埋み火

@holly1958

不可解なカンニング 1

 白いシーツ、柔らかに膨らむレースカーテン、温かな陽光...


 あれからすべてを変えた。ベットシーツは淡い青色にし、カーテンは遮光性の高いものを取り付け、日光が入りにくくした。それでも眠りが波のように押し寄せ、そして、特に引いていくとき、不意に思い出される。彼女の長くたおやかな髪に、この上なく白い手首、細く長い指、そのすべてが暖かみをもつ溶け残った氷細工のようで、うかつに触れられない繊細さと、皇帝が自らに合わせて住まいを整えたかのような、病室との完全な調和による荘厳さを帯びさせた。それゆえ私は彼女の手にそっと手をかさねるとき、いつも畏れ、そのたびぬくもりが残っていることに安心したのだった。時には夢にみる。場面はいつも病室で、たとえ生い茂った植木の葉から燦々と漏れる光が照らす病院の庭であっても、外にいるところはみたことがない。私は彼女が退院できることを疑わず、そして彼女も暗い未来を暗示させない、美しい微笑を浮かべている。彼女は私の話を聞きたがるので、いつも私がつまらないことを長々と語っても、話すことは尽きなくて、時々彼女が興味深そうに眼をひそめたり、鈴のように笑うのをみると、どうしようもなく私は嬉しくなって、いっそう勢いずいて得意そうにつまらないことを言った。しかしいつも、生きているものが死ぬように、夢も醒めるもので、現実世界に目を開くと、再びもう二度と目覚めないことを祈って目をつむるのだった。




「千秋が寝坊なんて珍しいな。」

「そうかな。」始業五分前は、いつもの千秋を思うと確かに遅い。

「いい夢でもみてたの。」と春日景が尋ねると、谷崎千秋は目を細めて、右の口角を持ち上げた。

「何の話をしてたの。」

「渚は感受性というものを持ちえないっていう話。」と景が言うが早いか、渚が声を荒げて文句を言う。

「ちょっと待てよ、お前の過剰に物事を膨らませる話術にはいつもいらいらさせられる。大体その帰納法が成り立つなら、心理が身体に影響を与えなければ、その時抱いていた感情や、気持ちというものはうそになるということじゃないか。お前は怒っているとき、必ず顔を真っ赤にするのか?嬉しいとき、必ず目を輝かせて、満面の笑みを浮かべるのか?」

「ちょっとちょっと、何の話をしてるのか全く分からないな。」

「渚がエンジェルビーツ観て泣かなかったのよ!」

 はあ、とため息をつく。いつものことだ。

「泣かなかったからと言って感動していないわけじゃない。そもそも私は創作物で泣いたことがないんだ。でも映画もアニメも好きだし楽しんで観ている。」

「真に感動しているなら自然と涙は流れるはずだわ。」

「いーや、そんなことないね、そもそも...」

 うんざりした千秋の気持ちを代弁するかのように、始業のチャイムが鳴る。二人は互いににらみ合い、自分たちの席へと戻っていった。千秋も自分の席へと足を運ぶ。秋に差し掛かったとはいえまだ暑い。窓から外を眺めると、青々とした樹木が風でその枝葉を揺らしている。後ろの席の景から声がかかる。

「期末試験の返却日、今日だって。まあ千秋は自信満々でしょうけど。なんたって中間は学年一位だもんね。」

「そうでもないよ。」となんともなしに言うものの、千秋には並々ならぬ思いがあった。



 トイレの洗面所で手を洗い、ふと顔を上げると三島楓と目が合った。向こうではとっくに千秋に気づいていたであろうに、千秋に熱っぽくみつめられでもしたかのように、わかりやすく驚いた顔をつくった。それにこたえるように千秋はしかめっ面をする。彼女たちの交流には常に虚栄がついて回った。楓はままごとのように傲慢な令嬢役を楽しんでいたが、千秋は楓の演劇の批評家の役を演じていた。千秋は、楓のするままごとは幼稚で、くだらないと思いながら、自分も幼稚で、くだらないと評する批評家のままごとをしていた。

「あら、景気の悪そうな顔をしてますわね。」

「いつもと変わらないように見えるけど。」と千秋は視線を鏡の中の自分に移して、言う。

「その調子だとテストの結果はあまりよくなかったようですわね。」

「そんなことなかったよ。それなりにはとれてる。」

楓はわざとらしくにっこりとほほ笑む。わざとらしく笑うことがどうしようもなくおかしいことのように。

「今回は私の勝ちのようですわね。」

千秋は振り向いて楓の目を見据える。瞳だ。楓の瞳。純朴さと尊大さ、矛盾しているかのような両性質が双立しているのは、その瞳が幼子のものだからだ。無邪気な故に純粋で、無邪気な故に不遜なのだ。瞳と同様、彼女は完璧な球体だ。美しく、それでいてほんの少しでも傷がつけば途端に均衡は崩れ、傲慢さ、可憐さの花を散らしてしまうような、そんな危うさを持っている。千秋は楓を見つめるたび、千秋が嫌悪と名付けた感情を抱く。ガラスの破片のような鈍く不格好なモノに滅茶苦茶に突き裂かれたかのような心と、そして嫌なにおいのする情欲、彼女の鼻を叩き折りたい、いやそもそも彼女の土俵の外側から、彼女が大切にしているものを嘲り、軽んじたい欲求とのブレンド。千秋は体の内でうごめくそれを感じるたびに、たまらなく自己嫌悪に落ち込み、その責任の一端が楓にあるように感じる。

「中間考査や模試で、君が一度でも私に勝ったことがあるか?」千秋は怒りを込めて言う。怒りを誇示するのは心地が良い。

「ふん、何の教科が返ってきたんですの?」

「世界史。」

「点数とクラス順位は?」

「94で多分3位。1位が96で四谷さんと広瀬さん、知っているだろう?二人とも内部進学だし。」

「四谷さんは意外ね。中学の頃はあまり勉強は得意でなかった記憶があるのだけれど。まあその調子なら、まぐれはここまで、偽王舒栄没落す、てことになりそうですわね。」

「なんとでも好きに言えばいいさ。すぐにわかることだから。」

千秋が先に目線を切り、トイレから出ていく。

千秋が通うT女子学園は、中高一貫のいわゆるお嬢様学校である。以前まで後期課程移行時の新入生の募集は行われていなかったが、押し寄せる少子化の波の影響であろうか、千秋の代に外部生の受け入れが行われることとなった。外部生は胸を躍らせ入学をしたものの、高い競争率を勝ち抜いた外部生は内部生から成績上位の座を席捲し、加えて内部生との文化の違いによる外部生の戸惑いは、同グループ内での結束を強め、他グループとの確執へと繋げるのに充分であった。また、内部生の中には、少数ではあるが、外部性の存在が学園のブランドを傷つけると考えるものもいるようだ。(おそらく母親が食卓でぼやいたのだろう、子供は意外と記憶しているものである。)

楓が私を嫌っているのは、私が外部生だからだろうか、と千秋は考える。それとも

千秋によって主席の座から降ろされたからだろうか。千秋が物思いに沈んでいると、教室内の騒音が、彼女を現実に引き戻した。戸を開けると、大勢の生徒が中心に注目したまま円を形作っている。中心には世界史1位の四谷玲がいるようだ。

「何があったんだい。」と近くにいた渚に声をかける。

「どーやらカンニングみたいだぜ。」

「カンニング?テストがあったときにっていうこと?」

「いや、どうやら四谷さんの答案がこの休み時間のうちに盗み見られたらしい。」








































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