第234話 メレンゲクッキー(後編)
女子が気まずそうにやや俯き気味にメレンゲクッキーを食べている。
そういう俺も同じように俯き気味に、ちら、とミズタニ先輩を見ている。
「うん、わたしもこの教室だったの。たった一年なのに懐かしいわねぇ。席はここじゃなかったけれど」
ミズタニ先輩はメレンゲクッキーを手に教室内を見渡していた。
もう卒業式まで一週間を切っている今、三年生はほとんど学校に来ない。
ましてや試験などでそんな暇はないはずなのに、と俺は咳払いを一度してから聞いてみた。
「……あの、先輩は進学ですか?」
「そうよ、言ってなかったかしら。わたし留学するのよ」
「えっ」
先に反応したのは女子だった。
「うふふ、気になる? そういえばあなたのお名前聞いてなかったわ。何ちゃん?」
「く、クラキ、です」
「下のお名前はぁ?」
「シウ、です」
珍しく女子が押されている。
そういう俺も押される前に若干引き気味態勢だけれど、と二人を見た。
「高校生なんてあっという間ね。三年になると特に」
過ぎてしまえば、というやつだ。
それに今の時期がさらにそう思わせられる。
俺も今年の一年は早いと感じていた。
「三年生から受験生になって、今度は卒業生。忙しないわ──忙しなくて、やり残りした事がたくさんあるの」
ミズタニ先輩はそう言って目を落とした。
俺は女子と目を合わせた。
なんて言ったらいいか、突っ込んでいいかと気になったからだ。
オオツキ先生──オオカミ先生の事だ。
そして女子がこう口にした。
「……何を、と聞いても?」
「あーら、わかってるくせに」
おっとー、シウちゃん気をつけてぇ。
「言いたくくせに?」
ひゃっほー、ミズタニ先輩我慢してぇ。
俺だけが、はらはら、と二人に目と気を配る。
「……失礼、口を出す事じゃないですね」
「あなたっていい子ちゃんでぶりっ子ちゃんなのね」
「先輩ほどでは」
窓は開いていないはずなのに、ここがとても冷えているような気がするような気がしないような感じがした。
「うふふ、あなたみたいな子は大好き」
「私も先輩を好きになりかけています」
「あと一歩はどうしたらいいかしら?」
「答えは先輩の中に」
ではその答えらしきものを、と先輩は語り出した。
女子はメレンゲクッキーを食べつつ聞く。
俺は手ぶらで、はらはら、している。
「──わたしね、恋をしたかったの」
語りはその一文で終わって、俺のつっこみまでの時間の方が長かった。
「……ん!? そんだけっすか!?」
「わたしにとっては最重要な事よ」
ミズタニ先輩は微笑んだ。
その顔は今まで何回も見てきた顔で、誤魔化しだと気づいたのは今回が初めてだった。
「ご存知の通り、わたしはオオツキの許嫁。高校一年の時に知ったの。知ったというか、紹介の場があったのよ。お互い親が古風な人達でね……色々言ったけれど諦めてくれない。だからわたし、探したの」
「……恋を、ですか?」
「うん……高校三年までに見つからなければ諦めよう、って。でも、わたしの恋は現れてくれなかった。いつのはオオツキだけで──どうして、オオツキは先生なんでしょうね」
ミズタニ先輩の弱音ともとれる本音は、とても小さかった。
「……先生じゃなかったら違ったと?」
「それは、逆にわたしが生徒じゃなかったら、とも言いたいのかしら?」
女子は頷くでもなくただミズタニ先輩を見つめた。
その見つめ合いは長く、俺はまた、はらはら、しながら何となくメレンゲクッキーを食べた。
こうすれば何も言わなくて済むかな、という逃げの一口だ。
シウちゃんとミズタニ先輩、どっちも引かない感じだからなー……クールに頼む、クールに。
けれど寒すぎても俺が凍っちまうぞー……。
「……んー」
そして女子が首を傾げて呻いた。
「なぁに?」
「ミズタニ先輩って見た目に反して随分弱いキャラだなと思いまして」
シウちゃーん!?
「強いと言った覚えはないけれど?」
先輩ー!?
そして女子はずばり、こう言った。
「──先輩はもうオオツキ先生に恋してるんじゃないですか?」
それは、俺も思った。
どうして先生なんでしょうね──この一言が決定打だ。
好かなければ、何とも思っていなければ先生だとか関係はない。
それはミズタニ先輩自身もわかっているだろうとも思った。
そしてミズタニ先輩はいつもの飄々とした先輩の顔でこう言った。
「ふふっ、知ってるわ。けれどあの男はそれを許さないの。わたしが生徒だからよ」
逆からの理由が邪魔をしていた。
先生と生徒、大人と子供。
許されない関係性の、許嫁。
「……儚くって、涙が出ちゃいそうよ」
メレンゲクッキーがまた一つ、口の中でほぐれた。
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