流れ去る時空 ~オートバイのある情景~

深町珠

RZV500R

第1話 RZV500R ・TZR250 中央高速・麦草峠


[Prologue]




午前二時。


中央高速下り線。



この時間になると、東京から下る車は少ない...それ故、ここは

格好のワインディング・ロードとなる。


いくつものヘッドライトの閃光が光芒となり、一瞬に彼方へ。


その、ひとつひとつが、まるでマシーンの魂であるかのように。



少年は、フル・フェアリングに伏せたまま、右手を引き絞っていた。

透明なスクリーン越しの景色の彼方、ヴァニシング・ポイントを見つめ。


すでに速度計はフル・スケールをはるかに超え、速度を知る手がかりにはならない。

7時あたりの位置で、ストッパーにあたり、停止している。




「...そういえば、これはクレームにはなんないって、バイク屋の親父さん

 言ってたな。」



このあいだ、速度計をオーヴァースピードrunで破壊し、クレームで交換したばかり。

そのときに、ディーラーのセールス、故障を不審がっていたのだが....。




回転計が10000rpmを指し、少年は、すばやく6速にUPする。


トラクション変化を与えないように、ハーフ・クラッチ状態ですばやく。

ハイ・スピード走行には、それなりのテクニックを要する。

聖なるスピードへの儀礼のようなものだ。


スピード。スピード。スピード。


速度は力。スピードこそが少年にとっての、ドラッグレス・ドラッグ。


飛翔に誘う、聖なる翼.....。


少年の満たされぬ欲求、暴力衝動の転換。





こいつがあるから、生きていける。

モーターサイクルは、彼自身。

カストロールの漂う気圏こそ、彼のフィールドだ....。




実存するマシン、RZV500Rはただ正確にスロットルに応じている。

少年の想いとは、無関係に。

2-stroke 2軸V配列4気筒。500cc。

爆発的なパワーも、「彼」にとっては整然たる事実。

ただ、人間がそれを相対的に捉え「爆発的」と表記するだけのことだ。






彼は、フル・フェイスのヘルメットの中で思う。



「なせ、俺、こうしてるんだろう....。」



意味も無く、眠れぬ夜が続く。

訳もわからず、バイクに跨る。

そして、いつもこうして峠を目指す。


夏も、そろそろ終わろうとする。

シャツの袖から染みこむ風が冷たく感じる8月の終わり。


コーナーが近づく。

6th/10000rpm、およそ、240km/h。


このままでは、オーヴァーランだ...。

アウトよりにラインを修正し、フル・スロットルのままブレーキング・ポイントへ。


左、やや前方に腰を移動し、タイミングを計る。


コンクリートの防護壁が、怪物のように立ちふさがる、アウト・コーナー。





「まだだ。まだ..もうすこし。」





コーナーの、向こう側が見えた!


フル・ブレーキング!





