第27話 亀裂




「……ここは?」



目が覚めると、彼女はベッドの上にいた。



「…ああ。目が覚めたかね、ラスカーよ」



長い意識昏迷状態から目覚めた彼女は、傍から聞こえた老人の声の方に振り返る。


「…あなたは……」



「…ずっと眠っていたので、心配したよ。だが、大事はなさそうだ」


意識を取り戻したビアンカ・ラスカーは、意外な人物を視界におさめて、自然と彼の名前を呟く。


「…ゲーデリッツ長官……」


「…随分と長い間、意識を失っていたらしいな。」


ゲーデリッツに言われ、ラスカーはこれまでの経緯を思い出そうとする。


「たしか私は…

崖から落ちて…難民達に囲まれて…

そこからは…」


おぼろげとした記憶を辿り、ラスカーは、はっと我に帰ったように、自分の教え子のことを思い出す。


「…ルークは?ルークは無事なんですか!?」


ラスカーの叫びに、ゲーデリッツはものおかしげに言う。


「…意識が戻っても、自分の心配よりルークの心配か。…まったく、君らしいな。

それが、君の良いところでもあるが…」


ラスカーは、叫んだ反動で、腹部に激痛が走るのを感じ、腹をおさえる。


「———っ!」


「…あまり大声を出さないほうがいい。骨が何本か折れているようだ。

…安心しなさいラスカー。ルークは無事だよ。」


ゲーデリッツの言葉に、ラスカーは腹部の痛みを堪えながらも、安心したように息をなでおろす。


「…そうですか。ルークは、無事なのですね…」


「…ラスカー。ここがどこだか、わかるかね?」


ゲーデリッツに言われ、ラスカーは周囲を見渡す。見たところ病院のようであることは、彼女にも認識できた。


「…病院、ですか…?」


「うむ。ここは首都アルベールにある″聖エストリア記念病院″だ。」


「アルベール…」


長らく眠っていた間に、いつの間にか首都へと到着していた。

ということは、ルーク達はもう既に…


「…長官。ルーク達は、今どこにいるのですか…」


「ルークは、エストリア城だ。シャーロット王女に会いに行ったよ。連れのマーカス氏やメアリーも今は別行動だ。キーラやグレンヴィル達騎士団は、任務を終えたので一旦解散した…」


ゲーデリッツは、ルークを逃すために司法院に囚われた″魔道士″の青年については、あえてラスカーには伝えなかった。


「…ルークに、会いに行くことは出来るでしょうか?」

ラスカーがゲーデリッツに尋ねる。


「…今は無理だ。それはルークの事情によるものだが…」


ルークの事情…?


「それは、どういうことでしょうか。」


「ルークの存在が、″司法院″にばれたのだ。つまりルークは今、連中に追われている身だ。」


「…でも、司法院の監視が薄い地域を通ってきたんじゃ…」


「うむ。だが、待ち伏せされていた。あるいは、あぶり出されたのやもしれぬ。…どうも司法院の動きが早い。箝口令を敷いていたが、魔法学校の誰かが、ルークの″黒き魔法″の存在を、司法院に密告したのかもしれんな…」


密告…


レンバルト魔法学校の誰かが密告を?


俄に信じ難かったが、しかし可能性は十分にあり得ることだ。まがりなりにも、ルークの魔法は「魔法抑止法」に違反しているのだから。


「まさか、ベルナール副校長が…?」


ラスカーはまず、副校長を疑った。


「…たしかに、あの男ならばやりかねん。だが憶測で決めつけるわけにもいかん。

人の心など、誰にも読むことは出来んのだから…

誰がどんな行動を取っても不思議ではないのだ…」


「…それは、そうかもしれません。」


「とにかくルークは、そういう事情があってエストリア城から離れられん。城に留まって王女に保護してもらうことが、ルークの身の安全につながる。

エストリア城は王家の城。司法院と言えど、迂闊に手出しは出来ん。」


「…長官、ルークはシャーロット王女に会ったのですね?

