『評価されて気付く価値』

 俺が朝食にありつけたのは、あれから十分くらい経ってからだ。

「朝食も大広間で食べるのか?」

「あんな所で一人で食べても味気ないですから、みんなキッチン裏の控室で食べる人が殆どですよ。昨日みたいな会以外は、仕事の問題で食べる時間がバラバラなので。プロト様の朝食も、そちらでご用意させていただいております」

 カリメロは、まだ俺が知らない道を案内してくれた。ここの間取りも覚えていかなければ、もしもの時の奇襲に対応できないし、昼は探索をしていくとしよう。

「にしても、この建物は見れば見るほど立派じゃないか。人より大きな絵画に、よく世話されている観葉植物。客が行き交う大広間以外にも高級感が溢れているし、手入れに漏れを感じない。働いている全員がどれほど優秀なのか伺える」

「あら、意外とお世辞も言えるのですね。でも、感心していられるのは今だけです。これからは、あなたもこれくらいの仕事をしていただきますからね」

 すれ違うメイドやスタッフに会釈を返しながら、カリメロは進んだ。

「なぁ、昨日もかなりの人間がいたが、ここは何人が働いてるんだ?」

「調理に五人、メイドが七人、雑用が五人です。お嬢様を除いて、十七人の従業員がここでは働いているのです。あなたは住み込みですから、ここで寝泊まりをしておりますが、スタッフの殆どは家からの通勤なので、夜は基本的に解放感のある生活が送れると思いますよ」

「そうなのか。住み込みは俺だけか?」

「私も住み込みです。夜が暇な時、お邪魔させていただきますね」

「変なことをしないなら、それも良いな」

「え……では、お邪魔するのは遠慮させていただきます……」

「変なことしか考えていないのかお前は」


 くだらない話をしながら、あっという間にキッチン裏の控室に辿り着いた。

 控室には誰もいないが、隣のキッチンからは慌ただしい音がひっきりなしに鳴り響いていた。包丁の音や、何かをかき混ぜる音、炒める音など、騒々しいはずなのに心地よい。漂ってくる香りも、寝起きの空きっ腹を丁度良く刺激してくる。そこまで感じていなかった空腹が、突然襲い掛かってきた。

「朝食は、バケットとサラダと、スープになります。お好みでソーセージなど、適当によそってください。私は飲み物を持ってきます」

 カリメロが席を外した。

 テーブルに並んだバケットを、何も付けずに一口かじる。これは焼き立てだろうか? ほんのり温かい。それに、表面のパリッとした香ばしさと、中のふんわりとした甘さが市販の物とは思えない。ここの調理師は一般の料理だけでなく、製パンも行うようだ。昨日食べた料理も、多種多様な酒に合うように若干ながら味付けや種類を変えて、各テーブルに意識的に分けられていた。

 人それぞれの嗜好を把握し、一部だけが混雑しないように配膳され、ちょうど食べ終わる程度の量まで計算されている。

 この店が繁盛している理由は、ただ料理が美味いだけではないようだ。


「お待たせ致しました。飲み物はコーヒーで宜しかったですか?」

「あぁ。ありがとう」

 カリメロが持ってきてくれたコーヒーを受け取り、口に運んだ。砂糖など何も入っていないこれは、しっかりとした苦味と濃厚な豆の旨味が混ざり合い、寝ぼけた頭を心地よく起こしてくれるようだった。

「ここのシェフはみんな質が高いな」

「あら、分かりますか?」

「あぁ」

 来たばかりの俺でも気付くようなポイントがこんなにあるんだ。見えない工夫も山のようにあるのだろう。

「パンも美味いし、コーヒーも格別だ。比べる何かを知っているわけでは無いが、元々インプットされていたデータのものより格別に美味い。おかげでここの物以外は食べれなくなるかもな」

「なるほど」

 カリメロは何度も頷きながら、向かいの席に腰を下ろして、自分のコーヒーを啜っていた。しっかりミルクを入れたのだろう。甘い香りが漂ってきた。

「これは偏見とか、そういうのではないのですが」

「なんだ?」

「あなたのような、アンドロイドの味覚ってどのような感じなのです?」

「質問が曖昧でどう答えればいいか分からんが、普通だと思うぞ。人間と同じだ。美味いもんは美味いし、不味いもんは不味い」

「そうではなく。えっと……そうそう、あなたの感性は一般論ですか? それとも、自論ですか?」

 初め、カリメロの言っていることが上手く理解できなかった。

 パンを咀嚼しながら、ネットワークに検索をかけて意味を調べてみる。

「……いや、検索自体が嫌ってことか?」

 検索途中でキャンセルした。

「あんたが言いたいのは『俺が個人的に美味いと思ったか』『一般的に美味いと判断される食べ物だから美味しいと判断した』か、どっちかって事か?」

「そうです。アンドロイドにも味覚や消化器官があり、極限まで人間と同等というのは知識として知っていますが、直接聞くには憚られることなので、気になっていた所なのですよ」

 一息ついて、カリメロは手を組んだ。前のめりになり、俺の顔をじっと見る。

「このレストランには、人間のお客様も、アンドロイドのお客様も沢山の来店をしていただいております。その全てのお客様が喜んでくださるのですが、それが我々を盲目にしているのではないかと、心配になることもあるのです」

「考えすぎだと思うがな」

 こんなに美味いものを作るのだ。誰だって美味いと言う。それに満足をすればいいだけの話ではないのか?

