそもそも人より強くない。組み伏せられるわけないだろうが」

「それは……普通のアンドロイドの話だろうが……!」

「じゃあ、違うとでも?」

「そうだ!」

「ふうん」

 俺の腕を掴む手が、しっかりと掴み直した。

「じゃ、本気だしていいよね?」


 背筋、胸筋、腕力。それの全てを使って、俺の腕を捻り上げた。

 人の背筋は、女性でも百キロ未満程度が平均だ。大雑把に言えば、誰でも百キロくらいなら、浮かすことくらいは可能だということである。それに加え、腕の力や胸の力も組み合わせれば、総合では百五十くらいまではいくのではないか。このシスターなら、三百も夢ではあるまい。

 その力が、腕一本に襲い掛かる。人の腕なら、細い枯れ枝のようにへし折れる。


 だが、俺の腕は折れる寸でのところで持ちこたえた。

「うおおおお!!」

 雄たけびを上げながら、万力を腕一本で耐え凌いだ。折れてはないものの、過剰な負荷で肘がさらにミシミシと悲鳴をあげる。ここで力を抜こうものなら、最悪もぎ取られるかもしれない。

「こいつ……単純に腕力で耐えてるのか?」

 シスターがさらに勢いをつけて腕を捻るが、それ以上俺の腕を巻き込むことが出来ない。先ほどまで浮かべていた余裕の表情は、少しは払拭できたかな。

「まだまだ……こんなことも出来るぜ……?」

 さらに腕に力を込め、今度は逆に腕ごとシスターを引き寄せる。必死に抵抗するが、少しずつ、腕が曲がって状態を起こされていった。

「馬鹿力が……お前本当にアンドロイドかよ!」

「こんな人間がいるって話よりは、信じやすいだろ?」

 俺も状態を起こし、腕にシスターを付けながら、その状態でやっと立ち上がる事ができた。コアラのようにしがみつくシスターの顔がやっと見える。

「良い顔してるぜ、シスター」

「バケモンがよぉ……!」


 すかさず腕を振り上げ、そのままシスターを床に叩きつけた。床板が弾けるほどの音を立てて振り下ろしたが、シスターも驚異的な反応速度で受け身を取り、致命傷を免れた。

 そのまま俺から離れ、今度は横薙ぎに蹴りを飛ばしてくる。一発じゃない。ボクサーがラッシュしながら突っ込んでくるように、上から下からと、あらゆる方向から鞭のようにしなる蹴りを繰り出してきた。手数勝負でありながら、一撃一撃が重い。受け止める音が鈍く骨身に響いていく。


 そして、一瞬だけ。

 シスターの額の汗が目に入り、奴が両目を閉じた。

 蹴りの一発の精度が数センチずれ、重心を外したのだ。


 その隙を、俺のプログラムが反応した。

 瞬きにも満たない刹那に生まれた、シスターの顔面まで一直線に繋がる空間。そこへ、もはや無意識に放たれた攻撃が襲い掛かる。


 その光景に、俺は息を飲んだ。自分の並外れた反射神経に恐れたわけではない。勝利を感じ、浸った訳ではない。


 何故か俺は、シスターの目を潰そうと、二本指を奴の目に突き出していた。


 そこまでやるつもりは、さらさらない。そんな凶悪な攻撃が、無意識に出たのだ。

 咄嗟に拳を握り返し、額を小突く程度に威力を殺す。後ろに下がろうとするシスターの足を払い、綺麗に足を取られたシスターは尻餅をついた。

「怪我は無いか!」

 倒れたシスターに声をかける。顔を上げたシスターは、きょとんとした顔で笑っていた。

「おいおい、まさか自分の腕をへし折ろうとしてた人間に怪我の心配かよ……安心しな、怪我もないし、もうお前と戦う気も無くなったよ」

 そのまま床に突っ伏したシスターは、息を切らして胸を大きく膨らました。


「いや~、暴れたら酔いも覚めてきたわ。帰りたくね~」

「帰る前に片付けと、うちの社員に謝罪くらいはしてもらうぞ」


「あと、修道院にも報告するからね、ボネットさん」


 レストランの控室の扉が開き、メリアが入ってきた。

 その雰囲気たるや、俺でも少し背筋が伸びた。本気で怒ってやがる。そりゃそうだろう。大事な店がこんなに荒らされちゃ。

 メリアの後ろで避難していた従業員らが震えているのは、シスターに対してなのかメリアに対してなのか、もはや分からん。


「あ、メリアじゃないか~」

 ボネットと呼ばれたシスターは、まるで猫を見つけた女児のように笑いながら、両手を広げてメリアに駆け寄っていく。

 多重人格なのかな、と思うと同時に、こいつ死ぬんじゃないかと戦慄した。


 今のメリアの殺気に気付かないのか? 俺ですら身が竦んでいるのに。


 無防備に駆け寄るボネット。その鳩尾にも、眉間にも、股間にも、簡単に一撃が入りそうだ。

 それなのに、メリアは何もせず、ただただボネットに抱きしめられてしまった。

「な……なぜだ……!」

 信じられない光景に、つい言葉が洩れる。

 回り込んでメリアの表情を伺ってみると、ボネットの胸に顔を埋めながら、顔は怒っているものの口元が若干緩んでいた。尻尾があったら、千切れるほど振ってそうなくらいに。

「なんで……なんで殴らないんだ?」

「当たり前だろ、メリアは私のことが大好きなんだからなぁ」

 そう言いながら、犬を可愛がるようにわしゃわしゃとメリアを抱きしめ続けた。


「ボネットさんは、昔からお世話になってる人なの。お母さんのかわりに色んなことを教えてくれたり……こんな風に可愛がってくれたりしてくれるね」

「やれやれ、みたいな言い方をしてるわりには、幸せそうな顔してるぞ」

「悪党に絡まれた時の戦い方もボネットさんから教えてもらったから、あとで披露するね。決して、痛い所を突かれて八つ当たりしたいわけじゃないからね」

「それはもはや自供だぞ」


「それはそうと……」

 やっと話を戻してくれたメリアは、少しだけボネットを突き放した。

「なんで暴れてるの?」

「いや~、ここで美味い飯を食ってたら、たまたまマグナムが酒を持ってきてよ。なんでも、荷物運びのお礼に貰った高級品らしくって」

「それを飲んだと」

「ちょっと酔っちゃったかな……へへぇ」

「可愛く言っても、この惨状は可愛くならないんだよ? マグナムすら倒れてるし……倒したの、ボネットさんでしょ?」

「酔った勢いで腕相撲する流れになりまして……勢い余って蹴っちゃった」

 いやどんな勢いをつけたら腕相撲で足が参戦すんだよ。

「まぁ……それなら仕方ないけど」

 仕方なくないよね。好きな相手に甘すぎないか?

「一時間で、元通りに直してね。お客様も来るんだから」

「はーい」


 あの鬼のようなボネットは、子供のように返事をしてから、マグナムを叩き起こして修復作業に取り掛からせた。可哀想に、マグナムは状況を一切説明してもらえないまま、顔を腫らして働いていた。


「おい、アンドロイド」

 作業の片手間で、ボネットが話しかけてきた。さっきのような圧もなく、距離の近いご近所さんといった雰囲気だった。

「お前、強いな。いつか素面で戦ってみたいもんだ」

「そりゃどうも。俺は遠慮したいがな」

「あと、一つ聞きたいんだがよ」


 ボネットは俺の耳元に口を寄せると、俺すら聞き取れるか危ういくらいの小さな声で囁いた。


「人より強いアンドロイドが世界的に違法なの、分かってんのか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る