第35話 大地の鼓動
「…さっきから、地響きのようなものが…」
「ああ。…地震のような…
それとも、この人々の″がやがや″した喧騒のせいで、そう感じるだけだろうか?」
何度目かという地面の″揺れ″について、マーカス・ジョンストンが、ビアンカ・ラスカーに言葉を返す。
守護者のパレードが終わった後も、通りは人で埋め尽くされていた。
アルベール中央広場にある式典会場に、″招待者″以外の一般民衆は入ることができない。
しかしそこに至るまでの″通り″には、入れ替わり立ち替わりといった様子で、式典後の守護者の″帰還″時を待ち受けている民衆達が、留まっていたのだ。
ラスカー達はパレードが終わった後、その列の人だかりから一旦離れようとした。
しかし想像以上に人流が激しく、人混みの中で身動きが取れないでいたのだ。
「メアリー、はぐれるなよ!」
マーカスが、メアリー・ヒルに注意を促す。
「大丈夫ですよ先生!子どもじゃないんですから!」
とはいえ。はぐれたらお互い見つけ出すのは、この人混みの中では確かに困難ではあった。しかしビアンカ・ラスカーが最も心配していたことは…
(この状況下で、もし大規模な地震が起きたら、大変なことになるわね…)
先程から″僅かに揺れては″おさまり、″また揺れる″。この「揺れ」の原因が何なのかはわからない。しかし、不吉な前兆であることだけは、確かだった。
一方の式典場——
「…守護者様。この″誓い″の円環を、貴方に捧げます…」
ソフィア・ニコラウスが、″守護者″への誓いを果たす。
「…うむ。しかと受け止めよう、ソフィア・ニコラウス…」
真摯なる守護者の返答を受けたソフィア。
…しかし彼女は、同時にゲーデリッツ長官からの″頼み事″も果たさなければならない。
(そうだ… ゲーデリッツ長官から頼まれた、守護者様への″祝意″の手紙…)
この書簡を、誰にも気付かれずに守護者の″懐″に忍ばせなくてはならない。
極めて高度な技術を要するが、ソフィアの風術魔法を使えば、それは可能だ。
(でも……)
リスクを冒してまで、この″手紙″がそれほど重要なものなのだろうか。
ソフィアは一瞬、ゲーデリッツの方向に振り向く。するとゲーデリッツは、僅かに口を動かした。
(頼んだぞ)
言葉は発していないが、ゲーデリッツの口の動きで、彼が伝えようとしたことを、ソフィアは理解出来た。
…いずれにせよ、「引き受けた」以上は、やり通すのが筋だ。
……そしてソフィアは、誰にもばれないように、風術魔法を発動させる。
「火」や「水」…または「雷」のような魔法と比べて、「風」を操るのは、極めて器用な魔法操作能力が求められる。
ソフィアは優秀な魔道士なので、そのような微細な操作が求められる魔法は、得意だ。
(風よ……)
何より、「僅かに」発動させるだけなら、風術魔法は気付かれにくい。火や雷を発現させたら、ばれるのは当然だが、「風」などというものはそもそも、目に見えないものだからだ。
…ソフィアが風術魔法を発動させると、ソフィアと守護者の間隙に、僅かな″風″が吹いた。
それは″そよ風″のような、優しい風。
その風の流れに乗って——まるで木の葉が服の内側に、ひらひらと舞い落ちるかのような自然さで…ソフィアはその″小さく折り畳まれた手紙″を、守護者の懐に忍ばせた。
……成功だ。
誰にも、気付かれていない。
守護者様にすらも。
(……ふぅ)
ソフィアは内心、ほっとした。
彼女にとっては簡単な魔法操作であったため、失敗する気はなかったが。
それでも、ばれた時のことを考えると、並々ならない緊張はあったのだ。
(ソフィアよ、よくやった…)
ゲーデリッツは、心の中でソフィアを称賛する。
————
守護者への″誓いの儀式″も、いよいよ終盤に迫った。
極めて″独自方式″な誓いを行ったソフィア・ニコラウスに、やはり周囲はざわついていたが、だからと言って、今この″誓いの儀式″を止める理由にはならない。
″誓い″の誓約には、残り2人が残っている。
魔法院長官のゲーデリッツと、司法院長官のロベール・ド・デュランだ。
「…では、″誓いの証″を。
魔法院長官、ヴェルナー・ゲーデリッツ」
名を呼ばれたゲーデリッツは、厳格な足取りで″守護者″の眼前に立つ。
片膝をついて、例のごとく守護者への誓いの言葉を述べた。
「…高潔なる守護者様の統治の下、あらゆる人種、性別、過去を持つ者達が、お互いを認め信頼し合う社会の醸成を図る…
そのために、貴方様のお力をお貸しください。″全ての心″が調和し、平等な社会を築き、その礎となる″守護者″様に、永遠の忠誠を誓います…」
おおよそ″大神院″の官僚達が考えたであろう、ひどく定型的な″誓いの言葉″の羅列。
さきほどのソフィアの″言葉″に心動かされた守護者にとっては……その同一的な内容に、ひどく辟易としていた。
その者の″本心″がわからないのに、″誓い″をどこまで信じたらよいのか。
しかし、その守護者の諦念は、予想外の形で裏切られる。
ゲーデリッツが守護者の錫杖に円環を掛けようとした、その時——
ゲーデリッツは守護者に……
「台本」にはない言葉を言い放っていた。
「…守護者様。
″3つの塔″に灯が灯る時、″手紙″をお開きください。」
誰にも聞かれないような…極めて小さな声で、ゲーデリッツが守護者に告げた。
「…何を……?」
ゲーデリッツの唐突な言葉に、守護者は意味を解せず…ゲーデリッツに聞き返そうとしたが、″円環″の儀式を終えた彼は、そのまま守護者に背中を向けて行ってしまった。
その代わりゲーデリッツは、守護者に一瞬振り向き、言葉は発さずに口の動きだけで…守護者にメッセージを送る。
(そのうち、わかります)
…3つの塔に灯が灯る時、手紙を開け?