ルークは王女と、どのような話をしたのでしょうか…」


ラスカーの問いかけにゲーデリッツは、何も存ぜぬといった風を装う。


「…これは王女とルークの契約だ。

私には、その詳細はわからんよ…」


おそらくゲーデリッツ長官は、詳細を知っているだろう。

ラスカーはそう思ったが、あえて追及はしなかった。″守秘義務″というものがあるのかもしれない。

何より、ルークが自らの意思で決めたことならば、ラスカーはそれで良いと思っていたのだ。


「…ラスカーよ。一命を取り留めたとは言え、今のお前さんはまだ全快したとは言えぬ。今は治療に専念しなさい。

…ルークのことならば、心配はいらない。


彼は、立派にやっているよ。」


「…だと、いいのですが。


…そうですね。今はルークを、信じます。」


ラスカーは、ルークの置かれた状況を認識するが、ゲーデリッツがこの場にいることに、その理由を尋ねた。


「ところで長官。長官はなぜここアルベールに?」


「うむ。数日後に″守護者″様生誕20年の記念式典が、この街で行われる。

私は、″魔法院″の長官として、その式典に出席するのだ…」


守護者様の記念式典…


随分と大仰なイベントの前に、ルークは呼ばれたのだなと、ラスカーは思った。


「…私だけではない。国中から要人が集まっている。レンバルト魔法学校からも、校長を始め何人かが出席する。」


「では、レンバルト校長も首都へ来ているのですか?」


「左様。お前さんがここに入院しているという情報は送ったので、いずれ見舞いに来るであろう。

…ラスカー、とにかく今はこの病院で養生することだ。


…ところで、紅茶を作ったんだが、飲むかね?」


「…いただきます」


ラスカーは、ゲーデリッツ長官が淹れてくれた紅茶のカップに手をつけようとしたが、全身に激痛が走って、カップをうまく持てなかった。


「………うっ」


「ラスカーよ、無理はするな。まだ体中にダメージが残っている。…どれ、私が手伝おう。」


ラスカーは、ゲーデリッツにカップを持ってらう。

ゆっくりと、紅茶がラスカーの喉に流しこまれる。


「…美味しいです。長官の作ってくれたお茶。

…こっちの才能も、あるんじゃありません?」


「ははっ。最近凝っててね。

ちょっと落ち着いた頃に、お茶会でもやろうかね?」


「…いいですね、それ。ちゃんと私も、誘ってくださいよ。」


ラスカーはそう言いながら笑みをこぼす。



ふと、突然——


建物内に、大きな揺れが生じた。



「…これは…!地震…!?」



揺れはしばしの間響き渡ったが、しばらく経つと、それはおさまっていた。



「揺れが、止まった…?」



突然の揺れにラスカーは焦ったが、思いのほか早く揺れはおさまって、彼女は息を撫で下ろす。



「これは……

いや、まさかな……」


ゲーデリッツ長官が、小声で呟いていた。



「……長官?」


「ん……ああ。何でもない、ラスカー。

それにしても…最近、地震が増えておるな。」


「……そうですね。ロンチェスター郡のほうでも、50日前に地震がありましたね。以前新聞で見ましたが。」


「…ああ。小さな街だが、大規模な被害に遭ったと…」

ゲーデリッツが物思いな顔で、淡々と語る。


「…恐ろしい話です。あ……!」


ラスカーがふと長官のほうに目をやると、先程の″揺れ″の影響でか、長官の服に紅茶がこぼれていた。


「大丈夫ですか長官!火傷はしていませんか?」


「…ああ、私なら大丈夫だ。それよりも、お前のために作ったお茶が、台無しになってしまったな…」

ゲーデリッツは言いながら、ひどく落胆したように顔をおとす。



「…長官。お茶ならまた淹れなおせばいいじゃありませんか。」



「…また私に作れというのかね。まったく老人づかいの荒い娘だな…」


ゲーデリッツはそう言いながらも、嬉々とした笑みをこぼしながら、またお茶を淹れなおしていた。











「今の揺れは…!?」


聖エストリア記念病院で、グレンヴィルやシスター・マーラ達と別れたマーカスとメアリーは、キーラ・ハーヴィーの指示にて派遣された″エストリア騎士団″の団員、ハリー・マッキントッシュに街を案内されていた。


