綴り方が不得手である
《オソクナル》
だが、暗い部屋に戻ってみれば、ちゃぶ台の上にはそんな書置きがあったのだ。
なあんだ。
七輪で湯を沸かした。沸かしている間に、蝿帳に冷や飯がもうないと気づき米を研いだ。
湯を飲んで、一日のあれこれを思い出してぼんやりしていた。
はっとした。
計算問題の宿題があったことを思い出し取りかかったが、半分まで進めたところで眠くなった。まあよい。写させてもらう当てはある。
こんな時の宿題が、綴り方でなくてよかった。
素行不良の児童として問題を起こしたときには校長先生と一緒に相手方に出向いてかばってもくれ、何かと様子をたずねられ親切にしてもらっているのだが、綴り方の先生が苦手であった。
思い返したくもなく書きたくもない大海嘯のことを書け書けと申すし、叔父の仕事ぶりや本屋での仕事のことを書けば、児童らしくないと突き返されるのである。生活を見つめ、さらに正しい生活態度で社会を見つめよと申すのである。
そうして近頃はほかの綴り方の先生とどうも見えないところで対立している。
その、ほかの先生はなにかにつけ愛国と申す。軍からの寄稿もあるような、立派な文集をこさえて、立派な愛国少年少女たれといさましいのである。
たしかに大海嘯の時には軍の助けがいち早く来たのである。そのありがたさは覚えている。けれど、その内容を書くにしても、先生は自分の思うように口を挟んでくるので面白くなかった。
この自分はどちらの指導からも自分の生活ははみ出していると思えて、結局なにも書けぬ。
綴り方の材料としてほかに思い浮かぶものとしては、姉だ。
もちろん姉のことは目下家族全体の大きな問題である。が、彼女がカフェーの女給かも知れぬと書くだけで、指導が入るに違いなかった。それほどまでにカフェーの印象は良くないのだ。仕送りをしてくれているのに。
綴り方の先生は、児童の家庭の事情は単に教育の素材とでも考えているのか。迷惑を感じることが多い。それならば計算問題の宿題の方がまだ良いではないか。
ほどよく冷めたお湯で顔を洗って身体と手足を拭いて、歯を磨いてさっぱりした。それから床を延べた。
昼間、日ごろの疲れで眠っているだけだと思った叔父が干してくれていたらしく、薄い布団なりにふんわりとして心地よかった。
昨日から軒下にイワシも干してある。食うには早いだろうか。昼にでも味見をしたのか、どうも一匹足りないように見えるのだが。
朝には新聞配達がある。早く回って、牧場にも寄りたい。
牧場は小鳩堂のどん太の家だ。挨拶をしてやろう。どん太はきっと長いまつ毛で、ぱちぱちまばたきをして、草やら人参やらを食べるのだろう。戻ったら叔父さんが炊いてくれたご飯で握り飯をこさえて焼いて、味噌もつけてやろう。
朝の予定が目まぐるしく、考えるうちにすとん、と眠ってしまった。
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