謙介25
真維が後厄であることに気づき、謙介はどこかに厄除け祈祷をしに行かないかと提案した。
彼女は思いの外喜んだ。
「是非是非。京都がいいです。昔からの寺や神社が多く、ご利益がありそうだから」
京都駅で待ち合わせ、真維が行きたいと言った有名な神社までタクシーに乗った。
「旅行するの久しぶりです。日光に行った時以来」
「ああ、ずる休みをした時ね」
「ずる休みなんかしていません!本当に体調が悪かったのだから」
久しぶりに会い、テンションが上がっていたせいか、思わず口が滑ってしまった。前にも「役者やのう」とか言って、怒らせたことがある。
彼女は本質的に真面目なのだろう。そういう下品な悪口にマジで立腹する。
「ごめん。ごめん。冗談だよ。でも、あの時はずいぶん心配したんだよ。癌が再発したのかと思って」
「そうなの?そんなに心配かけたのね。ごめんなさい」
彼女は大きな目をさらに見開いて、彼を見た。旅行に来て、機嫌が良いのか、もう怒っていないらしい。謙介は安堵した。
「レンタカーを借りて日光に行って、観光し、温泉に入ってゆっくりしたいねと唯さんと計画したのね。そしたら、二日前に急にゲリラライブのスケジュールが入って。で、どうしようかと相談したのだけど、旅館も予約していたし、間に合うように帰って来たらいいよねという話になって、泊まりに行ったのね。
それで、翌日は早起きして、観光して、午後過ぎには東京に戻って来たのだけど、唯さんから「疲れたから今日はもう休もうよ」と連絡があったのです。私がずっと運転してたんですよ。唯さんより私の方がずっと疲れていたんです。で、馬鹿馬鹿しくなって、お休みすることにしたのです」
やはりずる休みでないかと思ったが、それは流石に言えなかった。
「でね。ひどいのよ。唯さんは普段から休みが多いので何にも言われないのに。私は滅多に休まないので、一体何があったのだといっぱい詮索されたの。本当のことは言えないし。誤魔化すの大変でした。ひどいと思いませんか?」
「それは、あるあるだね」
「ねえ、唯さんって綺麗だと思いますか?」
「うん、写真によってはちょっと微妙な感じの時もあるけど、綺麗なんじゃないかな」
「そう思うでしょ。でも、化粧がすごく上手いのね。旅館の大浴場に行ったのだけど、途中から唯さんいなくて、どこに行ったのかと思っていたら、すぐ横にいたの。すっぴんになったら、誰だかわからなかったのよ」
「そんなバカな」
「本当よ。彼女、美容部員のバイトをしているの。メイクが上手くて美容部員になったのか、美容部員だからメイクが上手いのか、それは分からないけど。とにかくすっぴんは別人になるのよ。目だけで1時間くらいかけてメイクしていたので、びっくりしちゃった。私なんか全部で10分くらい。
あ、それと思い出したのだけど、彼女、ブランド物をたくさん持っていてね。このコートと同じブランドの物も持っているし、他の若い子に人気のあるブランドも持っているけど、テンカラの時は抑えてたのね。日光に行った時はハイブランドのバッグを持っていて、数十万はすると思う。びっくりしちゃった。
パパが何人かいるのではないかという噂があるけど、本当かもしれないと思っちゃった」
「へえー、色々あって、面白いね」
「そう、バイヤーさんも変わった人が多くて、毎日大変だけど、面白いです」
彼女はご機嫌そうに、くすくすと笑った。
タクシーは神社に着いた。
社務所に行くと、ここから本殿の中に入ったら、祈祷受付があるので、そこで待っていてくれと言われた。
彼女はピンクのコートを着ていた。初詣イベントの写真でもこのコートを着ているのを見た。
「このコート、よく着ているの?」
「めちゃめちゃ着ています。ほんと、ありがとうございます」
そんなにありがたがってくれるとは、買い甲斐があったと彼は感激さえした。
水商売の女性が客から何十万もするハイブランドのバッグや貴金属を貢がせるという話をよく聞く。それなのに真維は五万円のコートを有り難がって大切にしている。そういう彼女の慎ましいところが可愛くて仕方なかった。
社殿に入ると彼女はコートを脱いだ。上はセーターを着ていたが、下はミニのキュロットスカートだった。
「寒くないの?」と訊くと、
「私、テンカラに入った時、いい大人だったので、超ミニの衣装が最初はものすごく抵抗があったの。だから、それに慣れようと普段からミニばかり穿いていたら、段々長いスカートやパンツは纏わりつく感が鬱陶しくなって。でも、コートを着ていたら温いから大丈夫です」
そこまでするのか。アイドルという仕事にかける彼女の真摯な姿勢に改めて舌を巻く思いになった。
若い巫女さんが出て来て、謙介の方を向いて、「こちらにお名前とご住所をご記入ください」と言った。
厄除けするのを謙介と勘違いしているようだ。
「いや、こちらの女性が厄なのです」
巫女さんは目を丸くして、真維を見た。ミニのパンツを穿き、ピンクのコートと熊のぬいぐるみのついたピンクのリュックを下げていて、彼女が自分よりだいぶ年上の30過ぎとは思いもしなかったのだろう。
謙介は吹き出したいのを堪えるのに苦労した。
2月の平日だからか、他には誰もいなく、二人だけで、祈祷してくれた。
真維は一心に何かを祈っていた。謙介は彼女の祈祷に来ているのに、自分のことを願うのも変だと思い、彼女の無事と芸能活動が上手くいくことを祈った。
その後、神社を出て、祇園を散策し、甘味処に入ってぜんざいを食べてから、近くのラブホテルに入った。
ベッドに並んで横になったまま、真維はテンカラの話をした。
「梨乃ちゃんってメンバーがいるのだけど、わかりますか?」
「うん、女子高生の子だろ?ブサイクな」
真維は頭を仰け反らせて、笑った。
「めちゃくちゃ言いますね。もう口が悪いのだから」
「で、その子がどうしたの?」
「なんか、自分の推しになってくれたら、携帯の番号を教えてもいいと言って、何人かのバイヤーさんに声をかけてるみたいなの。私の推しも誘われた人がいて」
「まだ高校生なのに、そんなことをするんだ。なんか怖いね」
「ですよね。びっくりでしょ?」
小さなグループ内でも、そんなファンの取り合いみたいな争いがあるのか。大変だな、そんなことをして虚しくないのだろうか。
ホテルを出ると、目の前に鴨川があり、ちょうど夕陽が向こう側に沈みかけていた。
「うわあー、綺麗ね」
彼女は感嘆の声を上げた。
金色の日輪の周りの空が真っ赤に染まっていた。
「この前、夕焼けが好きだと言っていたよね」
「はい。夏至の頃、この前の陸橋で見た夕焼けは幻想的で美しかったけど、今日の真っ赤な空も綺麗ねえ」
確かに美しいし、こんなに赤い夕焼けは珍しいかもしれない。
「私、東京でもすごい田舎に住んでいるのです。タヌキやイタチが出るような。それで、学校から家に帰る時に小さな石橋があって、そこから川越しによく夕陽が見えて、よく立ち止まって、眺めていました。
ねえ、夕陽ってすごいと思いませんか?沈む前の最後のエネルギーを振り絞って、空全体を朱色に染め上げるなんて。太陽はただ我儘に自己主張しているだけだと思うけれども、それが見る者に感動と癒しと、時には涙や力を与えさえくれる」
彼女は遠くを眺めながら、真剣な顔でそう語った。
夕陽に映えたその横顔は女戦士のように凛として美しかった。
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