第130話 オレンジムース(後編)

 今日も二人はいっぱい、綺麗に夜ご飯を平らげてくれました。

作り甲斐があるってもんです。

そのお皿達を洗って拭いていると、シウがお風呂から上がってきました。


「父さんは?」


「仕事場ー」


 今の感じで書いてみたい、とか何とかで行ってしまったのはシウがお風呂に入るのと同じ頃。

突然そういう事を言い出すのも慣れたもんです。


「お風呂上りの冷たいのあるよー」


 そう言うと、部屋に戻りかけだったシウは後ろ歩きで戻ってきて、嬉しそうにキッチンに入ってきました。

こういうところはシュージ君にそっくりです。

ばかんっ、と冷蔵庫を開けて、グラスのそれを取り出します。

オレンジを盛り付けて冷やしていたオレンジムースです。


「これ、父さんの手作りさん?」


「そー」


 さん、って。

子供みたいな言い方──小さい頃みたいな、言い方して。


「上に飾ってあるオレンジの数が合ってないんだけれど」


 ぎくり。


 あたしは明後日の方を向いて知らんぷりします。

結構食べちゃったなんて、そんな事していませーん。


 ……視線が、痛い。


「……ごめーんね?」


「あは、美味しいからしょーがなぁい」


 そう言いつつもしっかりオレンジがたくさん盛ってあるグラスを選ぶんだから、ちゃっかりしてるシウです。


「母さんも食べる?」


「うん、食べよっかな」


 シュージ君は集中してるかもしれないし、後でいっか。

お皿も拭き終わったし、小休憩。


 あたし達はリビングのソファーへと並んで座ります。

点けっぱなしのテレビからは笑い声がしています。


「いただきます」


「いただきます──って、あんたまた髪の毛ちゃんと拭かないでっ。あーあー、ソファー濡れるでしょうがー」


「むー……」


 スプーンを口に咥えたままのシウの頭にタオルを乗せて、わしわし、と拭いてあげます。


「いいから、母さんも食べて。美味しいよ?」


 まだ一口目も食べれていないのはシウのせいってわかってて、まったく──……わかってるよ、あんたが手がかかる子供になってんのは。


 けれどあたしは言いません。

シウの気が済むまで、気がまで、言いません。


 シウは、お姉ちゃんの妹でいたいのです。

シウは、甘えっこだったシウでいる事で……お姉ちゃんの面影を見せないのです。

あたし達に、ずっと。


「……はい、後で乾かしなさいよ?」


「えー……」


「か、わ、か、し、な、さ、い、ね?」


「はぁい……」


 不満そうでもあたしは譲りません。

もう冷えてきた季節ですし、風邪でもひかれたら困りますから。


 シュージ君が作ったオレンジムースは気合いが入っていました。

こういうのは性分なんですかね。

グラスの一番下にはやや苦めのココアのスポンジケーキ、その上に薄ーくダークチョコレートをソースっぽく、それから淡い黄色のオレンジのムース、一番上にはオレンジが盛られています。

庭に生えていたミントもいつの間にか摘んできたようで、ちょこん、と植えられています。


 オレンジの隙間にスプーンをすぅん、と入れて、奥底のスポンジケーキまで、ずぬっ、と、ぐぐっ、と掬って大きく一口、すぐにオレンジも後追い一口。

しゅるっ、と、つるっ、と、もふん、と、もぐもぐ──ごくん。


「まったりさっぱり!」


「え、美味し。けれど父さんが作ったって事は何かあったんだよね」


 シウはもう一口、もう一口と食べながら聞いてきました。

言うべきか、言わないべきか。


 あたしはシウに、ぴったり、とくっつきました。


「何? 近いし暑い──」


「──あんたの彼氏と会ったからだよん」


 そう言った瞬間、シウの表情が、すっ、となくなりました。

真顔ってやつです。


「なーにその顔。良い子だって言ってたよー?」


「ほ、ほんと?」


 あら、今度は嬉しそ。


「ほんと。上手くいったんだ?」


 にやっ、とにやけてやります。

あたしはシウに、男の子と出かける、くらいしか聞いていなかったし、それから教えてくれなかったので、いじってやります。


「う、うん。なんやかんや、あったんだけれど……うん」


 なんやかんや。

いいわねぇ、ないよりあった方が楽しいものね。

シウの顔が照れ照れしてるから、そっちに転んで何よりです。


 子供子供、と思っていてもいつの間にか成長したシウを見るのはとても楽しいです。

真顔も怒り顔も喜び顔も、どんな顔でも、愛しい、に何ら変わりはありません。


 ──変わっていくけれど、変わらないのよ、あたし達、親は。


「……母さん?」


 あーやだやだ、しんみりしちゃった。


「んーん。ちょっとね、思い出しちゃった」


 お姉ちゃん──ユウは、いきなり家に連れてきたのよね。

カジ君元気にしてるかしらねー。


 するともう食べ終えたシウがいきなりソファーから腰を上げました。


 あ……この顔は、いやなやつです。


「……母さん、ごめんね」


「なーに謝って──」


「──。だから……ごめんね」


 そう言ったシウは、ばたばた、とリビングを後にしてしまいました。

ちゃんと髪の毛は乾かすでしょうか──違う、そうじゃない。


 あたしは、母さんは、やってしまいました。

また、あの顔をさせてしまいました。


 お姉ちゃんの事故──ユウの死は、シウのせいじゃないのに、未だに、今も、シウは自分のせいだと思っているのです。


「──……スミレちゃん、どうしたの?」


 シュージ君がいつの間にかリビングに来ていました。


「……んーん、何でもな──」


「──なくないねぇ」


 よいしょ、とシュージ君はあたしの隣に座りました。

それから肩をするり、と撫でてきて、抱き寄せられました。


「……しくっちゃった」


「そっかそっか。じゃあまた今日から、だね。少しずつ、ゆっくりいこう」


 シウが、あたし達の娘があんな顔をしない日まで。


 うん、とあたしはシウが食べて空にしたオレンジムースのグラスをぼやけた目で、見ていたのでした。

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