アンデッドから始める産業革命
筧千里
第一部
プロローグ
「いや、これ無理だろ……」
俺、ジン・フリートベルクは自分に降りかかった状況に、思わずそう唸るしかなかった。
グランスラム帝国における貴族位を持つフリートベルク伯爵家。それが俺の実家である。
一応これでも、帝国における爵位では公爵、侯爵の次に偉い身分だ。もっとも、伯爵家もピンからキリまであり、フリートベルク家は限りなく子爵に近いのだけれど。一応領地こそ与ってはいるものの、僻地かつど田舎なのだから。
そして、俺はそんなフリートベルク家の三男だ。
貴族家において、次男以下の役割というのは何もない。基本的には長子が家を継ぐ嫡男となり、次男以下は他に生きる術を探さなければならないのだ。ゆえに、我が家は長兄のエドワード兄さんが嫡男として教育を受け、育てられたのだ。もしも長兄であるエドワードが病弱であれば、次兄のハルク兄さんにも後継としての教育が与えられたのかもしれないが、エドワード兄さんは壮健であり後継ぎとして優秀な男だったのである。
その結果、ハルク兄さんと末っ子の俺は、学院を卒業すると共に家を出なければならなかった。
武に優れたハルク兄さんは、学院を卒業すると共に騎士団へと入団し、その優れた武勇と手腕を生かして、歴代でも最年少で騎士団の一つを任されることになったのだとか。
そして武の素養は持たない俺だったが魔術の素養は高く、学院でも『歴代でも最大の魔力量を持つ天才』と称されたのである。
ゆくゆくは皇帝陛下を魔術の面で支える大賢者に、そうでなくとも魔術兵団の団長にはなれると、そうお墨付きを貰ったほどだ。ゆえに、将来に何の不安もなくなりこれから魔術の深淵に向けて邁進してゆこうと決意を固めたというのに。
折悪く、俺の卒業を間近に控えた頃合いで、父――ハロルド・フリートベルク伯爵が領地の巡察中に事故に遭い、そのまま帰らぬ人となった。
とはいえ、既に長兄エドワードが次期伯爵として教育を修めている。そのまま、エドワード兄さんがフリートベルク伯爵家を継ぐのが当然だった。誰もがそう信じていたのだ。
だというのに。
エドワード兄さん、近所のパン屋の娘と駆け落ちしやがった。
「俺にこれをどうにかしろって言うのかよ、親父……」
薄暗く埃っぽい、元は親父の使っていた執務室。
俺はそこにある執務用の机に肘をつき、革張りの椅子をギコギコと鳴らしながら唸っていた。
様々な資料や書類が乱雑に散らかったそこは、生前決して入れてくれなかった場所だ。入ることができるのは伯爵家の当主、そして次に伯爵家を継ぐ者と定められている。そして三男坊でしかない俺は、入る必要もない場所だったのだ。
高く積まれた書類は、領地の財政について記されたもの、農作物の収入について記されたもの――様々だったが、とにかく重要な書類ばかりだ。
俺は今日、朝からこれを延々と眺めては溜息を吐くことの繰り返しである。
エドワード兄さんが駆け落ちをしてから、フリートベルク伯爵領は混乱した。今後どうするのか、と。
長子に家を継ぐことのできない理由ができたのならば、次子が継ぐのが当然である。だからこそ、既に帝都で騎士団長としての仕事を行っていたハルク兄さんを、次代の当主にすべきだという意見が出た。
だが、これに反対したのが天上人たるグランスラム帝国皇帝、フリードリヒ・ハルフィード・グランスラム三世である。
稀代の武の素養を持ち、最年少で騎士団の一つを任されたハルク兄さんを僻地の伯爵にすることは、帝国にとっての多大な損失となる――そう言って、手放さなかったのである。
結果、どうなったか。
三男にして末っ子の俺、ジン・フリートベルクが学院の卒業と共に、フリートベルク伯爵を継ぐことになった。なってしまった。
「……無理だろ」
ちっ、と、虫でも入ったのか一瞬ランプの光が点滅する。そんな小さなことですら、ひどく不快に思えた。
そんな俺の手の中にあるのは、最も直近の書類が束ねられたファイルだ。それを最初から最後までじっくりと見て、それから放り投げる。
記されているのは、この領地の財政状況その他諸々だ。領民の数、その年齢層の割合、死者の数などの資料に、そこから導き出される税収入がどれほどになるか、という内容である。
そして次に、必要経費がどれほどかかるか、だ。国庫への納入金、整備のための必要資金、国境への軍派遣に伴う費用、防衛のための私兵団にかかる費用、戦傷者のための見舞金――挙げれば、きりがない。そして、その計算結果は見事なまでの赤字である。
どのくらいの赤字かというと、概算にして金貨百五十枚。銀貨にすれば一万五千枚。庶民が働いて月に入る収入がせいぜい銀貨二十枚といったところで、最早改善することが不可能な額である。
これを、黒字に戻す――そんなこと、できるはずがない。
全く何も手立てが浮かばないのだ。
「はぁ……」
理由を列挙してみよう。
まず、フリートベルク伯爵領は僻地である。帝国における東の端であり、この領地より東は森が広がっている。その森には農作物を狙ったり人を襲ってくる害獣が多く存在している。
ゆえに、自然とそんな森に対する防衛を行うための戦力が必要となるのだ。何もしなければ、害獣により農作物が荒らされたり、領民が被害に遭うことがあるのだから。そのために私兵団を雇い、常に森との境界は見張らせている。
