第246話 カヌレ(後編)

 男子は漫画を読み切ってしまったのか、携帯型ゲーム機を取り出して遊びだしている。

ちらり、と画面を見せては、上手くなっただろ、というように私にドヤ顔を見せていた。


 私が用意したお菓子と男子が用意した飲み物で放課後、この教室にこうして一緒に過ごしてもうどれくらいになるだろう。

最初から変わらず私は帰るまでにお腹が鳴ってしまうから食べているのだけれど。


「む、こっちの珈琲味だ」


「うん。二種類なの」


 今日用意したお菓子──カヌレはバニラ風味のものと、今男子が食べて言った珈琲のものと二つある。

同じものでも味違いは楽しい。

それにどっちも食べたいというのもある。

他にも味の種類はあったけれどそれはまた今度の楽しみだ。


 しかし私は今、ちょっとだけ我慢中でもある。

男子ははっきりとは言わないけれど、はっきちと私の体重増加を肯定した。

食べるけれど食べすぎないように、意地が自制を促していた。


 するとちょうど漫画を読み終えた私は座ったまま背伸びをした。

そしてふと、教室を見回して私は立ち上がる。

クラスメイト達の机だったをゆっくり通り歩いていると、男子が気づいて声を掛けた。


「どしたん?」


「私、この席だったなって」


 今はクラスメイトの席の椅子を引いて私は座った。


「何だか懐かしいわ」


 教室の窓際、一番後ろから二番目の席が私の席だった。


「だな」


「ふふっ、今だとちょうど正反対ね」


 真横に窓側と廊下側だ。

それにも、だな、と言った男子は携帯ゲーム機を一時停止して、席六個分離れた私に向き直った。


 いつもとは違う距離の男子は、遠い。


「……私がこの席じゃなかったら、きっとあなたと話してないかもしれない」


 頬杖をついた男子の目が開いた。


 きっとまた弱虫な事を言ってる、とか思ってそう。

けれど私は想像する。

もし私がこの席じゃなかったら、男子が私の後ろの席じゃなかったら、と。

少々感傷的になるのは、この教室と今日でお別れだからかもしれない。


「何か言って?」


「んー……随分後ろ向きな事考えんだな、とか? つって、後ろ向いて話しかけてきたのお前だし? あとお前が話しかけてなくても俺が話しかけてたかも?」


 全部ハテナをつけて話す男子に私は、手に持っていた珈琲味のカヌレを食べた。


「あなたはいつも前を向いているのね。そういうところ、真似したいわ」


 んなわけねぇじゃん、と言う男子はストローを咥えたまま笑う。

おそらく私が冗談を言っているのだと勘違いしているのだろう。

私は本当にそう思っている。

きっとそれを口にしても男子は拒否するだろう。

そのまま受け取ればいいのに、本当にそう思っているのに照れから謙遜する。


「……私と付き合って、どうかしら」


「遊んで喋って飯食って──お菓子食ってるべ?」


「友達ともそうだわ」


「おう、友達とも俺ともそうじゃん?」


「……疑問形の返しはわざとね?」


「ははっ、バーレた。じゃあわざとじゃない答えな──付き合って、めっちゃ良い!」


 男子は声を大きくして言った。

男子の、男子なりの答えは簡単に一言で、私が想像したよりも短い。

けれど男子らしくて、すっ、と私の中に入ってきた。

直球で、私を貫く。


「逆にお前は俺と付き合ってどうよ?」


「えっ、うーん……」


 男子もカヌレとカフェオレを持って窓際へと歩いてくる。


「ん、お前のカフェオレ」


「ありがとう……そうね、とっても良い、かしら」


「ふっ、一緒じゃん」


 そう言ってまた廊下側の男子の、自分の席へと戻っていった。

その背中を見ながら私は答える。


「うん……一緒ね」


 ここで、この席で男子と話した事を思い出す。

付き合ったらどうするか、好き同士がやる事は何なのか。

あの時は想像だった。

想像は今、ここにある。


 一緒で、一緒に、一緒だ。


「──そばに、いてね」


「ふん?」


「そばにいてって言ったの。あ、春休みだからそうはいかないだろうけれど」


「え、遊ぶ気満々だった」


「え、勉強しないの?」


 男子が笑って、私も笑った。

また明日、まだ先の予想をするのは楽しい。

楽しくて、仕方がない。


 私はカフェオレをストローで飲む。

カヌレのほどよい甘さとカフェオレの甘さが口の中で甘い──甘い。


「勉強は学校でしかしねぇっつってたのに、変わったな」


「だって受験生になるじゃない?」


「早くねーかー?」


「一応ね。目指すところはまだ決めていないけれど、用意はしておくべきかと思って」


「うぇー……まぁ考えてないこたないけれどよ。んでも春休みどっかで遊んでー、遊びたいでーす」


 子供のようにお願いする男子がちょっと可愛く見えた。

だからじゃないけれど、遊びのお誘いは当然嬉しい。


「私も誘おうと思ってたわ」


「俺が先だったー」


「じゃあ私は誘わなくてもいいのかしら?」


 男子が慌てた。


「冗談、嘘ですっ。一回よりも二回がいーよ!」


