第27話 閑話:不穏な気配

「もう嫌! あなたとなんて、一緒になるんじゃなかった!」


「そ、そういうことを言うなよ、マチルダ……」


「大体、あなた全然働かないじゃないの! いつもいつも家にばかりいて、結局働いてるのは私だけじゃない!」


「で、でもさ……」


 酒場の一角で、そんな風に痴話喧嘩をしている夫婦の声が響く。

 安い酒場というのは、値段を気にせず腹一杯食べて飲むことができるのが良い点であるが、比例して環境も悪くなるものだ。それほど離れていない隣のテーブルで叫ぶ声は、歓談する客の口を黙らせるほどのものともなる。

 もっとも、働かない夫に黙っていられない妻が三行半を突きつけたこの状況は、他の客たちがにやにやと笑みを浮かべながら観察する程度には娯楽であるようだが。

 この酒場を経営している店主は、小さく溜息を吐いた。

 もう少し、声量を落としてくれれば良いのにな、と。


「マスター、麦酒エールをもう一杯くれ」


「はい、承知しました」


 そんなつまらない喧嘩の結末には興味ない――そう言いたげに、カウンターに座る男が店主へとそう注文する。

 風貌から察するに、旅人である。擦り切れたマントにぼろぼろの服、日差しから身を守るためであろうつばの広い帽子から、店主はそう判断した。


麦酒エールです」


「ああ」


 旅人が小さく嘆息して、酒を呷る。値段が安いだけあって、それほど良い酒というわけではない。だが旅人にしてみれば、酔えれば何でも良いらしい。その飲みっぷりは、豪快と言っていいものだった。

 代わりに、酒のつまみとして注文しているのが豆だけというのは、それだけ旅が続いて困窮しているからだろう。


「お客さん、旅人で?」


「……名乗った覚えはないが」


「いえ、風貌からね。見たことのない顔ですし、ここは割と旅をされている方もよく来られるもので」


「そうか。まぁ、そうだな。色々あって、諸国を放浪している」


 旅人の答えに、店主は頷く。

 深くまで言わないということは、何かしらの事情があるのだろう。国元に帰ることができない事情であったり、中には故郷で犯罪者として追われている者もいる。

 そこまでの事情は、聞かない。ただ店主は、喧噪の激しい店内ではあるけれど、旅人に僅かにでも安らぎをと酒を提供するだけである。


「先日、旅先で面白いものを見てな」


「何かあったんですかい?」


「ああ。西に二つ三つ行った先の農村なんだが……バースの村という場所を知っているか?」


「多分、フリートベルク伯爵領の農村ですかねぇ」


 店主は、恐らくそうだろうと想像して答える。

 この店を構える街から西は、フリートベルク伯爵領だ。辺境かつ特産品もなく、港も遠ければ交通の便も悪い、赤字だらけの領地であると聞いたことがある。そのため遥か昔、アールヴを相手とした侵略戦争において、大した軍功も上げなかった当時のフリートベルク伯爵に与えられたのだとか。

 もっとも、そんな村の名前は聞いたことがないけれど。


「あそこで、妙なものを見てな」


「妙なもの?」


「ああ。動く骸骨さ」


「……お客さん、大分酔っていらっしゃいます?」


 店主は溜息交じりに、旅人に対してそう言う。

 骸骨が動くなど、常識的に考えてありえないことだ。さすがに、そんな与太話を本気にするほど店主は愚かでない。

 ははっ、とそんな失礼な店主に対して、旅人は朗らかに笑った。


「まぁ、そう言うだろうな。俺だって、ただ聞いただけなら冗談だと思うだろうよ」


「でしょうね。骸骨が動くなんて……」


「だが、実際に動いていたんだ。それも一体や二体じゃない。十は超えていたな。それが村人の指示に従って、畑を耕していたんだよ。真っ昼間だというのに、どんな悪夢かと思ってしまったな」


「骸骨が、畑を耕して……?」


「ああ」


 旅人の言葉に、最早理解が追いつかない。

 骸骨が動いていたという話は、百歩譲って良しとしよう。戦場の跡地などで、そんな話も怪談の類として聞いたことはある。

 だが骸骨が動いて人間を襲うとか、集団になって彷徨っているとか、大抵話の内容はそんなものだ。まさか人間の指示に従って畑の耕作など行っているなど、聞いたこともない。

 ゆえに。

 聞いたことがないからこそ、そんな旅人の言葉が信憑性を増す。


「最初は俺も、邪教の本拠地なのかと思ったよ。だが、よくよく話を聞いてみると、そうじゃないらしい」


「どういうことなんですか?」


「どうも、領主が新しく変わったらしくてな。そんな新しい領主が、村に骸骨の兵士を与えたんだとか。しかも骸骨だから疲れない上に、一日中不眠不休で働ける。若い者がいない農村でも、骸骨さえいれば収穫量が上がると言っていた」


「ははぁ。領主さまがねぇ……」


「嘘だと思うなら、見てみるといいさ。俺は正直びびっていたが、村に一夜の宿を頼んだら快く泊めさせてくれたよ」


 笑いながら、旅人が麦酒エールを口に運ぶ。

 俄には信じがたい話だが、旅人の様子に嘘はなさそうだ。動く骸骨というのが奇妙極まりないが、もしかすると、世の中にはそんな魔術があるのかもしれない。

 そして、そんな風に旅人の話を聞いているうちに、奥の席で喧嘩をしていた夫婦も一段落ついたようだ。悪い方向で。


「もういいわ! 私、実家に帰らせてもらうから!」


「そ、そんな……」


「二度と私に話しかけてこないでっ!」


 ばんっ、とテーブルを叩いて出てゆく妻に何も言えず、ただ見送っているだけの夫。

 周囲がくすくすと笑いを漏らしているのも、聞こえているのだろう。暫し黙ってから、夫の方も立ち上がって代金を置き、そのまま店を出て行った。

 ようやく営業妨害も終わってくれたか――そう、目線を旅人の方に戻すと。


「すみません。少し、詳しいお話を聞かせてもらえませんか?」


「む……あ、あなたは?」


 何故か、そんな旅人の隣に座る、女がいた。

 薄暗い酒場の中でも、輝くような金色の髪。十人いれば十人とも美女と呼ぶであろう整った顔立ちに、やや胸元を開いた妖艶なドレスを身に纏っている。

 旅人も、こんな美女から話しかけられるとは思っていなかったのだろう。どことなく戸惑っているように、麦酒エールを口に運ぶ。

 おやおや、これは邪魔するのも無粋か――そう思いながら、店主はグラスを磨いて。


「動く骸骨を見た……それは、本当ですか?」


「いや、本当だが……」


「バースの村という農村で、それがいたと。お話を聞く限り、それを提供したのはフリートベルク伯爵領の領主ということですか」


「そう言っていたが……それがどうしたんだ。というか、あんたは……」


「ああ、申し訳ありません。名乗っていませんでしたね」


 女が立ち上がり、上着を羽織る。

 その上着の背には――。


「私は、『聖教』の司祭長をしておりますジェニファー・ラングレイと申します」


「えっ……し、司祭、長……?」


「ええ。どうやらフリートベルク伯爵領で、邪教が蔓延しているようですね」


 神聖なる十字を茨が囲んだ、大陸最大の宗教派閥を示す図。

 通称、『聖教』の印が刻まれていた。

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