しかもその上、現在グランスラム帝国は隣国、アリーシャ王国と戦争の中にある。もっとも、小競り合いばかりで大規模な会戦に発展することはないらしいが、それでも戦争をしている以上、貴族家は兵力を捻出して派遣する必要があるのだ。
このあたりの費用が、一番大きい。
軍というのは金食い虫であり、あくまで全て伯爵家で雇っている私兵団に過ぎないのだから。
次に、農作物に関しての問題がやってくる。
僻地であるフリートベルク伯爵領は、良く言えば閑散としたのどかな地である。悪く言えば、何の娯楽もないど田舎だ。ゆえに、若者がこぞって郷里を捨てて、帝都やその周辺などの都会へ出て行くのだ。
ゆえに農村では若い者がいなくなり、老人ばかりで農作物を作っている。ここに多大な労働力の不足があり、十年前と比べると収穫量が半分以下に落ちているのだ。親父が生前に視察した僻地では、農村一つが全部雑草だらけだった、という記録だってある。
さらに、先に述べた私兵団――その戦没者に対しての見舞金や、障害を負って郷里へ帰った者に対して支払われる障害者年金といったものも赤字に拍車をかけている。
戦いの結果、障害を負った兵士達には申し訳ないことを言うものだが、障害を負って戦場を去った者は今後の人生において、労働力として当てにならない。だというのに、一定の障害者年金を払わなければならないから、完全に大赤字の案件である。
結論として。
収入は下がり、労働力は減り、農場は数多くが休作地となっているというのに軍事力だけは確保しておかねばならず、農民が冬を越すことすら難しいという現在の伯爵家があるのだ。
どうしようこれ、詰んでる。
「うぅん……」
俺は決して、超人というわけではない。
魔力量こそ歴代の学院卒業者の中では最高だったらしいけれど、かといってそれがお金に変わる方法はないのだ。そもそも、習った魔術だって学院で習う基礎のものばかりだったし。そこから応用して魔術を使いこなすために必要なことは、師に教わりその深淵を学んでゆくことだけである。近道などないのだよ。
だが、俺にそんな未来はない。
何故なら、俺がこのフリートベルク伯爵家を継がねばならないのだから。俺の双肩に、この領地の領民たちの生活がかかっているのだから。領主としての責務もこなさず、魔術師としての修行をする暇などないのである。
「あぁ、もう……」
髪の毛を掻き毟ると共に、長めの銀髪が数本抜けるのが分かった。
どれだけ考えても答えが出ないし、どれほど計算しても絶望的な結果しか出ない。先行きは真っ暗で、何も解決手段がなく、この赤字を解決するために借金をするしか方法がないのだ。
だが同時に、支出の中に多大に含まれるもの――それが『借金の返済』でもある。
随分と前から自転車操業をしていたようで、十年前から借金は膨らんで膨らんで膨らんでゆくばかりなのだ。その額、なんと金貨にしてざっと五千枚である。俺が一生かかっても稼ぐことなんてできないほどのものだ。
そんな借金を、さらに増やす。さらに赤字は増え、収入は減る。結果、この領地は全く回らなくなる。
そんな未来が、明らかにそこにあった。
「どうすりゃいいんだよっ!」
あまりの絶望に、椅子に腰掛けたままで机を蹴飛ばし。
その結果、バランスを失った椅子はそのまま後ろへ倒れる。
「うわっ!!」
そして俺の体は椅子と共に床へ転落し、強かに頭を打つ。
目の前に火花が散ったかのような感覚に、痛む頭を押さえる。全部が全部、もう苛立つことばかりだった。
そんな俺の右手に、ごつんっ、と何かが当たる。
「痛ってぇ……ん……?」
それは、執務室全体にかけられた絨毯の下。
僅かに盛り上がっている、何かがあった。先程、俺の右手に当たったのはこれだろう。
何かが絨毯の下に潜り込んだのか、随分と硬い。絨毯の上から触ってみても、それが何なのかさっぱり分からなかった。
「んー……?」
幸いにして、部屋の端からはそれほど離れていない。
ちなみに、こんな赤字の状態であるため、俺の家に仕えている使用人は誰もいない。十年前に老齢で引退した使用人を最後に、誰一人雇っていないのだ。だからこそ、自分たちの部屋は自分たちで掃除するのが当たり前だった。
恐らく、この部屋は親父がろくに掃除もしなかったのだろう。絨毯を少し持ち上げるだけで、溜まった埃が噎せるほど宙に舞うのが分かった。
そんな、絨毯の下にあったのは。
「……地下室?」
そこにあったのは、地下へ続く扉だった。
先程盛り上がっていたのは、そんな扉の取っ手だったようだ。
こんな地下室があるなんて、聞いたことがない。むしろ、我が家に地下があるなんてことも初耳だ。
もしかすると、何か金目のものを隠すために作られたものなのだろうか。
お誂え向きに、随分と古い文字で『決して入ってはならぬ』とか書かれているし。
「……入ってみるか」
俺はそのまま地下室の扉を開いて。
開くと共に、随分とかび臭い空気が漂ってくることに辟易しながら。
そのまま掛かっている縄梯子を伝って、地下へと降りた。
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