第20話 捕虜

 オロビア市が陥落してからというもの、ゾーマ国内は勝ち戦に町中が賑やかくなっている。何よりも物売りや飲食などの店が景気がよく、給料を当てにした兵士だけでなく、誰もが戦争の勝利を確信し、酔っていた。

「パルネス国は時代遅れの戦い方で負けたそうだ。信仰心がない奴らは時代の流れに気づけなかったんだろうなあ」

「捕虜の中にはあの怪物を討伐する者がいるそうだ。こっちでもひと働きしてもらうんじゃないのか」

「やはり我々は神を敬う敬虔な信徒、無神論者のパルネス国に負けるわけはない」

 口々に町の人々が話している。この話題は世間話でも酒のつまみでもなっているので、朝から晩まで尽きることはない。


 ゴルギアス国王は乳母子めのとごであり、近衛隊としていつもそばにいるダフネを引き連れて城の地下牢に来ている。テッタリア戦線を破り、パルネス国へ進軍する際に捕虜として捕らえた中に怪物の討伐組がいると聞いたからだ。ゾーマ国内でも怪物は現れ、人々に被害を与えている。誰もが怪物の討伐について全く知識も経験もなく、軍の兵士でさえ逃げ惑う有様だった。


 城の地下牢は長きにわたって現王朝が続き、安定した国政が行われたせいか、国家転覆などといった反逆による大罪人は入ることはなかった。捕虜になった兵士は城外の軍の収容施設へ送られ、ここへきているのは隊長クラスの渚、剣斗、医療班である。回復しきっていない兵士の看護があるので彼らとともに一緒に送られた。地下牢というおよそ医療と看護には適さない場であったが、和音がいたため渚が軍の施設へ送ることに抵抗したからだ。軍もまだ子供のような、しかも病人のような和音を戦線へ送り込むほどパルネス国が追い詰められていたと考え、渚の『保護者的見解』に理解を示したのである。そんな地下牢にパイエオン医師は真っ先に換気と清潔な水を要求をし、認められた。ゾーマ国の医療はパルネス国に比べ遅れており、特に負傷した兵士の手当てについて治すのではなく『切る』というやり方しか知らないので、ゾーマ国の医師も興味深く立ち会うことが多かった。

 

 国にとって課題である怪物の討伐ができる二人に早く会ってみたいと思い、ゴルギアス国王は地下牢へ足を運んだ。普段国王はこのような場所へ来ることはまずないので、湿気が多く暗いこの場所の環境に驚いている。

「ひどいな……捕虜は罪人ではない。もう少し環境の良い場所を提供するべきではないのか。行動を制限すればいいだけの話ではないのか」

「仰せの通りでございます。私が捕虜であったなら自分をネズミ扱いされたと思って泣きますね」

「このことは至急に大臣たちを集めて協議するとしよう。もっとも、うるさい年長者たちにどこまで聞いてもらえるかわからぬことだが……いっそのこと彼らが国王を務めればよい」

「陛下!ご自分を下げすむようなお言葉はおやめください」

 ダフネがひどく憤慨している。ダフネはゴルギアスに対して一途な思いを持っていた。それは乳母子として幼い時からずっとそばにいたこともあったが、まわりの大臣や摂政たちに言いなりになるしかない国王の立場を理解しているからだ。

「わかったわかった。今の言葉は取り下げる」

 そう言って進むとまず剣斗がいる地下牢へ来た。多少はやつれてはいるが、体格の良い若い青年である。剣斗はゴルギアスを見ると敬意をもって一礼をした。


「お前は私に頭を下げるのか。敵国の領主であるというのに」

 予想しなかった剣斗の行動に驚く。

「誰に仕えているのではなく相手はどのような立場の方か考えてのことでございます。私が元いた世界では当たり前のことです」

「そうか……。名前は何という?お前はパルネス国で怪物を討伐していたそうだが、間違いないか」

「私は剣斗といいます。同じようにここにきている渚、そして医療班にいる和音……ここにはいませんがもう一人大地という名の仲間がおります。4人で討伐をしておりました」

 剣斗は討伐に深くかかわってはないが大地のことも話した。ともに異世界に召喚され、ともに生活を送った大地も討伐の仲間だ。そんな思いを持っている。

「……どうだろう、我が国でも怪物の討伐をしてはもらえぬか」

「私にできることであるならお引き受けいたします。ただ、同じく捕虜としてきている白百合学園の生徒の即刻本国送還と怪我をしている兵士の医療班での適切な処置の継続をお願いできますか」

