第2話

 その年のことは明確に覚えている。西暦一九九八年の四月、私は小学四年生だった。

 私は祖父の運転する軽トラに乗って、竹林に連れて来られた。

「昔は毎年かならず筍泥棒がおったが、最近はおらん。朝来ると、夜のうちに盗まれて地面に穴がいくつも空いとったもんじゃ。まあそれだけ世の中が豊かになったということじゃろう」軽トラから降りると、祖父はそんなことを言った。

 祖父は仏像の前まで歩いて行き、鍬のを脇にはさむと、手を合わせて仏像に頭頂部を見せるかのような姿勢で頭を下げた。

 私がその仏像を「お地蔵さん」と言ったら、

「これはお地蔵さんじゃない。ミロクさん、弥勒菩薩みろくぼさつ」と祖父は訂正した。

 子供だった私にとって弥勒菩薩に関する知識などまったくなく、ただ「ミルクみたいな名前だな」などと思ったのみだった。

 祖父は黄色く変色した竹の葉に覆われた地面を眺め、地表からわずかに先端を顕した筍を見つけると、鍬でその周りの土を掘った。地面に埋まっていた姿が半分ほど姿を見せると、鍬を振り下ろして根に食い込ませ、テコを動かすように引く。

 すると、筍は根から外れて転がるよう地表に出て来る。筍は、ネコ科の動物の牙のような形をしている。皮は茶色で表面に産毛が生えており、植物ではなく動物のような感じ。

 私は祖父が掘り出した筍を両手に抱えて、軽トラの荷台へ運んでいった。

 祖父は次々と掘り、私もせっせとそれを運ぶ。

 三十分ほど二人でその作業をし、地表に現れた筍は掘り尽くしたのだが、

「まだあるな」祖父はそう言って、地下足袋じかたびを履いた足で地面のあちこちを踏んで回った。

 そして、

「ここに、ある」と言い、鍬の先で土をかき分けるように掘り始めた。

 先ほどと同じように、鍬を突き立てて柄を動かすと、土の中から小振りな筍が出てきた。

 私は驚き、なぜ土の中にあるものを見つけることができたのか、という疑問を祖父にぶつけると、

「土がな、ちょっと盛り上がっとるんじゃ。足の裏でそれがわかる」と言った。

 私は祖父の真似をして、力を入れて竹林の地面を踏みつけてみたが、筍の感触を得ることはできなかった。

 掘り起こしたばかりの筍を指さして、祖父は、

「筍は成長が早いからの。このくらいの大きさのものでも、あしたになったら地面からだいぶ突き出すくらいに育ってしもて、獲れんようになる」と言い、地下足袋で地中の筍の探索を再開した。


 筍掘りを終え、さて帰ろうかというときに、祖父は私に、

「お前は竹の花を見たことあるか?」と尋ねてきた。

 私はそれを聞いて、祖父は何を言っているのだろうと疑問に思った。竹に花が咲くわけないだろう、桜やチューリップでもあるまいし、と思ったのである。

 私の心を見透かしてか、祖父は苦笑するように顔にしわを作って、

「竹もな、花を咲かすんじゃ。珍しいことじゃけんど。紫の小さい花が、葉っぱの合間に出てくるらしい。百二十年に一度、咲くと言われとる」

 当時十才にもなっておらず、社会科の授業で歴史もまだ習っていなかった私にとって、百二十年という時間は永遠とほぼ同義だった。

「まあ正確に百二十年というわけじゃなく、それくらい珍しいということじゃろう」

 祖父は竹の花を見たことあるだろうか、それ尋ねてみると、祖父は「わしもない」と答えた。そして、

「子供のころに、となりの村の山の中で咲いたっちゅう話は聞いたがの」とずいぶん曖昧な話を付け加える。

 祖父はさらに話を続けた。

「竹は、花が咲くと、その後すぐに枯れるらしい。だから、凶兆。つまり、竹の花が咲いたら、世界に不幸なことが訪れるなんぞと言われとるな」

 軽トラに乗る前に、祖父はまた弥勒菩薩像に手を合わせた。

 私も同じようにした。


 祖父の話を聞いて私が思ったのが、――笑われることを承知で正直に書くが――その翌年に迫っていた、ノストラダムスの大予言のことだった。

 有名なハッタリであるため詳細には述べないが、要するに西暦一九九九年の七月に地球が滅亡するという内容である。

 私と同年代なら、つまり九〇年代に小学生あるいは中学生時代を過ごした人間ならば、このハッタリを黙過し得た少年少女はいなかったのではあるまいか。もう少し年上ならば、「そんなの迷信だ」と思うことができたであろうし、もう少し年下ならば、物心つく前に西暦一九九九年を置き去りにできたであろう。

 同級生の誰もが、日に日に迫る地球滅亡に怯えていた。

 不幸を招く百二十年に一度咲く花と、地球滅亡とが私の頭で関連付けられ、私は安直にも、「もし竹の花が咲けば、一九九九年に地球が滅びる」と本気で思い込むようになった。

 その日以降、私は竹を見つけると念入りに花が咲いてないか確認するようになり、「今日も咲いていなかった」と束の間の安心を得ていた。

 そして西暦二〇〇〇年を迎えても、竹の花が咲いていないことを私は認め、これでもう大丈夫だ、と大仕事を終えたかのように安堵したことを今でも覚えている。

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