16インチ、ミシュラン・セミ・レーシングは、白煙を上げ、ステアリングに

小刻みな揺れが伝わる..。


すばやく車速を落とし、4速に、シフト・ダウン。


エンジンは、GPマシンそっくりの悲鳴をあげる。



フロント・タイアは慣性の法則に従い、アウトへ。

瞬間、リア・タイアにフル荷重を掛け、スロットルをゆっくりと全開。

リア・タイアは綺麗な弧を描き、スライドをはじめ、フロントは追従する。


低く、前方に荷重し、少年はスライドを制御する.....。





トラクションを得たRZV500Rは、直線的に立ち上がりラインを駆け上がる。





走行車線を、同じように、フル・バンクさせているマシーンが。



「....?」



白っぽい、レザー・スーツを着た華奢な感じのライダーは、

着実なグリップ走法でコーナーをクリアしようとしていた。



テール・カウルから突き出た2本のエキゾースト。



スーパーMの香りが漂う。



「3MA(TZR250)かな。」




少年は気にもとめず、フル・スロットルでサイド・パス。



V4サウンドは天上のMusic....。



その絹擦れのような音を聞いていると、少年はとても落ち着く気分。

不思議なようだが、男という生物はそうしたものだ。

戦闘こそが、男のfield。


極限に近づくほど、危険なほど心は踊る。


有性生殖の基本原理のような、競争。攻撃。

それを隠蔽する現代社会。

代償としての、スピード。


ここに彼がいる、ということ、

それ自体、彼の少年からの離脱、「男」の萌芽を意味している....。



そのことに、彼自身、未だ気づいてはいない。

いや、気づいたとき、代償は不要となるのだ....。



再び得た、ストレート。


フル・スロットルで5thに。


やがて、中央高速は山岳区間に入る。

八ヶ岳が、白く尖鋭な峰を連ねている。


長坂ランプ・ウェイを登る急坂路を軽く駆け上がると、

星に手が届きそうな錯覚に陥る。


やや、ドラッグレス・ドラッグに酔っていたのかもしれない。





その感覚を、かつて少年はアンツーカーの上で感じていることができた。



スプリント・レース、ゴール寸前、世界は疾走した。


彼の周囲すべてが、光り輝くように感じられ。

一瞬は、永遠....。runnner's high。




いつごろからだろう。トラックに魅力を感じなくなり、

そのころから、記録も低迷し始めた。


「あの感覚」を覚える事もなく、彼は、アスリートではなくなっていった。




「.......。」



いつも、思い出してしまう。思い出したくないのに。


彼は、振り絞るように、緩んでいたスロットルをワイド・オープンし、

ふたたび、フェアリングに伏せた....。


コーナーのRが小刻みに変化する。機械的に体が反応し、右。左。

ターンを繰り返す。


2速にホールドし、スリッピーな路面に注意を払いながらヒル・クライム。

コーナーのRが小さく、2st500には狭すぎる路面。

少年は注意深く、ひとつひとつのコーナーをクリアして行く。

ブルーブラックの朝は、遥かにやや白み始める。

あけの明星が輝くころには、麦草峠につくだろう.....。


2-strokeの排気音だけが低く、ワインディング・ロードに轟く。

時折、スロットル・コントロールがラフになり、テールスライドしたが、

その程度は、いつものことだ。

標高が高くなる。

肌寒くなり、山にいるのだ、と実感。

コーナーのRが緩くなると、もうすぐ峠だ......。


砂利のひいてあるレスト・ハウスのパーキングに、マシンを停め、

イグニッションを切る。


シーンと、耳鳴りのような音がするほど静かだ。

風の渡る音が、聞こえる。

すすき野原に、朝もやが。


マシンを降りると、なんとなく浮遊しているような感じがする。


ヘッド・ギアを取ると、さわやかな朝の空気が、

汗ばんだ髪にしみこみ、いい気持ち。

少年は、パーキングの隅の自動販売機で、コーヒィを買い、

一気に飲み干した。



「........nm......。」



大きく、伸び。


充実感。



Natural-high。


いい感じだ。


この瞬間のために、これまでの経過が存在する。

そんな回想を、ひとり巡らす少年。


......と。



甲高い2-strokeのsoundが聞こえたような気がした。


「.....まさか?」


耳鳴りか?


....いや、リアルサウンドだ。


パラレル・ツイン。ハイ・コンプだ。


かなり、高い回転をキープしている。


少年と同じルートで、ヒル・クライムしているようだ。


「無茶だぜ....。」


このコースは、アクシデントの多いことで有名なロード。

それを、フル・スロットルで....。


排気音は、ぐんぐん近づいてくる。


シフト・ダウンし、最後のコーナーをクリアする。


大きく、テイル・スライドし、排気音が乱れて。

かまわず、フル・スロットルで少年の目前を、パラレル・ツインは通過した。

朝もやを舞いあげ、とおりすぎたmachine。


さっき、中央高速で追い越した、3MAだった。

白っぽい、レザースーツが残像として少年の網膜に焼きつく....。


そのまま、ダウンヒルにかかった。


「....アブねぇなぁ.....。」


レストハウスの前は直線だが、すぐに下って、きつい右コーナーになっている。

知らないで突っ込めば、たいてい....。


排気音が途切れる。






擦過音.....!





