第73話side魔王+王子

 一〇年前。

 王都を歩いていたときに、薄汚い男に攫われそうになっている少年を発見した。貴族と思しき品のある少年だった。着ている服も明らかに高級品だ。薄汚い男は子供を攫って売り飛ばす――人身売買を行っていたのだろう。


「誰かぁ! 助けてぇ!」


 人気のない道だった。

 シャロンが気まぐれでその道を通らなかったら、少年はどこかの変態にでも売られてただろう。

 薄汚い男はナイフを持っていて、それで少年を脅していた。

 シャロンは異常なほど落ち着いた口調で言った。


「おい、その子を放せ」

「なんだ、てめえ? こっちくんな。それ以上近づいたら、このガキをぶっ殺すぞ!」


 男はそう言って、少年の首にナイフを突きつけた。

 シャロンはしゃがむと、じんわりと湿った地面に落ちていた小石を拾った。そして、それを人差し指で弾いた。

 男の額に小石が的中し、彼はひっくり返った。


「……え?」


 少年は後ろを向いて、仰向けに倒れた男の様子を確認する。

 死んでいるのか気絶しているのか、どちらなのかよくわからない。確かなのは動かないことだけ。自分に降りかかっていた危機が去ったのだ。


「あの……」

「危ないところだったな」

「ありがとうございます」


 少年は頭を下げた。丁寧で綺麗な仕草だった。

 シャロンは少年を人気の多い大通りへと連れていった。ここなら、先ほどの薄汚い男みたいな危ない連中はいないだろう。仮にいたとしても、これだけ人目がある中で犯行は行わないはずだ。


「これからは気をつけろよ」


 そう言って歩き去ろうとしたシャロンを、少年が呼び止める。


「あのっ……お名前を教えてください」


 シャロンは振り返って、


「吾輩の名前はシャロン」

「シャロンさんは何をやっている人なんですか?」

「吾輩は……そうだな、魔王をやっている者だ」


 にやりと笑って冗談めかして言うと、今度こそシャロンは歩き去った。

 人ごみの中を歩きながら、先ほどの少年が何者だったのかを考える。


(おそらく、家出した貴族の坊ちゃんだろうな)


 その推測はなかなかいい線をいっている――が、残念ながら不正解だった。


 ◇


 シャロンがいなくなってから少しして、二人の護衛が少年のもとへと駆けてくる。全身汗だくで、息が上がっている。あちこちを走り回ったのだろう。


「探しましたよ、チェスター王子」

「よかった、ご無事で……」


 二人はほっと胸を撫で下ろした。泣きそうになっている。もしも、少年の身に何かあったら、二人は職をクビになり、物理的にもクビがとびかねない。


「どうして、家出をされたのですか?」

「その……街を一人で歩いてみたかったんだ……」


 チェスターはおずおずと言った。

 それから、泣きそうになりつつ、二人に頭を下げた。


「ごめんなさい。もうこんなことしないよ……」

「今度からは、街に行きたいときは我々に言ってくださいね」

「約束してくれますか?」

「うん。約束する……」


 これ以上二人に迷惑をかけないように、薄汚い男に攫われそうになったことについては、喋らないことに決めた。

 護衛二人と王城へと帰りながら、チェスターは先ほどのことを思い出す。


(助けてくれた人――シャロンさんは、本当に魔王なのかな?)


 普通に考えたら、ちょっとした冗談だ。しかし、冗談のように言ったが、もしかすると本当のことだったのかもしれない。

 もちろん、シャロンのことも誰にも話さなかった。

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