第6話 労働と禁欲と音楽

皆さん、音楽が嫌いになったり好きになったり、


前みたいには感動しない、聴き飽きた。逆にもう聴けないくらいのトラウマになる程魔力を秘めた曲は存在します。


私の家族は兄が静岡で生まれ、姉は大阪で生まれ、私は名古屋で生まれたと言う、道路工事をしてた父の許(もと)に生まれた家庭で、父は準ゼネコンにあたるフジタと言う広島に本社がある会社の許(もと)で勤続33年、制服はセミオーダー、勤続記念には時計を貰う様な立派なサラリーマンでした。


父は浪人の末に東大より倍率が高かった安保闘争の時期に東北大を受験し合格、柔道部に所属し柔道四段、大学卒業後も在籍、しかし、大学院で学んだのかは不明です。東北、特に宮城には仙台時間と言うルーズな文化があって、来てくれたのか、それで良いよ。的な学園都市の風情があります。


私も仙台第一高等学校を卒業したのですが、一限目遅刻して自転車で登校する奴なんてザラに居ました。休むよりは良い、そう言う寛大な土地柄です。


話は逸れましたが、父は現場、設計、営業と順調に成長し、部長職まで登り詰めました。バブルの頃は飲み歩いたし、年収1000万円を越えた時期もあったそうです。


母と父の馴れ初めは一度デートしただけの仲、父は遅刻したそうです。


どうしてデートする事になったのかイマイチわかりませんが、あのデートはどうなったんですかと、ペンネームで愛子を名乗ってたローンを組んで松本商店と言う商家を営んでいた祖母からの電話で、父は浪人時代お世話になったオバに何度迷っても最初に出会った人が一番なんだよと助言を受けたらしく、母の母、祖母である松本うしゑ(ペンネーム愛子)の鶴の一声で縁談がまとまり、両家顔合わせをしてとんとん拍子に結婚と相成ったそうです。


嫁に行く母の感想は、私はこれを逃したら一生結婚する事無いんだろうな、そう思ったから結婚したそうで、時計屋さんで経理をやってたらしいですが、仙台で出会い、結婚したのです。そう私はたまたま生まれて来た息子、しかも三番目の末っ子。やっと既定体重の子供が産めた、最後の子だと溺愛されまして、おかしくなってしまうのですが、建設畑の父は一回も浮気した事無いと言います。


毎月小遣いは5万円。部下と月一で飲みに行く、それ以外は昔は談合と言いまして、宴席にちょんの間が設けられ、全員で一人の女性に放った時は自分もやったと自白しました。それ以外は無いそうです。


ですから談合とは批判されましたが、大きな工事を請け負った際に、ケーキを分ける様に下請け会社に切り分ける事を言いまして、談合だ談合だと叫ばれても、いや、談合しなきゃ誰も損しないように仕事できないんですけど…


と言う話を母から擁護の意見として聞いた事があります。

道路や土木は市民運動に分かれるのであって、ミリタリー運動に分類されないと父は車を運転しながら冷静に、誇らしげに語りました。


しかし、そんな父の許に生まれた私は6才で交通事故に遭い、車は恐くて運転できません。電車と自転車は通学で散々利用したので大丈夫ですが、バスも大丈夫ですが、車は運転できません。


よく、飛行機やロボット、車が好きな男の子って居ますよね。


私の初めての記憶も母にねだった電車の模型のオモチャをKIOSKの様な駅の売店で買ってもらい、それを三輪車の後ろの籠に大事そうに乗っけて母に向かってウィニングランを決めるように三輪車で自慢したのが初めての記憶です。


まだ喋れなくてアイコンタクトだけで取れた最初のコミュニケーションを覚えているのだから大したもんだと思っています。


他には兄が年少から幼稚園に私だけ通うのは狡いと言い出す中、姉が幼稚園のお道具箱の整理をするのを手伝ってくれてる所、くらいから始まり、幼稚園児の中ではスーパーマンでした。


でも、弱点があって、お漏らしだけは直ってなくてお泊まり保育で熱を出して帰宅したりしましたっけ。寝て漏らし、恥ずかしい思いをするのを想像しただけで熱が出たのです。本当、都合の良い身体してました。


そんな三兄弟に母が習わせたのがヤマハ音楽教室のエレクトーンでした。

兄は中耳炎にかかり、耳が悪かったから心配だったのか、母は夢の無い子だなとうしゑ婆ちゃんに言われたそうですが、子供達にやらせてみたい事は音楽だったそうです。兄は今でも音楽を続けています。三人の中で絶対音感があるのは兄だけです。


兄の中耳炎の異変に気付いたのは父だったそうです。しかし、父は兄が算数で二等辺三角形の問題が解けないのを怒鳴るように叱られて勉強してたのを遊んで見てた私は幼稚園時代に二等辺三角形と言う言葉だけでも耳に残ってたので、中学生までは国数英は成績が良かったです。これは兄と父の影響で勉強が先取りできたからでした。


道路を作ってる父の息子が交通事故に遭ってて車乗れないとか、ちょっと皮肉過ぎて笑えませんよね。因果応報とでも言うんでしょうか。アスファルトではなく裸足で畦道を駆け回って遊びたかったと、整備された現代建築を憎む様な節がありました。でも、スケートボードと言うスポーツに出会えて、やっと父の仕事が好きになれたんです。


道路を作る、立ち退き料発生、引っ越し、これは結構辛い仕事なんですよ。


父は現場で道路を作ってましたが、東京で設計の仕事、仙台では営業の仕事。

ポンプ場を取ったなんて喜んでました。最近、話しをしていて良くわかって来ました。内弁慶外味噌なんて言い方ありますが、冷静に話せば全うな人です。


音楽が良く聴こえない嫌な不安定な精神状態の人には、禁欲と労働と休暇をおすすめします。四六時中聴くから新しさや感動が薄れるのです。やましい気持ちを取り払う心の鍛錬をすれば、時期にまた感動して聴こえる日がやって来るでしょう。


この三行を書く為に、長い遠回りをしてしまいました。


ここまで読んでくださり、有難う御座います。

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