 剣斗の言葉に少し言葉を詰まらせるゴルギアス国王。

「大臣たちに交渉してみなければわからないが、私個人としては同じ気持ちだ。できるだけ話をしてみよう」

「ありがとうございます。国内にはどのような怪物が現れるのか情報をいただけますか。そして討伐の際には私の剣を使わせていただけますか」

「そうだな、武器がなくては討伐できぬからな。希望通りにしよう」

 国王の言葉に剣斗は安堵する。



 ゴルギアスはそのまま医療班がいる地下牢……パイエオン医師が環境の改善を訴えて監視付きという条件で、換気と採光、清潔な水が認められた……を訪れた。ゾーマ国の負傷兵の医療と違い、大ケガをしても四肢を切らずに手当てをしていることに驚いた。

「これはケガの手当ての方法が私たちと違っているということか。パルネス国はどのような医療をしているのだ?」

 ゴルギアスが見渡していたところへパイエオン医師が前に出る。

「陛下、基本はまず止血をしてそれ以上の出血を止めます。血止めや痛み止めも使い、骨が折れた場合は添え木をして固定し、骨がつながるのを待ちます。しかしあまりに大きいケガだと……この子……魔法を使う、この子の世話になります」

 医師が視線をやった先には今にも死ぬのではないかと思われるやせこけた女の子が横たわっていた。

「この子が……?まるで病人ではないか。魔法だか何だか知らぬが、こんな姿にさせてまでやる必要があるのか。ダフネはどう思う?」

 ゴルギアスは振り返ってダフネに尋ねる。ダフネも和音の様子をみて、疑問がわいたところだ。

「明らかに自分の生命力を削って負傷兵を回復させているではありませんか。この子、このままだと死にますよ。私は感心しませんね」

「……そうだな、ダフネの言う通りだ。魔法より我らが望むものはパルネス国の医療についてだ。協力してくれれば本国へ送還もあり得るが頼めるか」

「陛下、人の命にかかわる医療という職に国境はないものと私は考えております。私どもができることであれば協力を惜しみません。ただ、回復途中の兵士につきましてはこちらで面倒を見させてください。そしてあの和音という女の子についても……あのようになってしまったのは私どもの責任でありますから、回復するまで見させていただけないでしょうか」

 最後まで仕事として負傷兵の面倒をみるという医師の言葉に責任感を感じたゴルギアス国王は迷うことなく意思を伝える。

「負傷兵と女の子の件、承知した。医療については我が国の医師も学べるよう、環境を整えるつもりだ」

 パイエオン医師も看護師たちもこの言葉に気持ちにゆとりができた。とりあえずは医療に専念できる、それが一番良かった。



 ゴルギアスは一番奥にある地下水路のそばの地下牢まできた。ここは地下水路が近いとあって四六時中水が流れる音が聞こえている。パルネス国と違い、ゾーマ国の市街地は井戸水に限らない原始的な水道と下水道システムが作られていた。このことに早くから気づいたのが渚である。元いた世界で水道工事に携わっていたので余計に興味を持ったのだ。そのこともあって自らこの地下牢を選んだので、ゾーマ国の人間から不思議な目で見られていた。

 ゴルギアスが来たときには渚は固い板のベッドに腰かけて水の音を聞いていたところだった。物音に気付き、それが城の人間二人のものだと知ると、立ち上がって礼をした。これは先ほどの剣斗が言う『誰に仕えるかではなく相手の立場に敬意を示す』というものだと改めて自覚をする。そして渚が顔をあげたとき、ゴルギアスに何かの衝撃が走った。


(なんて美しい女だ……このような女が戦線に立つとは……)


 言葉もなくじっと視線を外さないことにダフネが思わず声を出す。

「陛下、何を迷っておいでです?目的をお忘れでしょうか」

「ああ、そうだった。剣斗という捕虜から聞いておる。名は渚で良かったな?」

 渚は静かに頷き、何があっても受け入れる覚悟でいた。

「剣斗には国に出没して国民に被害をもたらしている怪物の討伐を依頼した。この国には討伐できる人間がおらぬ。お前には……」

 そこまで言ってしばし考える国王。やがて渚にある『命令』を下す。

「お前には私の夜伽を命じる。捕虜の本国送還と引き換えだ」

 覚悟はしていたが思わぬことで驚きの表情を隠せない渚。しかし驚いたのは渚だけではなかった。

「陛下、お戯れでございますか!捕虜の夜伽など聞いたことはございません。敵国の人間を後宮に入れるなど言語道断、もってのほかです!」

 ダフネが顔を真っ赤にしてまくし立てた。渚も少々戸惑っている。まさかそんなことを言われるとは思ってもみなかった。

「ダフネ、大臣たちは早く王妃を迎えるようお膳立てしようとしているではないか。それなら夜伽ぐらいは自分の好きにさせてもらうとしよう。私を人形のように思っている奴らに私は国王であると威信をかけて臨むのだ。後宮なら大臣たちの手に及ばぬところだ。私に自由があってはだめか?」