「…お怪我はありませんか?」


ハリーが、メアリーとマーカスの無事を確認する。


突如の地震。

幸い建物は倒壊しておらず被害はないようだが、街の市場にいた人間達は、突然の揺れによって、軽度の混乱に陥っているようではあった。やがて、大事がないことを認識すると、市場の人間はまた各々の仕事に戻っていく。


「ああ…大丈夫です。

今の揺れは…地震、ですかね?」


マーカスが、″揺れ″で姿勢を崩していたメアリーに、手を貸していた。


「…ここ最近は、増えてますからね。原因はよく、わかりませんが。」


ハリーがマーカスにそう言ったが、たしかにマーカスが知るうえでも、ここ数十年の間だろうか…随分と地震や災害が増えている。


「…なんだか不吉ですね。悪いことが、起きないといいのですが。」


メアリーが心配げな様子で言う。



「ではみなさん改めて…あなた方を、宿まで案内しますね」


「あの、ハリーさん。」


「はい、なんでしょう?マーカスさん。」


「…ルークには、会えないのでしょうか?」


マーカスから尋ねられ、ハリーは顎に手を当てて少し考えこみ、マーカスへと返答する。


「まあ、細かいことは話せないのですが…

ルークさんは、王女との″契約″により、今エストリア城からは離れられないのです。…ルークさんは司法院に狙われている身でもありますし…」


「契約?」


「ええ… シャーロット王女とルークさんの

″契約″です。


ルークさんは王女から、ある″仕事″を請け負いました。…申し訳ありませんが、今現在それ以上は話せません、マーカスさん」


「そうですか…なら、しばらくルークには会えないと」


過度な心配はしていなかったが、ルークの″養父″としてマーカスは、それでもルークのことが気がかりだったのだ。″エストリア城″という特殊な環境で、ルークはまわりに知人もおらず、一人で大丈夫だろうかと…


(いや、過度な心配はよそう。…あの子はあの子で、それなりに強い子だ。)


しかし目下一番気になっていたのは、ルークが王女から請け負ったという″仕事″の内容についてだが…守秘義務があるためか、この騎士団の青年は何も話しそうにない。


「…マーカスさんにメアリーさん。ルークさんの″仕事″については、いずれ説明します。今はとにかく、あなた方も休息を取ってください。3日後には″守護者″様の式典パレードもとり行われますので…」


