第22話 閑話:女王と娘

「母上っ……」


「お疲れ様、ジェシカ。あれを相手に、よく耐えたわ」


「……終始、震えが止まりませんでした。母上。あのお方は……ノア・ホワイトフィールド様とは、何者、ですか……?」


 調印式までの僅かな間隙の時間。

 オルヴァンス王国女王フェリアナは己の娘であるジェシカと二人、自室にいた。

 女王の私室ということで、この部屋は王族以外の誰も入ることができない。例えそれが王族であれど、フェリアナの許諾がなければ入ることができない、完全に隔離された部屋だと言える。

 そして、フェリアナが愛娘と話をするにあたって、この部屋ほど適した場所は他にない。


「化け物……って一括りにできれば楽なんだけどね。正直、わたくしにもよく分からないわ」


「……昨夜、母上の言葉を聞いたときには疑いました。ですが……今は、わたしも母上の考えが納得できます。あの方は確かに、放っておけばオルヴァンスに破滅と災厄を齎すでしょう。あの方を怒らせることは、百害あって一利ありません」


「ええ。諸国には、魔王と手を組んだと言われそうではあるけどね……そんな国と隣接することになった以上、わたくしたちに出来ることは、これ以上ないわ」


「わたしが派遣されることで、今後良い関係を継続することができれば、オルヴァンスに更なる繁栄を齎してくれる存在でもあります。母上の考案した条文も、あちら側に十分な配慮を設けたものだと考えます」


 ふふっ、とジェシカの言葉にフェリアナは笑みを浮かべる。

 ジェシカ・ノースレア・オルヴァンス。この娘は、確かにフェリアナが腹を痛めて産んだ娘だ。フェリアナが、僅か十五歳という年齢で。

 生まれついて王という職業を持っていたフェリアナは、二十歳を迎えると共に戴冠することが事前に決まっていた。だが女王として君臨すれば、その後妊娠や出産などに時間を費やすことが難しくなるだろう――そう先代の王より命じられ、早いうちに王配である夫の子を孕み、産んだのである。ちなみに、ジェシカが長子であり他に設けた子は三人いたりする。

 だが、そんなフェリアナの才を最も色濃く受け継いだのが、ジェシカという娘だった。


「ええ……ジェシカ、あなたがこれから、どう動くべきかは分かっているわね」


「はい。幼子として、無垢な娘を演じます。この恐怖は抑え込んで、彼に気取られぬよう近付きます。わたしが……ジェシカ・ノースレア・オルヴァンスが、ノア・ホワイトフィールドの身内となることが、オルヴァンスに最も益を齎すものであると考えます」


「十分よ。今はまだ、彼に警戒されないことを考えて行動しなさい。わたくしの目指す先はまだ先なのだから」


「承知しております、母上。十年後には、蒔いた種が開花できるよう行動いたします」


 末恐ろしい娘だ、とフェリアナは考える。

 ジェシカの年齢は、僅かに八歳。その若さでありながらにして、既にフェリアナの策を読んでいるのだから。

 フェリアナがジェシカを大使として派遣するよう決定したことは、勿論人質という意味合いもある。こちらから人質を供することで、オルヴァンス王国がどれほどグランディザイアという国を評価しているのか、周辺諸国に伝わってくれることだろう。

 だが同時に、ジェシカがその年齢では考えられないほどに、頭が回る娘であることも理由の一つだ。フェリアナの策を読み、フェリアナの意を汲み、その上で十全な行動をとることができる――そうフェリアナはジェシカを評価しているのである。少なくとも、どのような家臣よりも頭脳という面では信頼しているほどに。

 時が来れば、将来的には自分の右腕として、その智謀を振るってほしかったものだが。

 うまくいかないものだ。


「ジェシカ」


「はい、母上」


「帝国は、彼の両親と兄を処断したらしいわ。真っ向から、彼に喧嘩を売ったことと同意よ」


「恐らく、二年後には帝国がなくなっているでしょう。オルヴァンスにしてみれば仇敵が勝手に滅びて、その領地の半分を支配することができる……それだけでも十分な戦果ですが、母上はもっと欲張っているものと考えます」