「やったか....。」 ^^;



少年は、苦笑いし、ヘルメットをかぶり、しかし

ストラップをはずしたままにRZVのキーをひねる。

1速に入れたままになっているので、サイドスタンドを払い

クラッチをにぎり、マシンを押しだす。

クラッチをハーフに。

簡単に始動し、はじけるようなV4soundが響く。

そのまま、マシンにまたがり、クラッチを接続すると

少年は排気音の行方を追った。

2速のまま、アイドリングで下る。

そのくらい、急な下り坂なのだ。



レスト・ハウス前を過ぎると、急な下り。

すぐに、右コーナー......。

アウトヘはらむ、アペックス付近に、TZRは横たわっていた。

後方排気のマフラーのせいで、長い距離を滑り、ガードロープに引っ掛かって。

点いたままのヘッド・ライトが、朝もやの宙を照らしている。




少年はRZVのエンジンを止めて1速に入れたまま、サイドスタンドを立てた。




イグニッションを切り、ライダーの行方を探した。



崖下.....?



恐る恐る、ガードロープの向こうを覗くと、針葉樹林が黒々と、広がっていた。

転落したなら、恐らく助からないだろう.......。


ふと、振り返ると、イン・コーナー側にライダーは横たわっていた。


ホワイト・ベースのレザースーツに、agvのフル・フェイス、華薯な体付き。

やはり、中央高速で追い越した3MAだ。



「おい!大丈夫か!」


少年は、レザー・スーツの肩のあたりを掴んで、揺さぶろうとした。

肩パットのすり傷は大きく、転倒の激しさを物語っているかの様だ。


掴み、引きあげると、意外なほど軽い。


「.....?」


揺さぶる、と、頼りなく、肩の筋肉が揺すれる。


「こいつは...?」


予期せぬ異質な感覚に、戸惑う間もなく、少年は、アスファルトに投げ出された。






「イやッ!.....」  メゾ・ソプラノ!?






覚醒したレザー・スーツは、渾身の力で彼を拒絶した......1?









少女は、「おぼろげ」な意識の中、何かが自分をゆする力を感じていた。


「ボク....sinnjattano...ka na ? 」


記憶を辿る。

オートバイで、麦草峠に来て....いい調子で飛ばしてた。

峠のレストハウスを越えた時、誰かがボクを見てたような気がして......。

下りコーナーのRを読み間違えちゃって。

ブレーキング・ミス。

かなり、無理に曲がろうとした、でもだめだったんだ。

リア・タイアから滑って。

崖下に落ちそうだったから、自分から飛び降りた..........。

それから.....それから....。



「おい!大丈夫か!」


.....うるさいなぁ、大丈夫な筈ないだろ.....あれ?


目の前に、男の顔。こんなに近く。...びっくりして.....。




で、.......