守護者様の生誕20年祝賀行事。

それがここ、首都たるアルベールで行われる。

たしかに街を見渡せば、至るところに衛士が立っているし、パレードの準備で街中に装飾が施されているようだった。

″お祭り騒ぎ″というほど軽い行事でもないはずだが、それでも全国から人が集まっているので、街の市場はいつにも増して活況を呈しているようだった。


「…しかしこれだけ人が多いと、警備も大変では?」


マーカスが、ハリーに尋ねる。


「…そうですね。国中から人が集まっている以上、それだけ″テロ″のリスクも高まります。地方部からも、失業者達が膨大に都市のほうへ流れ込んできていますし…

都市警備において、衛士隊だけでは圧倒的に人数が足りない。

なので我々″騎士団″も、街の治安維持業務にあたっているのです。」


「…それは、大変ですね。」


「ええ。もっとも、我々にとっての一番の脅威は、″魔法″を使う犯罪者達です。」


「魔法使いが犯罪を?」


マーカスの問いかけに、ハリーは渋い顔をして答える。


「…はい。魔法使いといっても、さまざまですが。地方部からここに住み着いて…職がなく、貧困状態から犯罪行為に走る魔法使い…

そして何より一番厄介なのは…」


ハリーが説明している最中——



突如として、付近の建物から爆発音が響いた。



「きゃああ!!」



建物から、女性らしき悲鳴が聞こえた。


「…ちっ。またしても……」


ハリー・マッキントッシュが舌打ちする。

そして彼は、咄嗟に建物のほうへ駆け出していた。



「ハリーさん!!」



「危険ですから、あなた方はここにいてください!」


マーカスやメアリー達を置いて、ハリーは爆発音のした建物へと急ぐ。




その建物は、宝石店のようだった。

ハリーが中に入ると、床には無数の″死体″が転がっていた。


いや…転がっているというより、それは人間の「原形」をとどめていない——″肉片″だった。

周囲には血と内臓が飛び散り、男、女、老人と″思しき″死体が複数、床に″散乱″している。


(なんとむごい… 一体どんな″魔法″なんだ、これは…)


ハリーは剣を抜いて、建物の奥へと歩いていく。



ハリーが奥へ向かうとそこには——


複数人の衛士達に包囲された、ボロ服を着た男の姿があった。


「動くな!!」


衛士達が、その男に銃を向けて叫ぶ。


「両手を頭の後ろに!!」


しかし、男は衛士達の言葉に従おうとせず、滾る目で衛士達を睨みつけている。


「…無駄だ!そいつはエストリア王国民じゃなく難民だ!エストリア語は通じない!

早く撃て!!」


ハリーが衛士達に指示するが、衛士は発砲することを躊躇しているようだった。


「し、しかし…″難民保護法″があります。

″無抵抗″の難民を撃つことは、法に違反します…!」


難民保護法…

それは、大神院が定めた法律。

《緊急性を要する場合において難民への実力行使を容認するが、″無抵抗″の難民には、これを適用してはならない。》


「あ、あの男は今…無抵抗です…!ならば、撃つことは出来ません。法に違反すれば、大神院への離反行為になり得ます…!」


「馬鹿なことを言ってる場合か…店の″表″を見たのか…!?あいつは市民を既に殺している…!危険だぞ!!」


「し、しかし…!」


こんな状況下でも、衛士達は″法″に背くことを恐れていた。平時において、その法令遵守意識は正しいのかもしれない。しかし緊急事態下において、それは時に取り返しのつかない事態を誘引することにもなる。


「ふぅー……ふぅー……」


衛士達と対峙する″難民″の男は、衛士達に銃を向けられ興奮状態に陥っていた。おそらく、

″宝石店″を狙ったという事情から察して″泥棒″の類だろう。しかし、衛士達に銃を向けられても、その瞳には明らかに″闘争″の色があった。


「…早く、両手を頭の後ろにして跪け!」


言葉が通じるはずもない。そんなことはわかっていたはずだが、衛士達も混乱状態に陥っているようだった。

そして難民の男は、その″隙″を見逃さなかった。


男は、右手から″白い″糸のような線を放出させた。しかしその″白い線″は糸ではなく、魔法そのものだ。


白い線が、衛士の体の中に入り込んだ。


次の瞬間——


衛士の体が″砕け″散った。


まるで、体の中に爆薬を埋め込まれたかのように、内部から肉体を破壊され、その断末魔を残すこともなく、衛士の血や臓物が四方に飛び散った。


四散した肉片。他の衛士達がその光景を直視した際、それはもはや人の原形すら留めていなかった。


「うっ…うわあああ!!!」


その無惨な光景を直視した衛士達は、錯乱し統制を失う。一人の衛士が、難民の男に発砲しようとするが、男は再度、糸のような″白い線″を放出させ、またも無惨に衛士の肉体が

