第32話 史上最大最強の怪物テュポーン

 ゾーマ国王立病院

 まるで死人のようだった和音は大地によって元のように……いや回復して進化をすると、再び負傷兵の回復へ力を使っていった。和音はもう命を削る間違いを犯すことはない。自分の力の源を知ったからである。

 聖職者であるアウラの祈りの力に医学の神の加護である回復の力、そして和音自身が音楽表現で培った癒しの力、それらが和音の力の源だった。渚も剣斗も自分を加護するものを自覚している。ただ、大地はまだそれがはっきりわかっていない。わかっているのはオレイカルコスの要素だけだ。

「あら、かわいいわね。なかなか似合っているわ」

 兵士の回復の合間に看護師のパナケイアが和音の髪の毛を結っていた。和音の髪はくせ毛で、細くうねっている。和音自身は大地や渚のようなストレートの髪に憧れていたが、伸びた髪の毛を二つに分けて結い、小さなお団子にして耳元で留める髪型はまんざらでないようだった。


 何より……かわいいと言われたのはこれが初めてだったのである。


「パナケイアさん、お忙しいのにありがとうございます。自分で結えるように練習します。そしてかわいいって言ってくださって嬉しいです。そんな言葉、言われたことがなかったので」

 回復して以来、和音は少しずつ自分を肯定できるようになっていた。内気なところがなくなったわけではないが、心にしっかりとしたものが根付いていたからだ。

「まあね、戦線ではそんな余裕なかったからね。いいじゃない?こういう変身ができるのは女の子の特権だから」

 パナケイアはそう言って笑った。


 あれから大地とティマイオスは例の居酒屋で働いている。大地が厨房に、ティマイオスがホール係として働き、ゴルギアスが渚を『解放』してくれるのを待っている。渚の夜伽の職を解く事についてはゴルギアスが相変わらず許可しないからだ。そしてこのことは剣斗ももどかしく思っていることだった。



 ゾーマ国首都市内。今や国中に広まっているネストル司祭の言葉。

「女神アテの神託が下りた。神託を無視して生贄を出さず、怪物を捕虜に討伐させたことを神はお怒りだ。このまま生贄をださねばさらに国に悪いことが起きると。人々は苦しみに会うだろうと。助かりたいものはさらなる寄付寄進を神に捧げよ。誠を神に表せよ。生贄を捧げよ!」

 前回の怪物が相当なものであり、初めて経験する災厄だったために人々は恐れおののき、ネストル司祭の言葉を信じて家じゅうでありったけの宝石貴金属を集め、貯めていたお金を寄付をした。そして土地不動産があるものは教会用地として寄進した。誰もが助かりたい思いでいっぱいだった。


 ゾーマ国城空中庭園。ゴルギアス国王の亡き母の思い出が残る場所であり、ゴルギアスのお気に入りの場所、そして大地とティマイオスが雨の中空中から城内へ忍び込み、城の脆弱なところが露見した場所でもある。あれ以来、空中庭園には守りの兵が置かれ、ゴルギアスにとっては言いたいことも言えない場所になっている。しかし母が好きだった植物を見るのは日課であり、今日も乳母子めのとごであり近衛を務めるダフネと訪れている。

「ゾーマ国は確かに戦争に勝利したがなぜかすっきりしない。ダフネはどう思う?」

 ゴルギアスは双方に相当な戦災をもたらした今回の戦争にわだかまりを感じていた。

「陛下のおっしゃる通り、私もすっきりしません。戦争の経過について情報に踊らされ、仕掛けられた感じがあります」

 ダフネは嫉妬深いところを除けば思慮深い所があるのでゴルギアスの相談に相手になっている。頭が固い大臣たちを相手にするよりはるかに率直で妥当な意見を言うことができていた。

「やはりそうか」

「そして陛下、今国中に広まっている教会の言葉をご存じですか。生贄を出さなかったので悪いことがまた起きる、助かりたいのなら寄付をしろと。私はこのことも疑問に思います」

 ダフネの言葉に周囲に兵がいないか確かめるゴルギアス。

「そうだな、わたしも怪物を討伐できたのになぜそのような神託が下りたのか疑問に思っていたところだ。このことはお前と私だけの話にしてくれ。神託に疑問を持つのはタブーだからな」

 ゴルギアスがそういうとダフネはフフッと笑って答えた。


「御心配には及びません。陛下、私の信じるものは女神ではなく陛下だけですからね」


 あっさりと大それたことを言うのでゴルギアスは目を丸くした。

「ダフネ、お前は恐れを知らぬな」

「ええ、陛下。恐れていては近衛も務まりませんから」

 

