第34話 呪縛と加護の力

 大地は後宮の女官たちによって見事な『若くて清い乙女』に仕上げられていた。大地が普段着ている胴着の上に足もとまである白いドレスを着せ、頭から薄絹のベールを下ろした。女官たちはご丁寧に花まで縫い付けて、それはもうウエディングドレスのようだった。もともと中性的な顔立ちであり、体毛も薄い家系である大地は声も高めのテナーで、『若くて清い乙女』になる素材を持っていた。しかし大地は女装するような趣味はなく、たまたま城に侵入する際、家来を欺くために女官に化けていた。それをダフネに見込まれたというわけだ。


(こんな恥辱は初めてだ……絶対にテュポーンに食われて中から出てきてやる)


 大地は女官たちに身ぐるみはがされ、身をまとうものは何もない姿で風呂に入らせられたことを恥ずかしく思い、顔を赤らめた。救いはその場に和音がいなかったことだ。

「おお、これは素晴らしい。テュポーンが飛び上がって喜ぶだろう。なかなか似合っているぞ」

 満足げにダフネが言う。

「ところで武器は持っているのか」

 ダフネに聞かれ、ドレスの裾を持ち上げて見せた。ドレスに隠され、例のあのしょぼい剣が見える。

「お前はその貧相な剣で合成獣を討伐してきたらしいが、その剣のどこにそんな力があるのだ?良かったら城の剣を貸そうか」

 自分でも思っているがダフネに言われるとちょっとショックだ。

「確かに俺の剣はしょぼいです。それは認めます。でもこれは……」

 と祭事用の剣であると言いかけてやめる。

「軽いので使いやすいんですよ」

 大地の説明に納得するダフネ。



 大地はネストル司祭に連れられ、テュポーンの生贄を捧げる祭壇がある場所へ行く。討伐を試みるダフネたちはリタイによる隠しの力で見えないようにされ、離れたところから様子を見ている。相変わらずそういったものは信じないダフネであったが、パルネス側の人間が疑うことがないのを見て騙されてみることにした。

 祭壇は市内から外れた山を臨む崖にあった。ネストル司祭は大地が逃げないように足枷あしかせをはめると、静かに祈り始めた。テュポーンはどこからくるのか……大地はあたりを見回す。

 すると崖の下、地中から黒い闇の塊がわき、たちまち巨大な形をつくっていった。


(テュポーン……!)


 大地の鼓動は高まる。巨大な形はやがてその姿をあらわにした。上半身は人の形をし下半身は巨大なヘビ、肩からはおよそ100はあるかと思われる毒蛇が毒を撒き散らしていた。テュポーンに比べれば大地ははるかに小さきものだ。

 口から火を吹き、周りを焼き尽くすテュポーン。あまりの巨大さゆえに軍部がどう戦えるかわからない。

 そのテュポーンは大地を見つけると指でつまみ、一飲みにしてしまった。


「大地くん!」


 思わず和音が加護の力を使おうとするが、ティマイオスがひきとめる。今はそれを使うときではないからだ。


 テュポーンに飲み込まれた大地はティマイオスが言ったとおり、咀嚼そしゃくされたり消化されたりすることはなかった。それはゾーマ国へ出発する前にリタイが大地に与えたリタイの加護というものなのかもしれない。考えてみれば城で不審者として処刑されなかったのもそのせいなのかもしれなかった。


 テュポーンの中は混沌こんとんとした闇だった。


 闇の空間に漂いながら大地はアーテのこともリタイのことも仲間のことも考えられずそのまま記憶を逆行していた。


(なぜ俺はこんなところに……?)


そこへあの嫌な記憶が呼び覚まされる。



 小学3年生まで大地は育児に全く手がかからず、先生や親の言うことをよく聞く素直でいい子だった。しかし3年生を過ぎたあたりから自分が思うことややりたいことを我慢できなくなり、ある参観日にたくさんの保護者の前で窓から抜け出したのだ。それを皮切りに他の子どもたちも大地と騒ぐようになった。席につかない子どもたち、話を聞かない子どもたち、授業が成り立たない日々。学級が崩壊し、担任は休職した。同じタイミングでリコーダーの学習もすすみ、運指が思うようにできない大地は音楽の時間になると暴れた。

 やがて代わりの先生や大地につきっきりでみてくれる先生がクラスに入った。その先生は大地が理科に興味を示し、その話をすると落ち着くのを知った。その一つが鉱石や岩石だった。たかだか河原の石ころでも大地は図書室で調べたり博物館で調べたりしたのだ。