″崩れて″飛び散った。


「くそ!どいていなさい!」


衛士達では手に負えないと悟ったハリーは、難民の男に単身突っ込んでいく。


「ふぅー…!ふぅー…!!」


こちらに走ってくるハリーに対し、男は再度魔法を発動させる。″白い線″がハリーの肉体目掛けて一直線に伸びてくる。しかし、ハリーは冷静にその″線″をかわした。


この″線″は、体に受けると一瞬でその肉体を破壊するようだが、動き自体は遅かった。なので、″線″の軌道を読めば、かわすことはそこまで難しくはない。


ハリーのスピードと反応力は、他の衛士の比ではないと理解した難民の男は、攻撃方法を変えた。両手を前に掲げて、巨大な光弾を発生させる。

ハリーは側面に飛び込んで、その光弾を辛うじてかわす。壁に直撃した光弾は、一瞬で壁を広範囲に大破させた。


休む間もなく、男はハリー目掛けて次々に光弾を放つ。

光弾は、その1発1発が大砲のような破壊力を備えており、一撃でも受けたらひとたまりもない。

しかしハリーは臆することなく、一撃一撃を冷静にかわしていく。


そして魔法の力を使いすぎた男に、わずか疲労の色が見えた。息も荒くなっている。


動きが鈍くなった男に、ハリーは剣を構えて突進した。男が次の攻撃の予備動作に入るよりも早く—— ハリーの細剣が、男の左胸を貫いていた。


男は断末魔の叫びをあげ、胸からどくどくと血を流して、絶命する。



「はぁ…はぁ…申し訳ありません。マッキントッシュ様。あなたがいなければ、危ないところでした…」


生き残った衛士が、ハリーに感謝の言葉を述べる。


「…いえ。それよりも、怪我人の手当を——」


「…ハリーさん。怪我人はいません。…全員、死んでますから…」


ハリーが言うよりも早く、マーカスが店の中に入ってきていたようだった。


「…マーカスさん!危険だと言ったのに…!」


「…申し訳ない。ですが、もし生き残った者がいたなら、早急に手当てをしたいと思いまして…」


負傷者を助けるために、危険を顧みず行動する。良いか悪いかは置いといて、骨の髄まで、このマーカスという人物は医者なのだなと、ハリーは感じた。


「それにしても、これはあまりに酷い…

臓器や肉片、血がそこらじゅうに飛び散っている…

これは、魔法の力なのですか?」


マーカスは、″宝石店″のそこかしこに″飛び散って″いた、「少し前まで人間の形をしていた」肉体の残骸を目の当たりにし、絶句していた。


「…これは、難民が使用した魔法によるものです…

エストリア王国民の魔法使いならば、こんな危険な魔法は″学ばない″。


″魔法抑止法″は本来、このような危険な魔法を規制したものですが…難民達には関係ないのです。 

難民達は、この国の法律のことなんて知りません。彼らは東の国々からやって来た。


だから彼らは、我々が見たこともないような魔法を使うのです。この国の魔法使い達ですら、知らない魔法を…」


50年前に起きた魔法使いと人間達の戦い、「エストリア内戦」。その内戦後に魔法抑止法が作られた。

「魔法抑止法」は、エストリア王国において魔法の戦争利用を禁じている。魔法学校でも、いわゆる攻撃に特化したような″危険″な魔法を教えることはない。


だから基本的に、内戦の″後″に生まれた世代の魔法使い達は、おおよそ人間を″容易く″死に至らしめるような魔法を学ぶことはないし、その存在も知らない。


そして″エストリア内戦″を経験した高齢の魔法使いでさえ、「魔法抑止法」という法律があるので、当然ながら″危険″な魔法を使うことはない。

無論、どこまでが″危険″な魔法なのかは、定義が難しいので、「使用して良い」魔法の種類の″範囲″が、魔法抑止法に明記されている。そして魔法学校は、その「法」の条文から逸脱しない範囲内の魔法を、生徒達に教育しているということだ。