「何か悩む理由はあるのか?」

「ありませんよ?」

「あるから気になるんだろ」

「思春期の女の子特有のテンションですよ」

「お前はいつまで思春期でいるつもりなんだ。実年齢三十超えてるだろ」

「失礼な! まだ三十にはなってないですよ!!」

「まだ、な?」

 カリメロの恥ずかしそうな顔を肴に飲むコーヒーは美味しかった。


「で、何が気になるんだ」

「……まぁ、あなたに聞いてもどうしようもない部分ではあるのですが」

 指を遊ばせながら、カリメロが言葉を選んだ。

「このレストランは、半年前から経営の全てを旦那様からお嬢様へ引き継いだのです。初代総責任者である、お嬢様の御父上様から」

「そんなに怯えることではないだろう。世代交代なんて、いつかは必ず訪れる変化だ」

「それはそうなのですけど、世代交代をしたのは経営者だけじゃないのです」

「というと?」

「メイドも調理人も、すべて変わりました」

「全て??」

 そこまで聞いて、自分のコーヒーが空になっていることに気付いた。

「どういう事だ? 全員が解雇になったってことか?」

「いえ。旦那様が主要なメイドや調理人を引き連れて、離れた土地へ新規開拓へ行ってしまったのです。今ここに残っているのは、当時見習いだった者のみ。私もこのように振舞っておりますが、正式にメイド長として働き始めたのは半年前の事なのです。下積み時代は、短くありませんがね」

「調理人もか?」

「はい。旦那様が世代交代を宣言してから一か月の間で、全ての味や技術を叩きこまれました。当然、拙い部分もあるでしょうが、そこは意地で食らいつき、今に至ります」

「そうか。それでこのレベルは、誇るべきだと思うが」

「誇れるかどうか、決めるのはお客様です。我々ではありません」

 それでもこの味や対応は誇ってほしい。

 そう思ったが、今度は俺は何も言い返さなかった。


 俺だって、今日からこのレストランの一員なのだ。こいつらの本気の考えには、賛同する立場でいたい。

「それにしても、なぜ唐突にそんな改革を起こしたんだ。前任の経営者は」

「理由はハッキリしています。約束だったらしいですよ。世代交代の宣言の時に、全て話してくださいました」

「約束……誰との?」

「それは……」

 そこまで言って、カリメロは残りのコーヒーを一気に煽り、飲み干した。

 口の端から零れた一滴を艶やかに舐め、ニッコリと微笑むのだった。

「それは、お嬢様に聞いてみてください」

「いや、そこまで話したら言ってくれよ!」

「それは私にとって、出過ぎた役になってしまいます」

 意地悪な笑みを浮かべ、俺が食べ終わった皿の片づけを始めた。

「ここまで話しておいて申し訳ありませんが、ここから先はお嬢様から聞く方が、正しいと思うのです。私だったら、そうしてほしい」

「……じゃあ、意味深なとこまで喋るなよ」

「それは反省。お詫びに一晩は私を好きにして良いですよ?」

「だったら反省文を数百枚書いてもらおうかな」

「なんて原始的な拷問を……!」

 顔を青ざめながら皿を片付けたカリメロは、調理人の人と軽く談笑してから戻ってきた。


「さて、あなたが厳しく私に当たるので、今から私も、あなたの上司として厳しく接していきたいと思うので覚悟してくださいね!」

「めちゃくちゃ私情を挟んでるじゃねぇか」

「社会とは、時に理不尽なのです」

 カリメロは踵を返し、また廊下をスタスタと歩き出した。

「最初は、建物の案内および掃除方法を教えます。ついて来てください」

 言われるがままに後ろをついていく。さっきまでのお喋りが嘘みたいに、何も話さずに歩くからどうも調子が狂ってしまう。そっと表情を伺うが、少しだけ曇ってるように見えた。そんなに反省文が嫌だったか?


 あ、そういえば。

「さっき、ちゃんと答えてないことがあったな」

「なんですか?」

「俺の味覚は、俺個人の物だ。俺だけじゃなく、アンドロイドはみんな個人の感性を持っている。前の店の味を知らないが、今の店の味は、かなり好きだ。あんたらがどう思おうが、俺はこの店の味は最高だと誇るつもりだ」

「……随分と熱烈なのですね」

 揺れる銀の髪が少しだけ跳ねた、ように見えた。

「まぁ…………特に理由はありませんが、厳しく当たるのは辞めておきましょう」

 

 そう呟き、また黙って歩き始めた。

 さっきと違って、重い雰囲気は無くなっていた。

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