「もう一度お尋ねします、陛下。目的をお忘れでしょうか」

「忘れてはおらぬ。夜伽を探すためだ。怪物の討伐は先ほどの若い奴に任せておこう。ダフネ、後宮に入れる手はずを整えてくれ、これは命令だ」

 拳を握りしめ、絶対にありえない、という思いでは有ったが、命令とあらば聞かないわけにはいかない。ダフネは冷静になれないまま渚を地下牢から連れ出すと国王とともに後宮へ向かった。



(まさかこんな展開になるとは。討伐の為に捕虜となったはずじゃないの。気が乗らないな……夜伽ってアラビアンナイトレベルなら話を聞かせるですむけど、国王の話じゃどうもその先もある……)


 思わぬことに困惑する渚。もちろんダフネも同じだ。何より目が吊り上がっている。かなりイラついているようだ。ダフネは自分と同じくらいの年齢か、あるいは年下か。彼女も渚から見れば十分にきれいな花一輪といったところなのに、国王はそれを認めないのか。なんとなくいらつきの原因が渚だけではない気がする。


(同性として嫉妬ほど怖いものはない。困った……)


 そうこうしているうちに後宮へ着く。まわりの使用人や家来たちの視線を浴びて渚は妙な威圧感を感じた。ゾーマ国の後宮とは国王・王妃の住まう場所であるが、国王はまだ王妃を迎えていないため、そこではハレムを意味していた。しかも渚がその第一号という事で物珍しそうにその場にいる人々が見ている。渚は今まで経験したどんな威圧感よりもこの場の威圧感ほど重いものはないと感じた。

「陛下のお戯れにより、今日よりこの者が陛下の伽をする。よってふさわしい身なりと教養、ふさわしい躾をするように。くれぐれも武器になるものを近くに置かぬように。この者の本業は兵士であり、怪物の討伐である。武器を持てば陛下の命を狙いかねない」

 ダフネはそう言って後宮の女官たちに言いつけた。


(命があるだけマシだと思うけど非常にマズい。これは私の望むところではない……)


 そんな渚の憂鬱は当然女官たちにわかるわけでもなく、渚の汚れた鎧と衣服を無慈悲にもはぎとると寄ってたかって浴場で洗い始めた。

「待ってください、これぐらい自分でやりますから。」

 そう言ってはみたが、とにかく何か危険なことをしたらいけないからと聞いてはくれなかった。これではまるで犬猫になった気分だ。そして髪を整えられ用意された衣服を着せられる。二枚の大きな絹の布を肩ひもで前後に結び、刺繍が施された帯を締めたごく原始的なものだが、腰から足先にかけた自然なスリットからの露出はチャイナドレスよりもはるかに妖艶だった。その姿に様子をみにきたダフネはますますイライラしている顔つきをしていた。

「……陛下にもしものことがあれば即刻あなたを切り捨てて怪物の餌としますからね!」

 嫉妬に燃える女ほど怖いものはない。

「私は国王陛下を殺す理由がありません。捕虜を送還していただければそれで結構です。不必要とあらば討伐に行かせてください」

 渚のこの言葉にさらにイラついたダフネは渚に詰め寄り言い切った。

「ええ、あなたの望み通りにしてやるから、夜伽の仕事を褒められるぐらい失敗しなさい!」


 渚は夜伽として失敗しようと思った。


 その夜、今まで経験したことがないくらい憂鬱で不安でそして高まる緊張の中で渚は後宮の寝所にたたずんだ。当然のことながら入り口にはダフネが張り付いているし、女官たちも控えている。こんな状況で後宮にやってくる国王に何か企むなんて思えないのだが、自分は捕虜という身であり信用があるわけではない。