「山代くんは石を持つとイライラしても落ち着きますよ。石が彼の暴れ防止のキーポイントです」


大地付きの先生の言葉に周りの先生もなるほどと思い、以来、大地が何か起こそうとしたら石を持たせるようになった。そして必ずこう言い聞かせた。

「クールダウンだよ」


 大地付きの先生は大地のことを認め、たくさんほめてくれたので、大地はこの先生が好きだった。しかし周りの先生たちはそうした人間関係もなく、ただクールダウンのために石を持たせたのだ。

 大地はこの大地を認めてくれる先生が悲しむのが嫌だった。ならば、いい子になろう。納得いかないことも我慢しよう……そう大地は自分にいい聞かせてあらゆる反抗をやめた。小学校6年の頃にはいい子の大地に戻っていた。


 しかし本当は心の底で納得いかない想いがくすぶっていたのだ。


「違う、違う、俺はいい子になりなかったんじゃない!」


そのころの情景がめぐり、大地を苦しめる。


「俺の気持ちが理解されず、何でもかんでもその場しのぎの石を持たせたクールダウン……いい子でなければならない、自分の考えや気持ちはいい子の犠牲になってきた。そんなものは俺じゃない、違うんだ!」

 

何かが大地の脳裏を駆け巡る。そう、確かあれはカリアスに対して怒ったときだ。自分でもわからないくらい久しぶりに怒りを感じ、声に出した。それは後悔のない自分の気持ちだった。


「俺は本当はいい子になりたかったんじゃない!先生の顔や親の顔をみて悲しませたくなかったからがまんした。自分の気持ちを無視した、自分がいい子でありさえすればみんな困ることはなかった……。でもそんな支援は嘘だ!石で誤魔化されて……俺はもう自分に嘘はつかない、もう人の顔色をみていい子ぶるのはやらない、やりたくない!」


 大地が叫ぶと同時に現実に戻る。大地は自分で呪縛を解いたのだ。


 外ではテュポーンの毒蛇が毒と吐き、まき散らしている。あがめるようにそばにいたネストル司祭は体中に毒を浴び苦しんでのたうち回って死んだ。それは司祭でさえ怪物の餌食になるという、アテ神の本性だ。


 やがてテュポーンは生贄が男であることに気付いたのか体をうねらせる。大地は内部からそれを感じるとすかさずドレスを脱ぎ捨て、剣を取る。


「食われたお返しをしてやる!こんな理不尽な怪物にこの世界を滅ぼすなんてさせるか!」

そうして剣を手に叫んだ。


「アダマス!」


 大地の剣はたちまち大鎌の形に変化した。万物を切り裂くゼウスの武器、アダマンタイトの大鎌である。そしてそれは一瞬で巨大化し内部からテュポーンを切り裂いた。


 ズバーン!!


 テュポーンの喉元が内部から裂かれ、中から大地が飛び出す。宙を舞う大地を瞬時に大蛇と化したミワが背中で受け止める。


〈 自分で呪縛を解いたな。おまえはゼウスの加護を受けている。さあテュポーンに打ち勝て、立ち向かえ! 〉


「なんだ、落ち込んでいたんじゃなかったんだな、ミワさん」


〈 神々はおいそれと手出しをせぬものだからな 〉


 ミワはそう言ってテュポーンの周りを飛んだ。

 

 大地が吐き出されたのをきっかけにリタイの隠しの力が解かれ、渚や剣斗、両国の兵士たちが切りつけ、和音が彼らを『祈りの盾』で守っていく。苦しんで暴れるテュポーン。しかしなかなか打ち取ることができない。テュポーンがのたうち回って暴れるたびに地面が揺れ、地割れが起きる。兵士たちがなぎ倒され、100もの毒蛇の毒が降り注ぐ。リタイが風を起こし毒を無力化する。それでもテュポーンはまだ生きていた。アーテにより闇の力を得たテュポーンの息の根を止められずにいた。疲弊ひへいしていく兵士たち。


 渚は青龍を呼び、剣斗はフレイを呼んで空中から参戦するが、ポセイドンの三叉槍をもってもクトニオスの魔剣をもってもテュポーンはなかなか弱ることはなかった。そう、大地がテュポーンの体の闇の中に漂っていたように、ゼウスによって火山の下敷きにされたテュポーンと違って物理的な攻撃が効かない魔物だったのである。


「フフフ……なんておもしろい、さてどちらが勝つのか負けるのか。どちらでも私は構わぬ…最終兵器はわがもとにあるぞ」

 遠目に様子を見ていたアーテ。アーテの背後にはゾーマ国の科学者が女神アテの『入れ知恵』によって作り出したもう一つの兵器であるミサイルが量産され、発射を今か今かと待っていた。ゴルギアスの目の届かないところで科学者の心はアーテに操られていたのである。

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