間章Ⅰ バルク王子の絶頂
「ふう、ようやく邪魔な女が消えたな」
シンシアを追放した後、そう言ってバルクはほっとしたように息を吐く。実はバルクは密かに、神巫が聖女よりも強い加護だった場合シンシアが抗議して大事になるのではないかと不安に思っていたが、思ったよりもあっさり引き下がってくれたことに安堵した。
バルクは父である国王ベルモスにはシンシアや大司教の悪口を吹き込み追放を承諾させることが出来たが、大臣やら何やらが絡むと面倒なことになってしまう。そして揉めているうちに大司教の病が治ればたくらみは完全に失敗に終わってしまうだろう。
とはいえ、シンシアが騒ぎ立てずに追放されたのはやはり神巫というのが大した加護ではなかったからだろう、と思い直す。バルクにしてみれば自分に力があれば絶対に聖女という名誉ある地位をすんなり手放す訳がない、という固定観念があった。
「ありがとうございます、殿下。私はせっかく聖女の加護をいただいていたのにあの女にその座を奪われたせいでずっと路頭に迷っていたので助かりました」
アリエラは涙ぐみながらそう言った。彼女は聖女の座にこだわらなければ神殿で相応の地位につくことは出来たのだろうが、アリエラの方から「シンシアの下につくのは嫌だ」とそれを拒んでいた。
だからアリエラの言葉はかなり大袈裟なのだが、そんな事情をバルクが知るはずもない。彼はアリエラがシンシアに聖女の座を追い落とされた可哀想な女だと本気で思っていた。
「そうか、それならお互い良かったということだ。しかしあいつを追放した以上、早速やらなければならないことがたくさんある」
「何でしょう?」
「まずは神殿のじじいどもにアリエラが聖女になるということを認めさせなければならない」
「それは確かに大変そうですね」
アリエラもシンシアが現れた当初はあの手この手で神官たちに自分を聖女にするよう懇願したが、それらは結局全て失敗に終わった。
「大丈夫だ。この日のために俺は信頼できる家臣を用意しておいた。奴らは所詮ただ口うるさいだけだ。実力をちらつかせれば黙るさ」
「分かりました」
「では俺も用意を整えるから、アリエラも身だしなみを整えるといい」
バルクは自分の侍女を呼ぶと、一番派手なドレスを容易してアリエラを着替えさせる。
「ベント!」
一方の自分はこのような時のために用意しておいた国の、ではなく自分の騎士を呼ぶ。
「何でしょう、殿下」
ベント、と呼ばれてやってきたのはバルクが兵士の中からわざわざ抜擢して王子専属の騎士に登用した男である。日焼けした真っ黒の肌にいかつい風貌をしており、騎士というよりは無頼漢のような外見をしていた。彼は五名の自分と同じような部下を連れてバルクの元にはせ参じる。
そこへ聖女というよりは舞踏会に出席する婦人のような豪奢なドレスに着替えたアリエラが戻ってきた。
「おお、やはりアリエラは美しいな」
「殿下にそう言っていただけて嬉しいです」
そう言ってアリエラは嬉しそうに頬を赤くする。
バルクは王子としてはそこまで出来がいい方ではなかった。しかし第一王子として様々な人物と接さなければならない。そのたびに彼らはバルクを値踏みし、内心で「物足りないな」「この程度か」と思っていたのをバルクは知っていた。そして聖女の地位にあったシンシアもバルクのことを内心馬鹿王子だと思っていることに気づいていた。そのためバルクは自分に忠義を尽くす、もしくは自分を尊敬してくれる人物を求めていた。
ベントがそのうちの一人だし、アリエラもバルクをどう思っているかは不明だが、聖女につけてやったことに関しては本気で感謝しているように見える。
これからは自分を馬鹿にしている者たちを排除し、感謝や尊敬の念を抱いている人物で周囲を固めよう、バルクはそう決意する。
「どうかされました、殿下?」
「いや、そなたのような聖女と巡り合えたことに感動してしまってな」
「こちらこそ殿下のような方に見つけていただき嬉しいです」
「とはいえまだ改革は始まったばかりだ、行くぞ」
「はい」
二人はベントら騎士たちを後ろに従えて神殿に向かう。
