2.

 都内にある、とあるホテルの一室にて――。


 コンコンと、機械的な音が外側から鳴り響き。それに続き、静かに扉が開かれる。



「どうかな、緊張してるかな?」



 部屋の中に入るなり、定光は椅子に座り込んでいる純白の彼女に向け、にこりと人の良さそうな、けれど、硬い笑みを投げかける。


 定光のその声に合わせ、菊はゆっくりとそちらへと振り返る。が。



「その様子だと、そうでもなさそうだね。本当に君は期待を裏切らないよ。

 うん、想像していた以上に綺麗だ。よく似合ってるね。海外から有名なデザイナーを呼び寄せて、わざわざ作らせた甲斐があったよ」



 定光が褒め称えるが、一方の菊は涼しげな表情を保ったままだ。相変わらずな彼女の態度に、定光は一つ乾いた息を吐き出させる。


 けれど、すぐに調子を整えさせると、定光は菊の左頬にそっと指先を当てた。



「それにしても。僕の申し入れを君が素直に受けてくれるとは。思ってもなかったよ。家まで買収したけど、もしかしてその手間はいらなかったかな?」



 そう問いかける定光に、菊は一拍置かせてから、

「そうね。アンタが私のこと、嫌いだから――」

 きっぱりと述べる菊に、けれど、定光は決して顔色を変えることはない。寧ろ、心なしか微笑を繕う。


 それから、顎に手を持っていき。



「ほう。それは面白い理由だね」


「そうかしら。言っておくけど、私もアンタのことが嫌い。だから、嫌いな者同士、丁度良いと思っただけ」


「成程、それは一理ある。端から嫌いだったら、それ以上嫌いになることはないからね。

 嫌いな者同士、か……。確かに好きな者同士より、その方が上手くいくのかもしれない。

 だけど、僕は一度も人を好きになったことがないから。だから、よく分からないんだ、そういう感情が。君は人を好きになったことがあるのかな?」



 悪びれた様子もなく訊ねる定光に、菊は冷ややかな瞳を揺らす。



「こういう日にする話題ではないと思うんだけど」


「うん、確かに君の言う通りだ。だけど、僕は抱いた疑問をそのままにしておく質ではないんでね。

 君みたいな子は、どんな男が好きなのか。今後の参考までに教えてはくれないだろうか」



 意見を曲げることなく、真っ直ぐに氷みたいな瞳を見つめ。懇願し続ける定光のそれを、菊はただ見つめ返す。


 けれど、仕方がないとばかり。菊は呆れた色を帯びた息を吐き出す。



「……アンタとは違って、馬鹿が付くほどお人好しな人だった。馬鹿が付くほど鈍感で、馬鹿が付くほど救いようがない人よ。

 ある時、一匹の子猫を拾って。放っておけばいいのに、親がいなくて可哀想だって、そう言って。家では飼えないから、代わりに飼ってくれる人を探して。

 飼い主が見つかってその猫を届けに行ったら、子猫が急に鳴き出したの。おとなしい子猫だったのに、ずっとあの人に向かって鳴き続けてた。私には、『行かないで』って、『傍にいて』って。そんな風に、精一杯甘えているように感じた。だけど、あの人は、『飼ってくれる人が見つかって喜んでいるんだな』って。

 ……残酷な人だと思った」



 彼女が口を閉ざすと、定光はわざとらしく困惑顔をする。



「やっぱり僕には理解できそうにないな。君のことが、ますます分からなくなりそうだ」


「恋愛なんて、所詮賭けごとみたいなものよ。惚れた方が負けの、極めて単純なゲームに過ぎない」



「ただのお遊びよ」菊は口先で続けさせると、少しだけだが頭を傾ける。


 それから、自身の指先へと視線を置き。



「呪われているの……。あの人は、呪われているの。ううん、私も兄さん達も。私達はみんな、みんな、呪われてる。アンタだってそうじゃない」


「呪われてるって、この僕が?」


「ええ。アンタは籠の中の鳥よ。その中から一生出ることはできない、可哀想な人」


「本当、女の子っておまじないとか占いとか、そういう神秘的な話が好きだよね。でも、そうかもしれない。僕は、僕自身が嫌いなんだ。なんせ僕の体には、半分だけど憎き天正家の血が流れているんだ。

 僕は、父のことを尊敬している。君達がどう思おうが、僕は父を誇りに思ってる。だけど、父は完璧な人ではなかった。

 父は怯えているんだ、天正家の人間からの報復を。だから。芽は若い内に摘んでおかないとだろう」



 定光は残酷なまでに、彼女に向け満面の笑みを浮かばせる。


 けれど、菊はその笑みをじっと見つめたまま。一ミリたりとも表情を変えることなく口角を上げさせていく。



「生まれた瞬間から、決まっていたのかもしれない。あなたとこうなることが、運命だったのかも」


「うーん、僕は嫌いだな。“運命”って言葉は。翻弄させられているみたいで不本意だ」


「そう……。私は別に嫌いじゃないわ。だって、“運命”だって言われたら、簡単に諦めが付くもの――……」



 自身に言い聞かすような、頼りないその声は、静寂の中に溶けていき。跡形もなく、一瞬の内に消えてしまう。


 その余韻を味わう暇もなく、不意に外側から遠慮深げに戸を叩く音が聞こえた。



「……そろそろ時間のようだね」



 それだけ言うと定光は、菊に向かって無言で手を差し出す。それを彼女は冷やかな瞳で見つめるが、特にどうすることもない。代わりにゆっくりと、自身の手を伸ばしていく。


 それからそっと、壊れものにでも触れるみたいに。優しくと言うよりは、慎重に。ありったけの時間をかけ。おそらく冷やかだろうその手の上に、菊は自然に従うよう重ねさせた。

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