魔法少女、やめます。

 ホワイトリリーは耳を疑った。

 嘘だ。


 ホワイトリリーはこの言葉を――この言葉の意味を、ちゃんと認識していなかった。オブシディアンがあまりにも鷹揚な声で、親しみさえ込めたような言い方で話すので、ホワイトリリーはオブシディアンの言葉は“もう一人で無茶なことはしない”という意味だと捉えた。


 実際、オブシディアンは今回の戦いを、ひどく無茶な方法で決着したのだ。


 ふつう、魔法少女は大きな敵を一人で先走って倒したりしない。仲間と結束し、合体技で仕留めるのがセオリーだ。というか、そうしなければ普通たおすことなどできない。


 オブシディアンはベテランの魔法少女だが、それとこれとは別だ。彼女にはダイヤモンドとルビーという心強い仲間がいるし、トライフェルトはオブシディアン一人で倒すには強力すぎる相手だ。今回トライフェルトを封印できたのは、奇跡に近かったのである。


 ホワイトリリーはその言葉の真意を知ったのは、彼女の目を正面からしっかりと捉えた瞬間であった。オブシディアンの目は、つるつるとして、黒曜石のような茶色がかった黒い色をしていた。古来から黒曜石が鏡として使われてきたように、オブシディアンの目は、ホワイトリリーの姿を映し出した。小さく丸い羽の生えた生物。楽観的で、傷一つない。その鏡面の奥に、篝火のように強い彼女の意思があった。ホワイトリリーはその篝火を見つけた。


 彼女は言ったのである。「わたしもうやめるね」と。

 ホワイトリリーははじめ、何者かによる洗脳を疑ったが、内心でそうではないとわかっていた。オブシディアンはオブシディアン本人の意思から、やめたいと申し出たのだ。


「ちょ、ちょっと待ってよ。やめるって魔法少女をやめるってこと? どうして!」


「うーん……なんていうか、疲れた」


「疲れたって……」


「だってほら、わたしリリーに誘われて魔法少女になってからずっと戦いどおしだし。もうそろそろいいかなって。ずっと考えてたことではあるんだよね。でもほら、敵がいるのにやめるのはどうかなと思って」


「そんな軽く言わないでよ……。敵だってまだたくさんいるんだよ!? 確かにトライフェルトを倒したのは大金星だけど……そんな無責任な」


「まあ、そうかもね。そうわたしも思ってた。思ってたんだけどね……」オブシディアンは顔を伏せて黙りこくった。


「どうしたの? ちゃんと説明してよ!ずっと一緒にやってきたんだからさ!」


「だからね。そうね。うん。だから、疲れたってこと。ほらわたし、5年ぐらいもう魔法少女やってるじゃない? そのあいだにたくさんの敵を倒したし、いろんな人を助けもした。仲間もできた。別にそれはいいのよ。それはいいの。喜ばしいことだわ。でもだから、疲れたんだよ。フッとね。

 知ってるかな、太宰治の……知らない? トカトントンっていう、この音が聞こえてきたらやる気をなくすっていう。それが聞こえたのよ。急に、急に思ったんだよ。疲れたなって。だからあの、トライフェルトが敵の兵隊をつくってるって知ったとき、決めたんだよ。こいつ倒したらやめようって。でもなんかしばらく戦わない感じになってたじゃん。強いから三人で修行して複合技を覚えようって。それから戦おうって。でもわたしには勝算があった。もしかしたら勝てるんじゃないか? っていう。修行して修行して、怒られたり励まされたりして……でもわたしのなかの疑問は解消されなかった。それが日増しに大きくなって……わたし、理不尽とか不合理とかあんまり好きじゃないのよ。だから一人でアンホーリーに挑んだの。で、勝った。なににって、わたし賭けに勝ったんだよね。自分との。だからこれで終わりなの」


 ホワイトリリーは愕然とした。オブシディアンは何年もやってきた相棒にまでなにも話さず、なにも相談せず、これだけの大事を一人で決めてしまったのだ。裏切られた気持ちだった。だから気づかなかった。キュア・オブシディアンの説明は不十分で、大事なところが抜けているということに。

 

 元々、オブシディアンは自己中心的な性格だった。ホワイトリリーはそう思い返す。


 キュア・ダイヤモンド、キュア・ルビー、キュア・オブシディアン。三人組の魔法少女グループなのに、一人だけ他の二人に正体を明かしていない。オフで集まったときも、変身状態を一度も解除しない。だいたい、オブシディアンは五年もやっているのに複合技をいま修行しなければならないということ自体、かなりおかしいことではあるのだ。


 複合技というのは一つしかないわけではない。オブシディアンは五年の活動の中で、何度も強敵と出会ってきている。その中にアンホーリー・トライフェルトほどの敵は含まれていないが、普通の魔法少女であれば、複合技を覚え、それから戦わなければ勝てないような敵ばかりだ。それが正攻法であり、セオリーであり、お約束でもある。複合技を覚えて強敵を倒し、新たな強敵に防がれ、さらに上の複合技を覚える。それが最も効率的で、安全な攻略法なのである。実際、キュア・ダイヤモンドとキュア・ルビーは二人の複合技を持っている。それで強敵を倒したこともある。トライフェルトとの戦いで必要になった“修行”は、オブシディアンと他の二人のコア・ストーンを同調させ、複合技を繰り出すためのものなのだ。なのにオブシディアンははじめて変身解除した状態で現れたかと思えば、覆面を被って登場する始末。(首から下は普通だったので、ダイヤモンドが抱いていた“実は男なんじゃ?”という疑問は霧散したが。)