「イやッ!.....」


突き飛ばされた少年は、アスファルトの道路に尻もちをついた。

あまりのことに、怒ることも忘れ、呆然としていたが......。


上体を起こし、レザー・スーツは、agvのヘルメットのストラップを外した。

穴があいたグローブ。ステンレスの鋲が何本か抜け落ちている。


ヘルメットの中からは、どこか、見覚えのある長い髪が、ポニーテールにまとまって。



「あれぇ、木本クン?」


「おまえは.....。、たしか青高の...後藤。」


「あれ、ボクのこと知ってるの?」

「そっちこそ、なんで俺の事を。」


「知ってるさ。青葉台の。練習嫌いの木本クン。」

「なんだよ、助けてやったのに、ご挨拶だな。」


「.....ごめん。」

「....まあ、いいさ。それより、歩けるか?」


「うん。」

少女はたて膝をし、立ちあがろうとした....が。


「いたっ.....。」


どうやら、右脚をくじいたようだ。




「おい!どうした?」


「脚が.....。」



「ブーツ、脱いだほうがいい。右に転んだからくるぶし打ってるはずだ。

それにしても.....。」


「?」


「大会の後で、よかったよな。まだ次まで、間があるし。」



「いいんだ、そんなこと。」



「.......?、さ、肩貸すから立てよ。足、冷やした方がいい。

  すこし下ったところに、湧き水がある。」


「うん....。」



岳史は、TZRを起こすと、各部を点検した。

カウルが擦れているだけで、ブレーキ・ペダルを修正すれば走れそうだ。

インコーナー側の寄せて、停車させておく。


自分のRZVのタンデム・カヴァを外し、リア・シートを出した。


「さ、乗れよ。」

「ありがと。」



タンデムに育美を横座りさせ、岳史はマシンにまたがり、

イグニッションをいれ、そのまま半クラッチ


クラッチをリリース。



低く、V4サウンドが山間にこだまする。



「これ、いい音だね。」

「そうか?おまえの3MA(さんま)の方が....。」


「さんま?」

「ああ、3MA、おまえのバイクの形式だよ、なんだ、知らなかったのか?

みんな『さんま』って呼ぶぜ、峠じゃ。」


「はは.....(^^)」

「なんだ、おかしいか?」


「だって、なんかバイクじゃないみたいだよ。それ」

「そうだな、犬に『まぐろ』って名前つけるようなもんだな。」


「え?」

「あ、いや、こっちのこと」



岳史は、静かに坂を下る。

育美は、訪れたハプニングに、ちょっと胸騒ぎ.....


さわやかに、高原の朝は始まろうとしている....。


「だけどさ、おまえがバイク乗るなんて、意外だよな。陸上部で許してんのか?」

「木本クンは、どうなのさ。」


「まあ、いいか、内緒、内緒。」

「ふふふ(^^)」

「ははは(^^)」




沢を渡る風、ひんやり、すがやか。

透明な水は、切れるように冷たく、痛んだ足に心地いい。

育美は、岩に腰掛けて右足を流れの中に。




「でもさ、夏の大会、惜しかったよな、おまえ。もうすこしで強化選手に.......。」

「いいんだ、もう。」


「まあ、すんじまったことだからな、」

「そう!それより、次のこと、考えなきゃ。」


「次......?」

「そう、ボク、大学でも陸上、続けるんだ。君も?」


育美は、夏の大会で成績を残せなかったこと、

それで、少しやけになっていたことを隠した。


いや、この瞬間に忘れた。

何故かわからないが、頑張らなければ、と思ったのだ。

それが『何故』かを悟るには、未だ彼女は若すぎるのだ....。


それゆえ美しい、ひたむきな時代。

まっすぐな時刻(toki)を、彼女は生きている....。






「あ、ああ、そうだよな。」


岳史は、曖昧に答える。

自分なりにプライドをもっていた陸上の世界。

しかし、高校インターハイ最後の大会で、

思うような結果がでなかったことが、不満であった。

それで、こんな風にバイクを飛ばしていた、のだが....。

同じような境遇の育美を見、捨て鉢になっていた自分を恥じた。

彼女の強がりが、わかるだけに。より強く、念ずるのであった。


.....俺は、男だ!女が、こうして頑張っているというのに......。


太陽が、ようやく顔を見せ始めた。

山間の朝は、遅い。

山鳥が、ピッコロ・フルートのトリルのようなさえずりを始めると、

朝もやが薄れ、眼下に遠く、八千穂高原がひろがる。


「わあ、キレイだね。」

「ああ。」


しばらくそうして、高原の風景を味わった。

ふたりは「アスリート」に戻れそうだ。

おたがいが触媒となって。



「走れそうか?」

「あ、だいじょうぶだよ、もう。」


「そうか。」


シングル・シートに戻したRZV。

ちょっとひしゃげたカウルのTZR。


V4とパラ2。


二台は、同調するようにアイドリング。

低い4気筒sound、高いツイン・サウンド。


「途中まで、いっしょに帰ろう。」

「うん!」


岳史はシフトを1stに入れ、いつもより静かにスタートする。

育美は、それにならう。


二台の2ストローク。


軽やかなハミングで、エキゾースト・ノートがハモる。


カストロールと、スーパーMの香りだけが、麦草峠に漂っていた.....。








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