一体それは、どういう意味なのか……
ゲーデリッツ長官は、何を考えている?
司法院長官のデュランは、ゲーデリッツの守護者への″呼びかけ″を、見逃してはいなかった。
「……ゲーデリッツ長官」
「…何ですかな?デュラン長官」
「…守護者様と、何を話していたのです?」
半ば追求するように、デュラン長官は尋ねる。ゲーデリッツも、特段ごまかすような様子はなく、デュランに返答した。
「…ちょっとした祝意の言葉、を述べていたのですよ…」
「…守護者様に″個人的″な発言をするなど、許されませんよ。″不敬罪″、に抵触する可能性もある。
…あまり余計なことはしないほうが、身のためです。″大神院″を敵にまわしたくは、ないでしょう?ゲーデリッツ長官…」
「…なら私を、その″不敬罪″とやらで裁けばいい。」
畏れも抱かぬゲーデリッツの挑発的言動に、デュランはやや言葉を詰まらせる。
「…ゲーデリッツ長官。″大神院″に睨まれたら終わりです。…彼らは″法の番人″……
″最高法廷″において、大神院がシロと言えばシロ。クロと言えばクロ。
…そして我々″司法院″は、大神院の作る「法」を守る存在……」
「…ならば、大神院は一体誰が裁くのだ?」
「………」
ゲーデリッツの言葉に、デュランは返答が出来なかった。いや、出来ないと言うよりも。
わかっていたからだ。
「法」を作り、「法」で罪人を裁く。
「法の番人」が抱えている、矛盾を。
「大神院が″間違い″を犯した時、彼らを裁くの一体誰なのだ?
神、か……?」
深淵を突くようなゲーデリッツの発言に、デュランは答えを持ち合わせては、いなかった。
「…ゲーデリッツ長官。あなたともっと議論がしたいとこだが…
生憎″式典″の最中。…誓いの儀式。…私で最後ですので、行かせてもらいます…」
犬猿の中、というわけではない。
ゲーデリッツ長官は、その鋭い弁口とは裏腹に、過度に敵を作る人間ではない。″大神院″とも、″つかず離れず″の程良い関係性を重視している。しかし本能的に…彼は司法院長官のデュランとは相性が合わない。
人には必ず、相性というものがある。
波長の合わない人間とは、どう行き着いても折り合えないのだ。
それは、時に「法」をも恐れず突き進むゲーデリッツと、理詰めで物事を進めたいが、すぐに結論は出さないデュランとの明確な差異、を表しているとも言える。
しかし、ゲーデリッツの言葉には、デュラン自身にも響くものはあった…
(大神院を裁く人間、か……)
だからこそデュランは、大神院が恐れていることを、実感をもって感じられるのだ。
人を制御するのは、「法」ではない。
その本質は…
「恐怖」こそが、人を制御するのだ。
大神院が作り出す「法で裁かれる恐怖」。それを超越するもの。
「力」を持つ者が、恐怖を与える。
大神院は、″騎士団″を恐れている。
そして「恐れ」は、人を動かす最も根源的な感情なのだ。
大神院がやろうとしていること。
難民達を支配し、彼らを訓練し、騎士団に対抗できる戦力を作る。
…司法院は、どうなるだろう?