そのころ神殿は大司教のグレゴリオが病に倒れている上、突然シンシアが追い出されたことで大混乱に陥っていた。神殿の幹部たちはすぐにバルクに抗議に行くか、それとも他の同調者を集めてから行くか、病の大司教の元に向かうか話し合いをしていた。
そこへバルクたちが乗り込んでいったので彼らは血相を変えた。それを見て腹をくくった一人の老神官はバルクの顔を見るなり抗議する。
「殿下、このたびのことはどういうことでございますか! 我らに黙って聖女を交代するなど見過ごせることではありません!」
「うるさい! 第一王子であるこの俺の決定に逆らうと言うのか!?」
「それはしかし……これについては以前決めたことです!」
「前に決めたことより今俺が決めたことの方が優先されるはずだ。一度役職についた人は一生変わらないのか?」
横暴な発言ではあるが、神殿内でバルクに対抗できる発言力を持つ人物は聖女と大司教しかいない。神官たちではバルクを止めることは出来なかった。
「そ、それでは聖女は誰にするとおっしゃるのですか!?」
「もちろん正しい聖女であるアリエラに決まっている」
バルクが言うと、アリエラが進み出て一礼する。神官たちもアリエラが聖女の加護の持ち主だったことは知っていたが、最近姿を消していたのがまさかバルクの元に身を寄せていたとは思わなかった。
それでも老神官はなおも食い下がる。
「しかし、アリエラよりもシンシア様の方が魔力などあらゆる面で聖女に適任と……」
「奴はこの俺に対して不敬だった。理由はそれだけで十分だろう?」
「しかし……」
「おい、ベント」
なおも老神官が抗議しようとすると、バルクはベントに目配せした。
するとベントは剣を抜いて進み出る。そして神官たちをぎろりと見回して恫喝する。
「俺は殿下の命令で新聖女様を護衛させていただくベントだ。もしアリエラ様に逆らうと言うなら容赦しねえぞ」
「……」
剣を抜かれるとさすがの神官たちも黙らざるを得ない。それを見てアリエラは満足そうに笑う。
以前はあれほど自分の聖女就任に文句をつけてきた神官たちが黙っているのはアリエラにとって快感だった。
「新聖女のアリエラです。皆様よろしくお願いします」
アリエラが言ったときだった。
突然神殿の上の方に飾られていた神像が滑り落ち、アリエラの上に降ってくる。
「きゃっ」
とっさのことにアリエラは避けることが出来ない。
が、傍らにいたベントは剣を抜くと目にも留まらぬ速さで神像を叩き斬った。木彫りの像はベントの剣で真っ二つになる。
それを見て一人の女神官が進み出た。彼女は大司教グレゴリオの娘、エメラルダである
「何と不敬な! 今のは神の聖女交代に対するお怒りだ。それを真っ二つにするなど」
「うるさい」
「くっ」
が、ベントが剣を突き付けるとさすがのエメラルダも沈黙せざるを得ない。
そんなエメラルダにアリエラは得意げに言う。
「上にある物が下に落下するのはただの物理現象です。そのようなことにいちいち神の意志を見出すことの方が不敬でしょう」
「おお、さすがアリエラ」
アリエラの堂々とした態度に感心するバルク。アリエラは沈黙している神官たちになおも続ける。
「それよりも今まではシンシアに意見を吹き込んで新王宮の建造に反対していたようですね。私が聖女となったからにはそのようなことは許されません。すぐに新王宮建設の費用と人手を出しなさい」
新王宮というのは古くなった王宮を新築するついでに隣国デュアノス帝国に負けず劣らぬ壮麗なものにしようとバルクが考えた案である。
神殿からすればそんな費用も人手も出すことは不可能だ。……民衆を強制的に動員することを除けば。
しかし彼らも剣を突き付けられてはそれ以上歯向かうことは出来なかった。何より彼らのトップである大司教の不在が痛い。
「わ、分かりました」
こうしてネクスタ王国の聖女交代劇はスムーズに進み、バルクとアリエラはあっという間に権力を掌握した。
しかしこの話を聞いた人々は漠然と暗い予感を胸に抱いたのである。
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