東の国々に住む魔法使いは、難民の実状からもわかるように、エストリア国内では「禁じられている」魔法を、普通に体得している。

彼らは元々エストリア国民ではないから、当然と言えば当然かもしれないが。東の国にはおそらく、エストリアのような″魔法″を厳格に規制する法律がないのかもしれない。



「…メアリー、大丈夫か?」


「うっ……」


メアリーは、マーカスの助手として医者の手伝いをしている。″人の死″にもかなり立ち会ってきたが、これほどまでの「無残」な死体を目にしたことはなかった。

無論それらは、″死体″というよりも、もはや無数に四散した肉や内臓の″パーツ″と言えるものであったが…


猛烈な吐き気を抑えながら、ついにメアリーは耐えきれず、悪臭の立ち込めた宝石店から外に出て行く。


「ごめんなさい先生…

私、ちょっと無理です……気分が悪くて…」


「いいんだメアリー、外に行きなさい。」


メアリーは口を抑えながら、マーカスに肩をか貸されて宝石店の外に出る。


血と臓物と悪臭がたちこめた店の中で、無数に散乱した宝石だけが、虚しく″輝き″を放っていた。


通常ならば、野次馬たちが店の中の様子を伺いに集まってもいいはずだが、″誰一人″として店に近づこうとはしなかった。


それはある意味、当然といえば当然かもしれない。宝石店内部の″惨状″を、直視したい者など誰もいない。


人々は、恐れている。


″魔法″が行使された犯罪行為が起きた際、それはもはや、″好奇″などではなく″恐怖″の対象でしかない。巻き込まれると、容易に「死」に直結する。


「恐れ」は、人々の心に″歪(いびつ)″な排他的感情を増幅させる。


難民に対する恐れ。″魔法″に対する恐れ。


その恐れは、正規のエストリア王国民である魔法使いにも、向けられる。彼らは難民ではない、にも関わらずだ。



厄介なことに、このアルベールという街は——アルベールに限らず、多くの都市圏ではそうだが——基本的に都市には、あらゆる背景を持った人間達が集まる。あらゆる″事情″を抱えた者達が集まる。だから、都市の人間のマインドは、「他者を排除してはいけない。受け入れなければならない。」という意識が脈々と受け継がれている。それが「正しい」ことなのだと信じる。


しかしそんなものは「欺瞞」だ。


彼らは「嘘」をついている。


本当は「嫌い」

本当は「怖い」

本当は「憎い」


この感情を、押し殺している。


それは、消えてなくなるわけではない。


消えるわけではないからこそ、抑えてしまえば、それは無意識のうちに″増幅″していく。

体の病巣を切除せずに、次第に″毒″が全身にまわるように…


その″負の感情″を表に表出させず、我慢し″耐える″ことで、その病巣は無意識下で肥大していくのだ。


まだ病巣が″小さい″うちに、破裂させなければならない。小さいうちに″出血″させたほうが良い。″少ない″出血量ならば、まだ止血することが出来るからだ。

″怒り″は、早い段階から吐き出したほうがいい。そのほうが″心″の安寧が保たれる。


しかし、溜まるに溜め込んだ″怒り″が…

その病巣が、極限まで大きくなり、それが破裂した時——


その時生じた″大量の″出血を止めることは、誰にも出来ないのである。



もちろんこの現状でも、耐えきれずに″出血″する者はいる。


「…また、難民の仕業か…

あいつらはどんどんこの街に増えていきやがる… いずれアルベールは、難民どもに支配されるんじゃないか?」


難民が暴れた宝石店を、遠目から眺めていた市民が、つぶやく。


「…あなた。難民の全てが、危険なわけではないわ。彼らはかわいそうな人々なのよ。東の国々の戦争で、住む場所を失くした人達…私達が″寛容″に、彼らを受け入れなくてはならないわ。」


