妊娠
お嬢様には常識だと思われますが、と彼は前置きをおくと自分もコーヒーをいただきますと言い、勝手にカップに注ぎながらあれは五十年と少し前、と語りだす。
「侯爵家とは王族以外の一般の者が就くことのできる、最高位の爵位でございますから」
「それは知っているわ。それで?」
「我が子爵家は元は公爵家。その領地の管理をしていたのが、当時のラグラージ侯爵です」
一瞬、ため息が出た。
それは美しい何かにたいするものではなく、どこまでも皮肉めいたものに対してだった。
「……本当に皮肉ね。ひいおばあ様が問題を起こし、侯爵家に土地財産、臣民まで奪われた?」
「そこははっきりとは……。王家からの断罪を受けた我が家の財産と土地を、管理する者としては適任だったのかもしれません」
「そんな簡単に渡せるものなの? 家臣が主人の財産を受け取るなんて、泥棒猫のするようなものじゃない」
「何かの取引があったのかもしれませんな。当時の侯爵はやり手で有名でした。切れ者で成り上がりたどり着いた先が侯爵位と大臣の座です」
「いいわ、ご先祖様を責めても仕方ないから」
「賢明です、お嬢様。過去は変えれません。しかし、未来はどうでしょうかな」
「じいや、現実に引き戻さないで。今は昔の話をしているの」
「すいません。年寄はつい愚痴が多いものですから。当時の国王陛下は、本家筋である皇帝家の意向を気にしてそこまで無茶な処罰は出来なかったようです。まあ、これでも王族追放のようなものだと、先々代様もぼやかれておりましたが」
「なるほどね、まさしく没落だわ」
「ただ子爵家として没落させたままでは忍びないと思われたのか、ミッシェル様は次女をこの家に嫁がせました。皇帝家の血筋があれば、王家も思い切ったことはしないだろう、そう思われたのかもしれません」
「ひいおばあ様はそれからこの国へは――??」
二度と戻られることはありませんでした、そう老執事は首を振ってこたえた。
恋愛の為に実家を捨てたとあれば、それは当然かもしれない。戻っても王家からの怒りは消えなかっただろうし。
そのしわ寄せがまさにいま、ひい孫の自分にやって来ているなんて、やってられない。
しかもレイニーの家が元家臣だったなんてね、とサラはあくびを漏らしながら頭を切り替える。
これはどこまでも皮肉な物語になりそうだった。
「じいや、この目録。ラグラージ侯爵家の額がとんでもないのよ。知っていた?」
「ああ、拝見しました。最後に確認するのがじいの役目ですからな」
「どう思う、どうしてこんなに高額。金貨が千枚近くもあるのよ?」
そんな額の金貨を贈るなんて、賄賂としても額が大きすぎる。
何か悪いことが起こりそうでサラは怖かった。
しかし、執事の予想は真逆のものだ。
「そうですな。じいが思いますに、あの家はどうやら、仇敵に助けを求めておるようですな」
「……助け? 追い落とそうとかそういうことではなく?」
「助けでございますよ、サラ様。レイニー様が現実をどう認識しているかは知りませんが――あの痴態はどうしようもないものでしたが――侯爵家は助けを求めております」
「詳しく! ……説明してもらえる??」
「子爵様には申し上げにくいのですなあ、これが。今の侯爵様は農業を管轄され旦那様は財務を管轄。お二人はとみに仲が悪い。しかし、お嬢様になら申し上げましょうかね」
老執事の話は簡潔だった。
王太子はレイニーを溺愛し、側に置いておきたいと望んでいる。
レイニーの父親であるラグラージ侯爵もそれを知っているから、娘を第二王太子妃に出来ないかと王宮に働きかけていたらしい。
しかし、レイニーの遊び癖はおさまらず、今夜のように酔ってはどこかの貴族が開いているパーティー会場に顔を出し、酔いつぶれて帰るのだという。
農林相ともなれば今の政治の中心にいる最高権力者の一人だ。
ラグラージ侯爵の娘を使った政治のやり方に、文句を言える者は誰もいなかった。
そこに起こったあるレイニーのとある問題。侯爵家でも一部の者しか知らないそれを、執事は知っているのだという。領地や臣民を奪われても、それらは元公爵家のものだ。
やはり、人の縁は深くて執事の耳にも入って来たらしい。
「へえ。そこまでおバカだったのね、あの子」
「常にそばにいる殿下の目がお嬢様に向いているからかもしれません。しかし、男女の仲というものは時として新たな命を生み出すこともありましてな」
「は……?! まさか……殿下の御子?」
「それは分かりかねますが、多分違うでしょう。今夜は殿下はいらっしゃらないのにやって来た。あくまでお嬢様目当てですな」
「でも、この金貨の枚数は? どういうこと?」
「侯爵様とレイニー様の考えはまるで別、そういうことでしょう。でなければこうして多額の金貨など送り込んでくるはずがない」
「ふうん……かつての主だった我がレンドール子爵家に頭を下げてまで、娘を守りたい? 違うわね、娘の子供は殿下の子ではないかもしれない。それが知られたらレイニーを第二夫人にするどころか……家を守りたい?」
「もう少し深いと思いますな」
「深い? レイニーの妊娠は殿下の子供かどうかは陛下にとってはどうでもいいということ?」
「庶子の存在は王家のスキャンダルとなります。侯爵様だけでなく、家もレイニー様も。ご無事ではないかも」
多分、そういうことでしょうな。
老執事は静かにうなづいていた。
「しかし、我が家から掠め取った財産からすれば、安い額ですよ。さすが成り上がり者は器量が狭い」
「じいや……」
サラは老執事の言葉の辛さに舌をまいた。
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