 魔法少女の契約を結んだときは、どんなだったかな。オブシディアンの部屋にはじめて訪れたときのことをホワイトリリーは思い出す。


 当時は、彼女の街にいたのはキュア・プレーナイトとキュア・アメトリンという二人の魔法少女だった。プレーナイトの提案で、最近敵が増えてきたから手が回らない、他の地域から増援を呼ぶか、新しい魔法少女が欲しいということになって、ホワイトリリーがオブシディアンを見つけ出したのだ。


 オブシディアンの正体は真壁純という名前の少女である。プレーナイトとアメトリン、現在はオブシディアン含む三人の魔法少女の活動する街の中心部に建つ一軒家に住んでいて、その三階の奥に自室を与えられていた。


 ホワイトリリーはそこへ入り込み、眠っていたオブシディアンを目覚めさせ、魔法少女になってくれないかと勧誘した。そのすべてを聴き終わったとき、オブシディアンは白い無地の寝間着を着て、布団の端を握ったままフローリングに立ち、目を擦っていた。

「ふうん。つまりあなたと契約すると、プレーナイトとアメトリンみたいになるんだね。もしくは、別の街の魔法少女みたいに。それで、魔法少女になって活躍すると、引退したときに活躍に応じた“幸運”がもらえると」


「そういうこと! なってくれるかい?」


 オブシディアンの部屋は7畳ほどの広さで、入口から対角線上に窓があり、黄色のカーテンがかかっていた。カーテンの下に電気スタンドのたてられた学習机が置かれ、社会のノートが出っぱなしになっていた。壁にはロックバンドのポスターが貼ってあり、机の隣の本棚の隅にCDが何枚か入っていた。


「別にいいんだけど、訊いてもいい?」


「うん! なんでもきいて!」


 ホワイトリリーが大きな声を出すので、オブシディアンは鬱陶し気な顔をした。オブシディアンの両親はどちらも一度寝ると朝まで起きないので心配いらないが、うるさいのは好きではなかった。


「さっきあなたが話した感じだと、やるって言ったらもう今すぐにでもなれるんだよね。魔法少女」


「うん! 魔法少女の初変身といえば、敵があらわれたときだと思いがちだけど、私たちはちゃんと慣れてもらうために、契約したらすぐ変身してもらうことを推奨しているよ! 純が魔法少女になったら、プレーナイトとアメトリンのところにいって、動きを教えてもらうつもりなんだ!」


「ああそうなんだ……まあそれはいいや。夜中だけど今さらだし。じゃなくて、魔法少女にすぐなれるってことはもう名前とか決まっちゃってるわけ」


「そうだね!」ホワイトリリーが言った。「魔法少女になったら、君は君と最も同調する宝石の力を与えられる! そしてその石の名前を冠して戦うことになる! そういう意味では、君の魔法少女としての名前はもう決まっていると言えるね!」


「キュアのほうも? っていうのは、ほら、みんなキュアってついてるでしょ。キュア・プレーナイト。キュア・アメトリン。あとキュア・アレキサンドライトとか。わたしもキュアってつけなきゃダメなの?」


「もちろんだよ! だって君たちはキュア・シリーズなんだから!」


「シリーズ?」


「そう! シリーズなんだからキュアはついてないとだめ!」


 オブシディアンは少しのあいだ眠そうな顔に複雑さを張り付けて、考え事をした。十秒ほどして落としどころを見つけたのか、わかった、と声をあげた。


「わかった。わたしだけキュアーってことにする」


「変えちゃ――」


「わかってるわかってる。だから、わたしはわたしのなかでキュアじゃなくてキュアーなんだって思うことにするってこと。キュアならキュアでいいよ。呼ばれるときは」


 オブシディアンはその後、“同調試験”をしたときも、自分が黒曜石の魔法少女であることを知って、“黒曜石……ええ……やだなあ”などともらした。キュア・オブシディアンという名前をきいて満足したのかそれについてはあまり触れなかったが。翌朝プレーライトとアメトリンに会い、彼女たちに戦い方を教わり、二年ほどしたのち引退することになった二人から街を託され、新しい仲間を迎え入れ、三年。合計五年の間、オブシディアンとホワイトリリーは一緒だった。


 ホワイトリリーは昔から変な子だったなあと考えた。そして、本人がやめたがってるのなら、やめさせてあげることも考えてあげたほうがいいのかなあとも考えた。


 この考えはすぐに消した。オブシディアンは確かに性格に問題はあるが、ベテランの魔法少女には違いがない。実力は確かだ。確かにこの街や周辺の危機は、悪の大魔法使いアンホーリー・トライフェルトの消滅によって、かなり薄くなったと言っていいだろう。むこう何年かはトライフェルト級の敵は来ないと言って間違いない。だがそうであっても、トライフェルト以外にも敵はいくらでもいるのだ。ダイヤモンドとルビーももう後輩を持ってもおかしくないぐらいに経験を積んでいるとはいえ、戦える魔法少女は一人でも多い方がいい。


 ホワイトリリーはオブシディアンを説得したが、オブシディアンは頑として首を縦には振らなかった。やがて、ダイヤモンドとルビーの二人に心象世界から助け出されると、オブシディアンは二人に魔法少女をやめると伝えた。


 ダイヤモンドもルビーも止めたが、オブシディアンは報告しただけだからと言って帰ってしまった。

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