「ええ。じゃあ、どう動く?」


「何名か、留学という形でグランディザイアに送り込む形はどうでしょうか。聞けば、グランディザイアという国は人間がおらず、その兵力の大半は魔物だとか。残る面々もエルフだという話ですし、広げた領土を維持する方法は持ち合わせていないものと邪推します。そこで、留学という形でオルヴァンスの者を派遣し、その者たちに領地の太守を任せるようにすれば良いかと」


「そんなに、簡単に領地を任せてくれるかしら。所詮外国人だと思われちゃうんじゃないの?」


「留学する者は、内政面に優れた者を選別しましょう。外交や内政面で頼れる者のいない国は、外様の者でも能力がある者は引き立てます。少なくとも、ノア・ホワイトフィールド様が領主として一つの都市を任せても問題ないと思えるほど、功績を立てさせましょう。元々、帝国の滅亡はできる限り引き延ばしたいと思っていたところですから」


「留学する連中は、どうするの? 事前に我が国への忠誠心でも教え込んでおく?」


「必要ありません。むしろ、彼らにはグランディザイアに忠誠を抱いてもらわねば困ります。下手にオルヴァンス王国との繋がりが残るよりも、ただ『オルヴァンスが出自なだけの優秀な者』と思われたいた方が良いですし」


「……」


 ごくり、と思わずフェリアナは唾を飲み込む。自分の娘が、自分の全てを読んでいるかのような気がして。

 十年後――それが、フェリアナの考える一つの終着点だ。

 十年間、疑いを持たれぬようグランディザイアを支援する。少なくとも、グランディザイアの中でオルヴァンス王国という国が、仮想敵国にならないように動く。

 そして十年が経てば、今回締結した条約の見直しがやってくる。その際に、より深い結びつきを提案するのだ。


「元々オルヴァンスの人間であれば、領地の支配権がグランディザイアからオルヴァンス王国に移ったとしても、大した反発は抱かないでしょう。侵略ならばまだしも、平和的なものであるのならば尚更です」


「ええ……全ては、あなたの動きにかかっているわ。任せるわよ、ジェシカ」


「分かっています。最善は、わたしとノア・ホワイトフィールド様が婚姻を結んだことによる吸収合併です。そこに至らなかった場合、次善としては、統合も良いかと思っています。そもそも、向こうにはエルフの女がいるわけですから……」


 フェリアナがジェシカを派遣することにした、最大の理由。

 それは、将来的にジェシカという娘を、ノアに娶らすこと。そうすれば、あとは二つの国を合併させるだけのことだ。

 オルヴァンス王国の息がかかった者が国内を支配し、最前線はグランディザイアの魔物たちに戦わせる。その上で、ノアをオルヴァンス王国における王族の一人と認める形にすれば、合併するにあたって問題はないだろう。少なくともフェリアナならば、ノアに何の疑いも持たれることなく話を運ぶ自信がある。


「大丈夫よ、あなたはわたくしの娘だもの」


「そうだと良いのですが……」


 少しばかり、唇を尖らせるジェシカ。

 そんな娘の言葉に、思わずフェリアナは口元を緩める。実に魅力的な娘だと思うけれど、自己評価が低いことが唯一の欠点だろうか。

 だが、フェリアナは確信している。

 ジェシカは、間違いなく成果を出してくれる、と。


「大丈夫よ、ジェシカ」


「母上……」


「あなたは可愛らしい、無垢な少女を演じなさい。ノア・ホワイトフィールドは、敵でない限りあなたを保護してくれる。そんな女を演じなさい」


「……承知いたしました。必ずや、オルヴァンスの平和のために」


 フェリアナの娘、ジェシカ・ノースレア・オルヴァンス。

 僅か八歳である、彼女の智謀。それを支えるのは、その先天的に得た職業。


「ノア・ホワイトフィールド様に嫁げるよう、努力いたします」


「ええ」


『軍師』であるのだから――。

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