 二人が話していると急ぎの伝令がやってきた。息を切らせながら早口でまくし立てる。

「申し上げます陛下、とてつもなく巨大な怪物が現れました!」

「とてつもなく巨大な怪物?前回夜伽が討伐した怪物より大きいのか、被害は?」

「前回よりはるかに大きい怪物です。膝から上は人の形で膝から下は蛇で、火を噴くだけでなく肩から百の毒蛇が生え、毒をまき散らしています。翼をもち、どこからともなく現れて人々は逃げる間もなく火と毒気にやられています。被害は甚大、前回の比ではありません。村が人々とともに消滅してしまったほどです。そしてこれを受けてネストル司祭様が『生贄をださないからだ、女神様はお怒りだ』と。今回のことに人々は口々に生贄を出せと言っております。終止がつかないほどです」

 想像だにできない伝令の言葉にゴルギアスは司祭と大臣たちをよび、対応を協議することにした。


 会議に招集された大臣たちは文句は言っても対応をどうするか考えられないでいる。ネストル司祭がここぞとばかりに強い口調で言う。

「前回はなぜ、生贄を出さずに夜伽とその仲間に討伐させたのですか!女神の言葉を無視すればどうなるかお考えにならなかったのでしょうか。女神の神託によればあれは『テュポーン』という、至上最大最強の怪物とのこと。そんなものが女神に守られしこのゾーマ国に現れたということは、前回の神託を無視したことの女神の怒りに他なりません。即刻生贄を出すことを協議していただきたい。生贄としてふさわしい清い乙女を差し出さねば次はどの町が被害を受けるかわかりませんぞ!」

 会議をしている大広間にネストル司祭の言葉が響きわたる。

「ネストル司祭殿はあのように申しておるが、誰かふさわしい生贄の人選ができる者はいないのか」

 ゴルギアスは生贄という事に疑問を抱きながら、ふと大臣たちに尋ねてみるが、案の定視線をそらせて『誰がネコに鈴をつけるか』状態だ。

「ここは……国王陛下に人選をお任せしてはどうでしょうか」

 ある大臣がこう小声で話すと、残りの大臣たちもそうだそうだと同意し始める。誰もがこの決め事の言いだしっぺになりたくはなかった。ネストル司祭も大臣を味方につけたとあって強気だ。

「陛下、大臣たちの意見はもっともなことだと思います。国の存亡をかけた決め事だからこそ、陛下の的確な指示をいただきたく思います」

 ネストル司祭がそういうと、大臣たちは合わせるかのようにゴルギアスを見つめた。今までさんざん自分を子ども扱いして添え物状態にしていたくせに、今回のような国の存亡をかけた決め事ひとつできないことにゴルギアスは腹立たしく思った。

「よかろう、生贄の人選はこちらで行う。では、私からもお前たち大臣に言っておく。国のことを決められず国王である私に投げるような大臣はもはや老害に過ぎない。老害にはふさわしい老害施設を作っておくから入所するように」

 ゴルギアスの言葉に大臣たちは顔を見合わせ、言葉を失った。ゴルギアスは半分以上本気で言ったのである。


 会議は閉会となり、大臣とネストル司祭が帰るのを見送りながらゴルギアスはどうしたものか思いあぐねていた。

 そこへ会議室の外で聞き耳を立てていたダフネが言葉をかける。

「生贄を出さないからと言ってテュポーンという巨大な怪物を差し出し、再び生贄を出せとはまるで脅しですね。そんな子どものわがままのような女神がこの国の守護神だなんて馬鹿げたことです」

 相変わらず恐れを知らぬ物言いだ。

「ダフネ、正直言って私は生贄の人選ついて考えがない。中には夜伽の渚をだせ、と言う者もおる。しかし渚はだ、生贄として差し出す考えはない。生贄にするぐらいなら討伐に向かわせる……と言いたいがテュポーンは人間が討伐できるような相手ではないようだ。ダフネは何か考えがあるか」

 ゴルギアスのという言葉に目を吊り上げながらもダフネは答える。


「陛下、私に考えがあります。生贄としてふさわしい清い乙女、差し出しましょう」


 ゴルギアスに向かってこれ以上はないというくらい微笑むダフネ。ダフネがこのような表情をするときは何かを企んでいる時だ。しかし今は国家存亡の危機だ、国の為に何か考えがあるのだろう。ゴルギアスはその計画を聞いてみることにした。

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