 カツーン、カツーン…ゴルギアス国王が女官を引き連れてやってくる。

「ダフネ、趣味が悪いぞ。私はそんなに信用がないのか」

 国王の声だ。ダフネを見て驚いたのだろう。

「これは陛下をお守りする私の任務です。陛下に信用がないのではなくて捕虜の夜伽に信用がないのです!」

「お前は大臣たちよりたちが悪い。まあ、気が済むまでそこにいるがよい」

 ゴルギアス国王もダフネの嫉妬深さに辟易しているのだろう。


 重くて厚い観音扉が明けられ、ゴルギアス国王が入ってきた。静かに礼をする渚。

「荒野に咲く花から夜の森に咲く花といったところか。磨きがかかってなかなか良いぞ」

 そう言って歩み寄ると渚に耳打ちする。

「心配はいらぬ。私はお前に手出しはしない。これはうるさい大臣を納得させる作戦だ。協力してくれ」

「ダフネはそれを知っているのですか。入口に張り付いていますが」

 それを聞いてゴルギアス国王はフッと笑うと

「そうだな。あれも仕事がなくて暇そうだからこのまま門番をさせておけばよい」

 その言葉にようやく渚も心にゆとりができる。

「それでは陛下、私は何をさせていただいたら宜しいですか」

「では、酒をいただこうとするか」

 そばにいた女官たちは用意していた酒やゴブレットをテーブルに運ぶ。

「あとはもうよい。お前たちは下がってよい。何かあれば入口のを呼ぶから大丈夫だ」

 その言葉に女官たちは礼をして下がっていった。何やら入口から強い気配が漂ってくる。ダフネがかなりイラついているようだ。渚は平然として酒を注ぐ。

「何か面白い話をしてくれ。朝から晩までパルネス国がどうのこうのって大臣たちの話ばかりで、名ばかりの国王のわたしはつまらん」

 国王の要求に戸惑いを隠せない渚。面白い話……今の自分の立場でそんな話があるのか。話せるのは物語だ。


「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。すると川から大きな桃がどんぶらこと流れてきて、それを家で切ると中から男の赤ちゃんが出てきました。ふたりは赤ちゃんに桃太郎と名付けて大切に育てました」

「ちょっと待て、桃を切ったら中の赤ちゃんも半分に切られるのではないのか」

 そんなことを言われても昔話はそうなのだ。

「昔話なので返事に困ります。では他の話をしましょう。昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんが山へ竹を取りに行くと、竹藪の中一本だけ光る竹を見つけました。おじいさんが斧で竹を切ると中から小さなかわいい女の子が現れました」

 そう言ったところでしまった、と気づく渚。

「だからその話でも竹を切れば女の子も切られるのではないか。お前の話はそんなのばかりか」

 確かにそうだ。昔話はどこか理不尽なところがある。もっとも史実ではなく昔話だからこそ許されるのだが…

「昔話でなくてもよろしいですか」

 渚が酒を注ぎなおすとゴルギアスは頷いた。まあ、どうせ暇つぶしで後宮に女が入ったという事実を作ればいいのであって、別に昔話がどうのこうのではない。要は大臣や摂政たちを誤魔化せばよい、そう思っている。


「ある世界に4人の若者が突然現れました。4人とも他の世界で普通に平和に暮らしておりましたが、理由も原因もわからないまま、送り込まれたのです。2人は戦争の経験どころか人を殺したこともないのに軍隊に入り、あとの2人はその世界の学校へ通うことになりました。軍隊に入った2人は怪物を討伐し、なんとか社会の役に立つよう働きましたが、ある日戦争が起き、どうしても相手を殺さなければならないようになりました。血で汚れた手を見るたびに自分を見失い、このままではもう二度と元の世界に戻ることもないであろうと涙する日々を送っておりました……」

 そこまで聞いてそれが渚と剣斗の話であることに気づく。うつむき加減の渚は涙ぐんでいる。

「お前たちが異世界から来たというのは本当だったのか。すまない、兵士であるお前が人を殺してそこまで悩むとは思えなかった」

「……お忘れください。しょせん、物語ですから。私たちが住んでいた元の世界の国は過去に戦争で軍隊も民間人も多くの被害を受けました。反省をし、平和な社会を目指した歴史があります。申し訳ありません、私こそつまらぬ話をしてしまいました」

「わかった。今日はこれまでとしよう。入口のも朝まで張り付かせてはかわいそうだからな。次に来るときは添い寝でも頼むとしよう。うちの大臣と摂政はほんとうにうるさいからな」


(え?添い寝…!?)


 渚の驚いた顔をあとにゴルギアス国王は後宮から出ていく。

「気が済んだか、ダフネ。お前が寝不足になって肌が荒れても困るからもう出てきたぞ」

「へ、陛下!私はそのような」

 二人の会話に笑みがこぼれる渚。夜伽という名の心配がまずは消えた。

 

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