謙介14

 先日東京で会った別れ間際に謙介は真維にグループ名を教えてくれないかと頼んだが、拒否された。

「小林さんが調べるのは勝手です。でも、私の口からは言いたくありません。こんな私がいることで、グループのことを汚したくないので」

「分かった。じゃあ、誕生日を教えてください。クラブのホームページでは、乙女座になっていたよね?」

「そうです。乙女座です。9月23日です」

 

 名前と生年月日と出身地が分かっていたら、ネット検索ですぐに所属グループ名など分かると思い、東京からの帰りの新幹線の車中でずっと調べていたのだが、皆目分からなかった。

 彼女が芸名を言う気になるまで待つしかないか、と謙介は諦めていた。

 が、それがひょんなことから、彼女の芸名を知ることとなった。


 盆休みに娘の亜美と息子の大翔が法事のために家に帰って来た。

 こうして家族三人揃うのは家内の三回忌以来である。

 特に娘は家内が死んでからは一度も帰って来たことがなかった。

 二人にメールをしても平気で既読スルーをするどころか、既読もつかないことがある。

 たぶん家内にはきちんと返信していたように思う。

 父親なんてつくづく損な役回りだと思う。特に自分は昭和の親父の典型のような人間で、自分が一生懸命働いて収入を増やすことが家族の幸せになると信じて、馬車馬のように働いてきた。その結果、子供との交わりが少なかったので、今どう接したらいいのかよくわからない。

 子供達も同じだろう。それで距離を取るのだと思う。毎日世話をしていた母親とはそもそもの距離感がまるで違うので、母親にはなつき、父親を疎ましがるのは当然のことだ。

 テレビドラマでよくあるような、成人してもお父さんが大好きで、手を繋いで歩くような娘と父の関係や、威厳のある父親に従順に仕える息子と父の関係など、現実にあり得るのだろうか?


 亜美は北海道に住んでいるので、法事が終わってから今日帰ることの出来る新幹線はなかった。東京の大翔は帰れたのだが、謙介は「明日お姉さんと東京まで帰ればいい」と言って、無理矢理大翔も泊まらせることにした。

 

 その晩、三人で焼肉を食べに行った。

 しかし、どことなくぎごちなく、居心地が悪い。

 家内がいる時はそうではなかった。家内は自分と子供、姉と弟の間の歯車の軋みを取る潤滑油のような働きをしていたのだと思い、家内の存在の大きさとありがたさをあらためて気づかされた。


 大翔がテーブルの上にスマホを置いたままトイレに立った。

 その時、彼のスマホにメールが来た。着信のピロピロという電子音で、ふと見ると、スマホの待ち受け画面が現れた。

 それを見た瞬間、謙介は心臓が止まりそうになった。

 大翔の横に立ち、二人で手を合わせてハートマークを作っていた女性は真維のように見えた。一瞬だったので、判然とはしないが、真維のように思われた。

 思わず、声を発したので、亜美がそれに気がついた。

「どうしたの?」

「いや、大翔の待ち受けが見えて、女の子とハートマークを作っていたので、驚いて」

「へー、あいつもそんな相手がいるんだ。あいつと付き合う物好きもいるもんだね。どれどれ、見てやるとするか」

 そういうと、亜美は大翔のスマホを取り、パスコードを打ち込んだ。

「はい、出ました。ああ、これね」

「大翔の暗証番号を知っているのか?」

「昔から同じパスワードしか使っていなかったじゃない。たぶんこれだろうと思った」

「ふーん。そうかあ」

そう言いながら、もう一度彼はスマホの待ち受け画面を見た。真維に違いなかった。

 付き合っているのだろうかと思ったが、その思いをすぐに亜美が打ち消した。

「お父さん、違うわよ。この人彼女じゃない。何か芸能人ね。こういうポーズを取って、ファンとチェキ、……ポラロイド写真のことね。それを撮ったり、握手したりするの」

 謙介もAKBの握手会の様子を映像で見たことがあり、アイドルとの握手会というのがあるのは知っていたが、こういう写真を撮れるとは初耳だった。


 その時、大翔が戻って来た。

「あ、人のスマホで一体何しとるんや?」

「着信が来て、待ち受けが浮かんで、お父さんがあんたの彼女かと心配しているので、違います。ただのチェキです、と訂正してあげてたのよ」

「もう、返せや。人のを勝手に見たらいかんやろ。最低やな」

 大翔は関西弁になっていた。

 亜美は大翔の手を払いのけて、彼の方に画面を向けた。

「ねえ、この人、地下アイドルなの?若作りしているけど、だいぶいっているよね。私とタメくらいかな」

  鋭い!と謙介は舌を巻いた。確か真維と亜美は同い年の筈だ。

「そんな、ババアじゃねえよ。もう返せや」

「綺麗な人だな」 

  謙介は思わず口に出た。

「え?」

 目を丸くして、二人とも謙介の顔を見た。

 自分がこういうことを言うのは、そんなに意外なことなのか?彼は苦笑した。

 

 白けたように、亜美は大人しく大翔にスマホを返した。

「何というグループなの?」

「言っても知らないよ」

「言ってみなさいよ。これでも博識で通っているのだから」

  亜美は三年前に勤めていた会社を辞め、自分で内装のデザイン会社を立ち上げた。社員が三名だけの小さな会社だが、経営者として、切り盛りしているのだから、世間の話題には詳しいのかもしれない。

「テンカラ」

「何?略さずに正式名称を言ってよ」

「東京10カラット。知らないだろ?」

「聞いたことあるわよ。最近、メンバーがJKリフレで逮捕されたところでしょ?」

「逮捕じゃなくて、補導だよ。それにそれはその子一人だけの問題で、いかがしいグループじゃない。健全なグループだよ」

「ふーん、そうか。でも、引きこもりのゲームオタクのあんたが女の人と話して、こうやって写真を撮れるだけでも、ずいぶんと成長したなと褒めてあげるよ」

「引きこもりじゃないし。きちんと学校も行っていたし。ゲームだって、みんなと同じくらいしかしてないし」

 大翔は口を尖らしたが、目は笑っていた。褒められて満更でもなかったのだろう。

 亜美から謙介に連絡が来ることはないし、姉弟で連絡を取り合っている様子もない。義母が亜美に時々電話をしているようなので、義母から大翔のことを聞いていたのであろう。

 口は悪いが、彼女は彼女なりに姉として弟のことを気にかけているのだ。自分が死んだ後、子供達はどうなるだろうかと不安があったが、何とかなるものだな、と謙介は思った。


 

 

 

 

 

 


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