横にいた、妻らしき市民が夫を諭す。

″怒り″という病巣は、誰もが持っていて、その怒りが破裂した時、出血する。


しかしこの夫人も、もし難民達が自分の家族に手を出すようなことがあれば、″出血″するに決まっているのだ。


人の善意など、″憤怒″という感情の前では、あまりに無力なのだから。



(難民による犯罪は、増えるばかりだ…)


ハリーは、アルベールの市民達から日に日に

″寛容さ″が失われているのを、肌で感じていた。

無論その理由は、難民達のせいだけではないが。


都市に押し寄せる人々。アルベールの人口は日に日に増えており、元々この地に定住していた住民にとって、それは鬱屈とした感情を呼び起こす。


そしてエストリア王国民の魔法使い達も、都市に住み着く者が多い。魔法使いの人口が増えて、街には魔法使いが密集するコミュニティが出来ている。


それを快く思わない者もいる。魔法使いが増えるということは、それだけ仕事を魔法使いに奪われているという側面もある。魔法使いが使う″魔法″は便利なので、実際それらの能力を行使できることが、″ただの人間達″より就業のアドバンテージがあるのだ。


難民が増える。魔法使いが増える。


元々街に住み着いていた住人にとって、ここ近年は「連鎖的」な街の変化があったため、それに疲弊している人間も多い。


金持ち達は、「安くこき使えて、便利な魔法が使える」魔法使いや難民達を喜んで受け入れる。しかし、結局貧困から抜け出せない難民は、犯罪に走る。

街の住民達は、この現状に相当″溜め込んで″いる。

その″溜め込んだ″怒りは、まだ爆発はしていないが。


今は、まだ…



魔法使いが都市部に増えたのは、「魔法院」にも責任の一端がある。

魔法院が大神院を説得して、魔法使いの″優遇策″を推し進めた。


魔法使いの就労を促すために、都市部への移住を、魔法院は積極的に推進したのだ。

具体的には、都市部に魔法使いの居住地を作り、そこに魔法使い達を住まわせた。


この魔法使いへの″優遇策″とも言える方策には、国の税金が使われた。

都市部における騎士団の影響力に脅威を感じていた″大神院″も、都市部に魔法使いを増やすことで、騎士団の影響力を相殺しようと図った。

思惑は異なれど、「都市部に魔法使いを増やす」という目的において、″大神院″と″魔法院″は利害が一致していたのだ。


とにかく、あらゆる思惑が働いた結果、都市部における″魔法使い″の人口が増えた。大神院の後押しもあり、魔法学校も創設された。


これら魔法使いの″社会参画″を牽引したのが、他でもない「魔法院」長官のヴェルナー・ゲーデリッツだ。


魔法使い達にとっては、ゲーデリッツのリーダーシップと行動が、魔法使いの社会的地位を高めたので、多くの魔法使いは彼のことを尊敬している。…どころか、崇拝している者すら多い。

しかし、魔法使いの″地位向上″は、副作用ももたらした。


それは、ゲーデリッツ長官の″功罪″。


貧困に喘ぐ人々がいる一方で、魔法使いの地位向上のために、多額の税金が使われた。多くの魔法学校が建てられた。そして、魔法という「便利な」力を行使する″魔道士″の台頭で、職を失う者も次第に増えていった。


都市部の″上級職″に魔法使いが就くことも多くなり、一部では″魔法使い″の下で働く者達も出てきた。エストリア王国において、かつては地位の低かった魔法使い達が、立場を逆転させて、次第にその影響力を拡大していく。


そうやって魔法使い達が、社会的地位を獲得していくことに危機感を覚えるエストリア王国民も多かったのだ。自分達が築きあげたこの国の伝統を、いつか″魔法使い″に破壊されるのではないか?と考える者まで出てきた。


