第124話 ホットココア(後編)

「──天文部は結構お気楽な部かな」


 薄い毛布に座った俺と女子は、やや夜の空を見上げながら温かい息を吐いている。

紙コップの中のまだ熱いココアをくるくる、と少し回して少しずつ、ずずっ、と飲みながらいつものお喋りをしていた。


「そうなの?」


「んー、書道部に比べればって言ったらわかりやす──何だその顔」


 女子は、きょとん、としていた。


「……うん、そだな。お互いあんま部活やってないっすね」


 いつも放課後は教室で──俺と、いるわけで。

俺も女子と、いるわけで。


「ま、書家の先生とかな。違いがあるじゃんよ。俺らは何つーか、趣味の延長みたいなとこあっからさ」


 特別天体を研究したいだとか、細かいところまで専門的に記録を取りたいだとか、そういう部員は今までいた事がない。

合宿と銘打って何度も観測をしているけれど、目的といったら──。


「──天体望遠鏡を覗くってのが、合宿目的かも」


 星が好き、けれど望遠鏡を覗いた事がある人は少ない、かも。


「素敵な目的だわ」


 女子が紙コップを口につけながら言った。

そして続けてこう言った。


「好きよ、そういうの」


 人差し指で、とんとん、と紙コップを叩きながら、微笑んだ。

いつもとは違う、放課後の橙色じゃなくて、夜色の、薄暗い中の女子はなんていうか。


 なんて、いうか。


 ……なんだ、これ。

心臓、超、どくどく、してる。


「──ねぇ」


「……うんっ? ん、何?」


?」


「……は!?」


「え? 望遠鏡、見ちゃ駄目?」


 あ、そう、そっち、はい、そっちですよね、はい。


 俺は、どぞ、と手をやってココアを飲むふりをして顔を隠した。

恥ずかしい勘違い。


 ……でも──いやいや、何考えてんだ俺。


 軽く自分の頬をつねった。


 女子は望遠鏡から、自分の目から、夜空を見比べている。

あっちこっち交代で見ていて、せわしないというか、微笑ましいというか。


 ふっ、と笑いつつ、一応見た、という時間記録だけは付けなきゃな、と望遠鏡の近くの机にと俺は立ち上がる。

ココアも一気に飲んでごちそうさま。


 黒い冊子の記録長は去年からのもので、中のプリントがばらばらである。

誰かがやるだろう、でパンチで穴を開けてまとめるだけなのにファイル代わりのように挟めているだけで──。


「──ああああ、ちょーっ!」


 気を付けていたはずなのに、ばささ、とプリント達を落としてしまった。

しかも風で舞うという二次被害付き。


「あーあーあーあー」


 あっというに飛んでいくプリント達を俺は拾っていく。

女子も気づいて毛布のところまで飛んでいってしまったのを拾ってくれた。


「ごめーん」


「はーい、気をつけなさーい」


「はーい。と、もう一枚はそっち──やべっ、飛んでく飛んでくっ」


 最後の一枚は女子のその向こう側で、俺は追いかけた。

ついでに女子も追いかけて、というか、膝をついて毛布にうつ伏せに寝るように腕を伸ばして───。


「──あっぶなっ……」


「──ふぅ、とーれた……」


 ……おう、これは、ちょっと……はい。


 女子はプリントを捕まえた後、ごろん、と仰向けに寝返った。

俺は女子を踏まないように少し横に避けたのだけれど、計らずも女子の──、というか、腕と腕の間に、いる、というか。


 い、た。


 真下の女子と目が合って、なんか、無言。

目が合うのは初めてじゃないのだけれど、こういう合い方は初めてで、近く、て。


「……あ、の……プリント……」


 声、ちっさい。


「……うん」


 俺の声も、ちっさい。

うん、と言いながらも受け取れないでいた。


 いつの間にか女子の横に落ちた携帯電話の画面が、ぼんやり、明るい。

暗い中で、女子の髪の毛とか、頬っぺたとかが光っていて、目が真ん丸に開いていて──口とか、顎とか、首、とか。


「……どうした、の?」


 女子はまたちっさく聞いてきたけれど、俺は答えなかった。


 俺は女子の頬を人差し指の背で撫でてみた。

女子は、びくっ、とした。

瞬間止めたけれど、すべすべで。


「あ、の……」


 そう言いながら動く女子の目がまた俺を捉えた時、俺は、どうかしちゃったっぽく、て──。


 瞬間、両手で顔を覆われた。

主に口を、塞がれた。


「──むっ!?」


 女子の手で、そのまま押されるみたいにして俺は起き上がって、女子も起きて、座るみたいになって、手を剥がした時に女子が言った。


「……馬鹿っ、何すんのっ」


 ……何すんの?


「ちょ、どこ行──」


 女子は素早く立ち上がってもう歩き出していた。


「──寝るの! おやすみなさい!」


「あ、はい。おやすみなさい……」


 すたすた、と行ってしまった女子は一度大きくユーターンするように戻ってきて、俺にプリントを渡して、早歩きで屋上を後にした。


 俺は変に、ぼうっ、としていて、はっ、と気づいた時にはありえないくらい顔が熱かった。

どくどく、と心臓もどっか行きそうなくらい鳴っていた。


 どうやら俺は、どっか行ってたみたいで──近づき過ぎた、みたいだ。


「……やべ、俺、何しようと、してた?」

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