大神院に協力せざるを得ない。
無論、騎士団強硬派と敵対することで、多くの血が流れるかもしれないが…
それでも、選択の余地はないのだ。
(ゴゴ……)
「……?」
″誓いの儀式″も最終盤。進行を務めていたシスター・マーラは、あからさまな違和感に気づく。
「…クラディウス大司教」
「…うむ。早く、終わらせるべきかもしれんな、シスター・マーラ」
その″違和感″は、その場にいた者ならば、誰もが気付いていたであろう。
明らかに……地面が揺れているのだ。
それも、かなり激しく。
「……これは、ちょっとまずいんじゃないか?」
招待席にいたレンバルト校長が、呟く。
「……たしかに。″さっきの″揺れより、明らかに大きい……」
横にいたベルナール副校長も、この″揺れ″のことが気がかりであった。
しかし招待席にいた「青の教団」の信徒達は、両手を重ねて、″祈る″ように頭を項垂れている。
「…地震?
大丈夫です。これは気のせいに違いありません。″守護者″様が守ってくださいます。
″天変地異″をおさめるのが、守護者様の″血″の力なのですから。
…何も恐れることはありませんよ。」
信徒の1人が、そう呟いていた。
″守護者″の血……
それは、特別なもの。
あらゆる大災から人々を守る……
と、言われている。
しかし、その理由を説明できる者が、いるだろうか?
否。
教団の信者達は、「そう教えられた」ことしか知らない。
その″意味″を、考えたことはない。
「…グレンヴィル騎士団長」
警備に当たっている衛士の1人が、ランスロット騎士団団長のグレンヴィルに声をかける。
「…我々は、″分離主義勢力″のテロを警戒し、全精力を注いでいました。」
今抱いている衛士の懸念は、ここにいる誰もが抱いている懸念であろう。
「…ですが……
もし″大地震″でも起きた時は、どうすれば…?
市街が大衆で埋めつくされています。
あまり想像したくはないのですが……」
「…いや。最悪の事態は、想定すべきだ」
グレンヴィルの言う、最悪の事態。
…それは、誰もがそう思いたくはない。
しかし″危険″とは、常に″想定外″なところからやって来るものだ。
(ゴゴゴ……)
今はまだ、振動のみ。
だが、″振り幅″の大きく、″範囲″の広い振動だった。
″揺れる地面″。
それは、街中に響いていたのだ。
「…わかるだろう?この″揺れ″を。」
式典場の主賓席にいた、騎士団″強硬派″のスペンサー卿が、周囲の騎士達に語りかける。
「″大神院″がうそぶく守護者の″血″とやらは、あらゆる天災から人々を守るはずなのに…
この″地響き″は、一体何だというのだ?」
語気強く語るスペンサーは、僅かばかり嬉々とした語り口だった。
「神の″化身″とやらの力は……この程度のものなのか?」
「…儀式を、中止すべきです」
シャーロット王女は、断続的に現れるこの″地響き″に、不安を募らせていた。
「守護者様の生誕20年…その栄えある記念の儀式を、″この程度″の揺れで中止するわけにはいくまい…」
「青の教団」のクラディウス大司教が、王女の忠告を拒否する。
「この程度?
…わからないのですか?″市街地″は、パレードによって人が溢れかえっている…
この状況下で…もし大規模な地震が起きれば、大勢が命を落とします…」
「では、どうすると言うのだね?シャーロット王女。
地震が起きてしまえば、屋内だろうが屋外だろうが、危険に変わりはない。
…それに″式典″を中止するかどうかは、大神院が決めることだ…」
シャーロットは返答することもなく早足で大神院長官——アルモウデスの元へと歩いていく。
…式典の中止を勧告するために。
しかし。
「それ」が起きるのは、想像以上に早かった。
(————!?)
ドッ、ドッ、ドッ。
地面から、″音″が聴こえていたのだ。
ドッ、ドッ、ドッ。
街中に響き渡るその音は———
まるで、心臓の鼓動のようだった。
全ての人々が……
いや、″ほとんど″の人間が、その音の正体が何なのか、理解できなかった。
人々は困惑し、誰もが声を発さず、耳を凝らしていた。
ドッ、ドッ、ドッ
静寂の中でただ一つ……
大地に鳴り響く″鼓動″の音。
ドッドッドッドッ
やがて鼓動は、早まる。
まるで今にも、″心臓発作″を起こすかのように。
「——————っ!!?」
そして鼓動は、止まった。
否、止まったのではない。
破裂した。
それはあまりに一瞬のことだった。
ほとんどの者は、何が起きたのか理解できなかった。
大地に鳴り響く″鼓動″が、破裂した。
そのとき地面が——裂けていた。
″亀裂″は瞬く間に、都市の端から端へと行き渡り、その巨大な″亀裂″に呑み込まれた街は崩落し——人々の絶叫は、建物と大地の崩壊音によってかき消された。
大勢の人々が——
「死」という濁流に、呑まれていった。
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