「どうしよっかな?」


「シウちゃんが行きたいとこでいーから!」


 下手したてに出る男子はこれ以上は言わないでおこうという作戦か、最後のカヌレを食べた。


「あなたとならどこでもいいの。水族館や遊園地も素敵だけれど──」


 ──今みたいに、座るところとお菓子があれば、私はそれでもう素敵なの。


「……水族館、行きてぇけれど?」


「んふ、私も行きたいわ」


 何だよっ、と男子はカフェオレも最後まで飲んだ。

ずごごご、という底をつく音がここまで響く。


 素直に嬉しい。

照れるし、恥ずかしい。

はぐらかしてしまうのは、私のいけない癖かもしれない。

けれど男子が怒らないから調子に乗ってしまう。

乗らせてくれるのか、合わせてくれているのか。


「──クサカ君」


「ん?」


 私は両手を膝に置いて男子の方へと向いた。

またゲームを再開しようとした男子が顔を上げる。


「……好きよ」


 私が言うと、男子は驚いた。

さっきとは違って、羞恥心が顔を熱くさせて、困った。


「……何か、お前にそう言われるとびびる」


 瞬間、むかっ、とした私は男子を睨んだ。

男子も言ってくれたから私も言ってみたのに。


「あ、違うぞ?」


 遅れて男子が照れ臭そうに指で頬を掻いた。


「なんつーか、浮かれる反面、怖いっつーか」


「怖いって?」


 まさかの事に私は考える。

好きが怖いだなんて、一体私はどうしたらいいのだろう。

逆を考えてみた。

私は男子に好きと言われたら、嬉しい。

だから私も言いたくなる。


 伝えたい。

伝えると怖いらしい。


 好きって、難しい。


 私はまだ男子の事をよく知らないのかもしれない。

けれど男子は私をわかってくれる。

考えてくれる。


 ……私、甘えてる?


「……好きよ」


「だ、だから──」


「──びびらせたいくらい好きだもん」


「わ、わかったから……」


 男子は俯いて照れを耐えているように見えるけれど、怖さも感じているよう。


 甘いはずなのに、あんまり甘くならない。


「……ごめん俺の言葉足らずだ。びびるっていうのは、自信がねぇからだよ。やばいの。お前が彼女とか自慢だけれど、俺が釣り合ってねぇんじゃねぇかとか、そういう……小っちゃくて情けねぇんだけれど、そういうのがあんの」


 男子はそう言って口を尖らせた。

私が知らなかった部分を話してくれた。

こういう男子を可愛いと思う。

それに甘やかしたい。

私自身が知らなかった私も引き出してくれる。


 男子は自分だけがそうだと思っているけれど、私だってそうなんだけれどな、と思った。

私が恋をしている男子は素敵な人だ。

私にもったいないくらい、魅力がある人だ。

なのに男子はそれを知らない。

もったいない。


「……好きとか言われっと、心臓毎回破裂してる」


「ふふっ、何それ」


「自覚ないとこ。頭良くて足遅くて、可愛くどんどんキレーになるし。俺だけが見てたと思ってた笑った顔とかどんどん他の奴に見せるし。ぶっちゃけ俺だけだったのに、とか独占欲とか出るし。んでも、全部楽しいんだ。お前と一緒って、凄く楽しい」


 それは私も。

私も楽しくて嬉しい。

嬉し過ぎて、もっともっとってなっちゃう。


「……明日も好きでいてね」


「へ?」


 私は欲を出した。

次の好きを予約する。

そして席を立って、机と机の間を歩き抜けて男子の前に立った。


「明日も明後日も、あなたに好きでいてほしい。私、重いの。欲張りなの」


 素直になれないのは重くしたくないから。

バレたくないから。

けれど言わないと勘違いさせてしまう。

男子を見ると頬が赤くなっていた。

まだ夕方じゃないのに私の、未来の好き、の言葉に染まっている。


「思い知ってね。私、あなたが好きなの」


「お、おん。わかった。ってか、わかって、まする」


「ふふっ、まする」


 私は男子に手を差し出した。

ダンスをする時みたいに、手を握ってほしくてだ。


「……お前こそ思い知れ」


「どうやって?」


「例えば──」


 と、男子は私の手を引いた。

強く、優しいその手はいつもの温かさで私を包んで、引き寄せられた私は男子と距離が近くなった。


「──いつでも狙ってっかんな」


 そう言って、キスをした。


 何度目か、もう数えきれないほどの男子のキスは、柔らかくて、熱くて、甘い。


「な?」


「……あは」


「カヌレ味でもしたかー?」


 隠せていない照れを誤魔化す男子は笑う。

カフェオレ味も足してほしい。


 私はいつか──いつでも、男子と一緒にいたい。

けれど今日はこれが限界。

最大級の好きを伝えるのはいつになるかわからない。

それまでは、この時間を楽しみたい。

私達は楽しいが一番好きだからだ。


 好き、好き、大好き。


「ふふっ、あなた味のキス、おかわりしてもいいかしら?」

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