エストリアにおける魔法使いとはそのルーツを辿ると、やはり東の国々から移住してきた人々と言われる。いわば古代からのエストリア国民ではないからだ。魔法使いはエストリアを構成する国民の中では″新参者″に過ぎない。″古参″の国民たる「魔法使いではない」普通の人間達は、そんなこの国の状況に絶望し、その″退廃″した精神は、魔法使いへの″敵意″という形で、次第に現れ始めていった。


そして底辺で喘ぐ貧困層は、″優遇されていく″魔法使いの台頭とは相反して、自分達は″見捨てられている″という寂寥とした疎外感に苛まれていた。


「魔法使いのため」に尽くしたゲーデリッツ長官の行動と、その余波。


魔法使いの権利拡大を目指していた彼の行動が、結果的に、エストリア王国民の「魔法使い嫌い」を加速させるという、ある種の皮肉な結果をも生み出したのだ。


そして更に、10年前の″世界大戦″の敗北による社会情勢の混乱、″難民″という不確定要素も加わり、エストリア社会は暗澹たる閉塞感に覆われている。


それでもまだ、ギリギリのラインで——

エストリア王国内での大規模な衝突は起きていない。少なくとも、50年前の内戦のような事態は起こっていない。単発的な″魔法使い″と″人間″の衝突はあるにせよ。


だが…決して消えることのない——エストリア王国の内側には、修復不可能な″病巣″が、潜んでいる。それは、今か今かと多量の「血」を吐き出す機会を伺いながら…


敗戦。貧困、格差拡大、魔法の脅威。難民の脅威。大神院と騎士団の対立。


エストリア王国が抱えている爆弾。


そう、もはや理屈などどうでもいいのだ。

「きっかけ」さえあれば、爆弾は爆発する。


東部国境警備隊の″ヴェッキオ″総隊長もまた、一つの「きっかけ」を作り出していた。

見境なく越境してくる難民を、無差別に殺すこと。

通常ならば″非道″に見えるその行いも、難民の脅威に晒され極限状態に陥った住民達にとっては、英雄的行為そのものだった。



(…東部国境は、常にあのような″危険な魔法″の脅威に晒されているのか…)


ハリーは、首都アルベールの比ではないほどに、魔法の脅威に晒されている地域のことを思って、同情ともつかない憂患な感情を抱く。


「…………っ!!

また、揺れが始まった…」


そして、またしても。ハリーの鬱屈とした精神状態に揺さぶりをかけるかのように、先程と同じような″揺れ″が、街に響き渡った。


そして僅かな″亀裂″が、建物の壁に入る。


″揺れ″はやはり、大事に至らずすぐにおさまったが、人々の″不安感″をより増強させるのには、その僅かな″揺れ″だけで十分だった。



「″守護者″様の式典は3日後か……」


ハリーは、壁に入った亀裂を見つめながら、妙な胸のざわめきを覚える。

それは、これから起こることを予期していたからなのかどうかは、わからなかったが。



彼は、自分が始末した″難民″の男の死体を見つめながら、複雑な心境になる。


(まったく…50年前の魔法使いとの内戦は、どれほど悲惨なものだったのだろうな…)


とぼとぼと歩きながら、ハリーは″死臭″のたちこめた宝石店から、外へと出る。


(…そして10年前の世界大戦、か。

まったく、この国は戦いばかりだな…)


建物から外に出ると、メアリーが嘔吐していた。

…やはり、耐えきれなかったようだ。


空には暗雲が立ち込める。まだ昼間だというのに、外は″夜″のように暗い。雲は光を一切遮り、やがて憂鬱な雨を降らせる。

″死体″が外にあったのなら、この雨が死に至った者達の血を洗い流してくれるのに…


ハリーは雨を体に受けながら、その暗い空色と同じく、″憂鬱″な面持ちで歩いていた。

そして、この憂鬱な気分を少しでも緩和するために、ささやかな″願い″を、頭の中で唱える。


(3度目の戦争が起きないことを、願っています…)



たとえそれが、叶わぬ願いであろうことを、わかってはいても。




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